令和2年度 総委員会 講演会
- At 9月 28, 2020
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9/27(日)同窓会総委員会が行われました。例年ですと史跡巡りなどで外へ出ることが多かったのですが、コロナ禍の今年は座学となりました。会場は昨年改築されたばかりの上郷公民館の講堂。
高台の端にあるので、眺めの良い所ですね。駐車場には「大空へ」と題された像があります。
今回の幹事 ユリノキ会の神崎さんが、開会の挨拶。続いて大田中会長も挨拶。マスクがコロナ禍を象徴していますね。
今回の講師は、あかいし学友会代表・上郷史学会長の中島正韶さん(高11回)
演題は「母校はなぜ高松原にあるのか―時代の真相と謎とロマン」。母校はなぜ長姫城址から移転しなければならなかったのか?当時の地元新聞や県立歴史館の資料などを調べ、解説してくださいました。
高松原に移転が決まったのは、大正10年でした。その背景にあるものは?
パソコンを操作しながら、熱く語ります。
永昌院から専照寺へ移り、飯田中学となって飯田城二の丸へ・・・そんな歴史も紹介。
飯田城二の丸の位置は、此処。今の美術博物館の所ですね。
(クリックで拡大できます。大きくしてご覧ください)
此処からの移転を提唱したのは、3代目の校長 奥源治氏。奥校長が着任したのは大正7年。翌年 改革の旗を掲げ、二の丸校舎からの移転を強く提案したのです。
大正9年は1920年。今から100年前と直ぐ分かりますね。それほど遠い話ではないのです。
当時の見取り図です。これは飯田高校の資料には無くて、長姫高校に残されたいたものです。
スケッチ画も出てきました。春草の兄菱田為吉が教師として勤務していたのはここですね。思い出してください⇒温故知新 ③菱田為吉。
第二運動場から風越山をバックに描かれています。桜と校舎の位置に注目。この校舎は取り払われ、今は庭や駐車場になっていますね。桜は安富桜です。
当時の新聞です。奥校長が、「入学希望者は年々増加し、近年は200~260名もいる。しかし教室は100名分しか受け入れられない。競争率は2.0~2.6倍と県内きっての難関校となっている。青年の発展上質に憂慮すべき状態にある。この場所での拡張は無理。運動場も城下まで降りなければならず不便。よって移転拡張しなければならない」と語っています。。
これによって、各地区で激しい誘致合戦が行われました。それぞれの言い分は激しく、下伊那議会ではなかなか結論が出せず・・・結局、県議会にお任せとなりました。
県知事が出した結論は、高松原に移転でした。これを受け奥校長は「非常に都合の良い場所」と喜んだようです。
知事はなぜこの場所に決めたのでしょうか?傾斜の少ない広い場所、交通の便の良さ等があげられています。でもおそらく奥校長等の学校関係者が知事に要望したのでは?と、中島さんは推測。
最後に二の丸校舎から移築された建物が紹介されました。私的には見覚えがある様な!当時は部室となっていてスラム街と呼ばれ、1年生は近付き難い場所でしたね。3年になる頃には建て替えられ、物理の教室などになった所だと思います。
移転当時は博物館の構想があったとの事。その構想がいまの美術博物館に繋がったようです。
中島さん、貴重な資料とお話、ありがとう御座いました。
講演終了後、例年ですと場所を変え慰労会なのですが、コロナ禍ではそうもいかず。机を並び替えて茶話会となりました。
この席で坂巻副委員長(高18回)から「当時父が在籍していて、椅子や机を自分ら生徒たちが運んだ・・・という話を聞いた」とのエピソードが紹介されました。
さて次回はどうなるでしょう?
