水窪 足神神社例大祭参加 10.7
行って来ました。7日飯田はまだ昼間の温度は27度 2台の車で、遠山から152号線を登る、険しい細道で途中が途切れている日本でも珍しい国道だ、それでも静岡側からの車やバイクツーリングに会う、さすがに足神神社につくとジャンバーが欲しいくらいだ、G組からは、飯田のお酒が奉納された。厳粛な例大祭が終わり、直会の席では、Jリーグの市川大祐のお父様が、「本人 試合のため来れなかったが、この足神神社のおかげで、今もプレー出来ている」とお礼の言葉があり、守屋宮司からは、今の中国、韓国の問題に触れられ、神道では「すめらがむつ」と言う、古文で難しいが、仏教では「慈悲」、キリスト教では「愛」に匹敵する言葉がある、もっと世界が、仲良くしなければ、との話があった。 天龍新聞の竹田記者とも 親しく話ができ、「ここでは一六会は、有名だ」との話に少し誇らしさを感じた。日本の中でも、この小さな祠に、奈良・千葉からの参拝客も、飯田高校同窓会の先輩の姿も見られた。この祠の湧き水は、コーヒーを入れても、味噌汁に入れても、確かにうまい、当然足にも効用があるはずである。 帰りは 美味しいソバを食べるチームと、和田城・下栗散策チームに分かれ、飯田に向かった。 (斎藤 純)
新野行人様御開帳と花火大会旅行記抜粋
9月16日飯田一六会16人は、新野のお祭りに向けて出発した、 2時頃新野の宴会場所「一力」へ到着、既に何人は、到着していて、瑞光院へと向かう、我々にとって高校時代、スケートに来た思い出の巣山湖がある森林公園まで車で、後はシャトルバスだ、仲間が近いから歩こうと歩きだしたので、後に続く、厳粛な本堂へ、行人様に深々と頭を下げた、この行人様、生きながらにして仏になったとの事(即身仏)、日本に16体の内の1体で、1日湯飲みに、そば粉1杯で全国の神社仏閣を訪ね歩いて修行を積み、ここに入定(土の中に入る)した。 外の広場では、色々の催しがあった、最後に、縁起物の、もち投げがあり、我を忘れ拾った。 この御開帳前には、行人様が修行に履いたとされる、鉄下駄競争もあったようだ。 近くの温泉 おきよめの湯に入り、「一力」での宴会で花火大会を待った、何時もの様な賑やかな宴会だ。 いよいよ始まりだ、山に囲まれたこの千石平、打ち上げの音までも、響き渡る。宴会場から丁度正面に見える、お酒を片手に、表のシートが敷かれた場所で、腹まで響く尺玉に歓呼の声を上げ堪能する、いつの間にか1本ごとに、花火評論家が増え、皆を笑わせる。 ここの花火の特徴は、飯田では打つことができない大きなものばかり、尺玉等硝子戸がしびれる、我々の奉納煙火追い打ちでは、一段と大きな声が飛ぶ、最後には2尺玉が出た、花火に酔いながら、また部屋に戻り、宴会の続き、悪い癖?、東京一六会もそうと聞くが、「来年も」とチャッカリ予約を取る。次の朝は、雨が降った、飯田地方では、ここ何週間も雨が降ってない。新米のおいしい朝食を食べ、帰る頃には、雨もやみ、別れを惜しみつつ、飯田に向かった。
「一力」の栗生ご夫妻には、本当にお世話になりました。又お願いします。 (斎藤 純)
晩秋のゴルフのお誘い
- At 9月 10, 2012
- By j,saito
- In 一六会2012, 回数学年
0
飯田高校一六会の皆さまへ
去る8月30日に実施された東京一六会の残暑払いの席上、昨年に続きゴルフコンペの企画が持ち上がりました。晩秋の一日を山梨のグリーンで楽 しみませんか。参加者が確定次第、幹事より詳細について連絡します。
記
日 程:11月18日(日)~19日(月)
集 合:18日午後5時、ホテルやまなみロビー
プレー:境川カントリークラブ、19日(月)9時02分~9時16分スター
トで3組仮予約済み
宿 泊:ホテルやまなみ(3室仮予約済み)
笛吹市石和町松本字塚越222-4
TEL055-262-5522
10月15日を締め切りとしますので、それまでに幹事の山口までメールにて返信下さい。
幹事:山口 雄司
yuyamayu@nifty.com
満蒙開拓平和記念館着工へ,11日起工式
- At 9月 07, 2012
- By dousoukaiadmin
- In ふるさと情報便, 一六会2012
0