(高18回 高田)
令和2年の同窓会役員会
- At 1月 11, 2020
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1/10に同窓会の役員会が行われました。先ずは中会議室で正副会長会。
続いて大会議室に移って、常任役員会が行われました。
大田中会長(高22回)の挨拶。続いて五明教頭より、飯田高校の現状などが話されました。受験生が年々減少傾向にあり前回は定員割れ、今回は少し増加の模様との話もありました。
続いて、副会長の皆さん。(左より、岡田寿久さん(高23)長谷川敬子さん(高22)坂巻道弘さん(高18)松原秀幸さん(高19)
坂巻さんからは、脊柱管狭窄症を患ったが今は順調。それを年賀状に書いたら、自分も、俺も・・・と複数の方から反応があってびっくりしたとの事。椅子に座ってばかりは良くないそうです。私も心配になって来ました^^;
松原さんは東京から日帰りでとの事。ご苦労様です。
続いて各委員長からの話で、気になった処を紹介しておきます。
*財務委員長の長谷部さん(高22)より、同窓会費の収納率がこのところ低下している。未納状態の方は是非とも納入願います。
*社会貢献委員長の下平さん(高19)より、独立120周年記念講演会予定しているのですが、講師は誰もが知っている様な有名な方にしたい。現段階は候補者を選定中・・・との事でした。
*名簿作成委員長の松本さん(高20)より、前回の時900ページを越えこれ以上ページを増やすのは無理と言われている。ではどうするか?2冊にする。CD化する。クラウドサービスを使ってネットで見るようにする。等々の提案がありました。それぞれにメリットとディメリットがあります。まだ結論には至っていません。
名簿に関して、皆さんのご意見・ご要望を同窓会事務局(email: ikdj@iikou-d.jp)にお寄せください。
最後は場所を「弥生」に移して新年会。弥生のオーナー松下さんも同窓生(高18)です。乾杯の音頭は東京から駆け付けた松原副会長。
飲み、食べ、歓談と親睦を深め合いました。
この日の料理です(全ては撮れていません) 参考までに、この日の会費は5,000円でした。
〆に出されたのはとろろ御飯。満腹となりました^^
(高18回 高田)
令和元年度 総委員会・・・考古博物館へ
- At 10月 03, 2019
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9/29 に総委員会が開催されました。今回の当番委員は社会貢献委員会(下平薫委員長 高19回)。恒例のあかいし学游会共催の歴史探訪は、上郷の考古博物館見学でした。館長の市澤英利さん(高22回)が館内の説明に熱弁をふるいました!
先ずは博物館のシンボル野底山のヒノキです。館内の正面入り口を入った所に展示してあります。
昭和62年に、野底山の整備工事中 水路を掘っていて出て来た物。年輪年代法で調べた結果、紀元前317年から西暦93年に成長した弥生時代の物と分かりました。つまり弥生時代にこの地で山崩れか何かが起き、埋まったという事です。私は、たまたま以前その出土場所を見ていたので写真も載せておきます。埋まった状況がとても良く昔の姿そのままで出て来たので、今でもヒノキの香りがします。
次は石器群です。山本の遺跡から発掘された物で、日本最古級の石器。日本列島の人類の起源を物語る物かもしれないと熱弁。
日本に人が現れたのはいつか?定かにはなっていないが、4万年前頃と言われています。これ等の石器は3万年前の火山灰の下の地層から出ている。日本の人類史解明のカギと期待されている石器群との事です。(写真はクリックで拡大され、文字も読みやすくなります)
次は土器です。土器の出現で、人は初めて煮炊きが出来る様になったとの事。言われてみれば確かに^^
続いて道具の移り変わり。古代から現代までの道具が並べられています。
稲作、農耕社会の道具。こういう物をこう使った・・・と力説。
こちらは馬の化石。飯田下伊那では多く出ている様です。
隣の秀水美人画美術館も見学。
上郷出身の日本画家・浅井秀水さん(1919~2014)の美人画を展示しています。
数ある作品の中から、今は日本髪をテーマにした作品を展示しているとの事。各自思い思いに鑑賞。
生前使っていた絵の道具類も展示されています。
未だ行った事が無いという方は、一度訪問してみては如何でしょう!日頃の見学者は少ないとの事なので、ゆっくり見る事が出来ます。料金は考古博物館と美術館のセットで200円。詳細はこちら⇒ご利用案内
この後は会場を今宮半平に移し会議。社会貢献委員会の活動紹介、各委員会の活動報告が行われました。
続いて部屋を変え懇親会。副会長の坂巻道弘さん(高18回)がカンパ~イ!
この日の料理(一部です)
そして歓談。
懇親!
宴たけなわとなった処で、あかいし学游会長の中島正韶さん(高11回)の音頭で応援歌を数曲。
更に上着を脱いで、校歌~~1番・2番・4番~!
良く通る声で、振りもお見事でした。
最後は次回の当番委員会 ユリノキ会会長の神崎あさ子さん(高22回)が、一丁締め(関東一本締め)を!
19:30頃予定通り無事終了、お開きとなりました。
(9/29 撮 高18回 高田)
平成30年度総委員会の開催報告
- At 10月 11, 2018
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9月30日(日)に平成30年度総委員会が名簿作成委員会の当番幹事で開催されました。
当日は台風の接近が心配されましたが懇親会終了まで無事終えることが出来ました。
詳しくは添付PDFファイルをご覧ください。
25年度総委員会開催される
- At 10月 15, 2013
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25/10/12 25年度の総委員会が社会貢献委員会(矢澤英峰委員長)主管で開催された。恒例になった「母校ゆかりの地と飯田城史址の探訪3」と題して中島正韶(歴史研究会高11)さんが、解説にあたった。コースは下伊那教育会館⇒春草公園予定地⇒黄梅院⇒正永寺⇒天下の糸平碑 約1時間半であった。教育会館は大正洋風建築で、板張りの廊下は、旧飯田高校校舎を思わせる、油雑巾で拭かれていた。ここに中学第1期生の大江磯吉像があり、会館と大江の話を聞く、天候に恵まれ、吹く風に秋風を感じながら、春草公園(まだ更地)から黄梅院、正永寺裏の空堀跡を尋ねる、正永寺(蒲 祐正住職高14)では、地方では珍しい二重屋根 釘をほとんど使わない小笠原家紋の本堂、脇には、400年前の枝垂れ桜、菱田春草絵を元に作成された魚籃観音(女性)が迎えてくれた。本堂中に入り、住職から曹洞宗圓悟山正永寺についてお話を頂、常には見る事の出来ない中央に釈迦 四方に四天王の内陣天井から大間の天井まで拝見させていただく、平岩洋彦画家(高14)の襖絵もあった。ホテル弥生に移り、各委員会会議と合同会議を行い、懇親会に移った。最後に応援歌、校歌で締めくくられた。
平成24年度総委員会開催される 10.20
- At 10月 22, 2012
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秋晴れの20日 今年度当番幹事の会員名簿作成委員会(増田郁夫委員長)は、昨年に続き「母校ゆかりの地飯田城史址の探訪」と銘打ち19名の同窓会委員会メンバーが集まり散策をした。昨年に続き、案内役は会報委員長の中島正韶さん(高11回)だ。冒頭「今日はお墓廻りになってしまう、今は原型を残してない遺跡もあるから、想像を豊かに散策をして欲しい」との事、拍心寺の日夏耿之介・菱田春草墓→飯田城惣堀→琴平神社→御蔵公会堂(見落とてしまう乃木大将の石像)→殿町武家屋敷(福島家)等々解りやすい解説に、一同納得、長源寺では、早川住職より母校校歌の山口不二についての話を聞く、その墓を見て、会議・懇親会会場 砂払温泉に向かう、会議は中島会長、木下・福澤両副会長をお迎えし、各委員会から、現状報告が有りました。懇親会席上でも山口不二の話題が尽きず、中島正韶さんの3番入り校歌で散会となりましたが、バスに乗った8人が2次会に、個性的な美声に酒が進み、充実した一日を終えた。
H23年度総委員会開催される
- At 11月 06, 2011
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11月5日総委員会が開催されました。表題のように硬いイメージを受けますが、同窓会の各委員会相互の親睦の為に作られた会であります。今回の幹事はHP運営委員会が担当しました。