今月11日に、事業準備委員会 河原進会長(高16)は、阿智村駒場で起工式を開とした。計画が始まって6年目の事。この事について何回かホームページにUPさせていただきましたが、我々の「明治は遠くなりにけり」ではなく昭和88年「昭和は遠くなりにけり」だ、開拓団に参加された方々は、既に高齢化、当時下伊那の山の中から広大な農地を夢見て、渡満した方々、戦争そして敗戦の悲惨さ、全国最大数の開拓団を送り出した下伊那、この惨事を後世に伝え様と立ち上がった方々、この下伊那に、全国初めての記念館建設を計画された。この道のりは、当事者が高齢化のゆえと、大震災で、寄付の順番が、第2・3になり、なかなか資金が集まらなく、度重なる計画変更の末、やっと、起工式を迎えた。来年3月完成を予定されているが、完成されれば、全国から長岳寺 中国残留孤児の父 故山本慈昭和尚とも、有名になることは間違いない。 添付PDFは、9月6日南信州新聞に記載された記事。
11日起工式 12日付け南信州新聞
一六会 ベトナムダブル旅行記
早めにゆこうぜ ベトナムへ
5泊6日で一六会メンバー5名で5月下旬にベトナムへ。北・中部・南と“おのぼりさん”の典型型な旅。印象・感想を要約すると、
1 衣…アオザイをはじめとして、なにしろ良い。ショッピングすきにはたまない。
2 食…中高年の日本人向き。ベトナム料理に加え、中華…フランス風の料理も。もっとも高級料理店ばかりであったが。
3 住(建物)…世界遺産が多く、宮殿・墓・ポイアン旧市街と見あきない。
残念だったのは、ハロン湾クルーズが雨だったこと。次回は、1泊2日のクルーズを。 道路の交通事情は3Sがそろっている。スリル・スピード・サスペンスが。帰着して家族に早速「ジージと12月にでもゆこうぜ、安近短で現地の人はまだスレていないし」と報告。 (奥村方敏)
写真キャプション…孔子廟前の入り口にて
ベトナム縦断一六会旅行
久しぶりに独り歩くと 私の心の中で静かに開く重い扉がある その奥から流れてくる一筋の馬酔木の香。1972年グアム島で毎日のように離着陸を繰り返すB52の真っ黒い煙と不気味な重苦しい爆音 そして鉄条網に囲まれたベトナム難民キャンプ。戦争を身近に感じたのは、遠い昔の事と思っていました。
ドラゴン、ジャック、フルーツ、ランプータン、マンゴスチン、ドリアン、ライチ、スターアップル、こんなに豊かな国は初めて。枯葉剤の影響か蝉も鳴かず、鳥も見当たらず物音が無い、不気味なほどの静けさ、爆弾のつくった巨大な穴ぼこ、銃弾の傷跡、気温は40°Cを超えていたと、後から聞かされた当時の戦争を思い返していました。
“めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲かくれにし フエの月かな”5/24世界遺産古都フエ市にて詠める。“朝ぼらけ メコンの河霧たえだえと あらはれ渡る 瀬瀬の網代木 もろともに あわれと思え火炎樹の 花よりほかに知る人もなし”5/25世界遺産戦禍のミーソン遺跡群にて ”住江の岸による波よるさへや 夢のかよひじ 人目よぐらん” サイゴンにて月をみて詠める 盗作紀行より
「アメリカは戦争で勝利したのは、結局、日本にだけですね」と、ネコを3匹食べて、美味しかった、と言った、ガイドの言葉にギクリとしました。1匹で5年婚期が遅れるそうです。社会主義の国なのに、カジノが有ったのには驚きました。
今も心に染みる 真黄色の大百日紅の花。まさにベトナム。 (小島霧情)
この旅行記は、在京飯田高校同窓会誌と同窓会報の記事の抜粋です。
一六会 松沢憲治君(松ケン)来飯
3月2日突然の来飯に集まった仲間。写真右から2人目、高校時代より「松ケン」の愛称で親しまれていて、松平健・松山ケンイチ(研一)に先駆けての元祖マツケンを名乗る。25周年記念式典に出席予定が叶わず、40数年ぶりの再会に、喜び合う、市瀬会長も、「これから会合だが」と顔を出してくれた。彼は、今、山口県で大きく歯科を開業している。酒は飲まないが、タバコと〇は好きと、まだまだ健在ぶりを見せてくれ楽しい一時を過ごした。
一六会ベトナム旅行勧誘
昨年の忘年会の席上、「みんなで旅行に行こうよ!」という話がまとまり、F組松尾君が幹事役となり、下記のような企画をまとめてくれました。 2月21日にメールが届いた方もあるかと思いますが、事務局より再度発信させて頂きます。参加希望の方は、直接松尾君へ連絡してください。東京一六会だけでなく会員どなたでも歓迎です。3月末をめどに申し込みください。東京事務局(興津)
申し込みは E-Mail: matsuo_katsuhiko@tonichi.co.jp まで
東京一六回の皆様へ
やっと昨日位から暖かくなってきました が皆様におかれましては益々ご清栄のこととお喜 び申し上げます。
H24年飯田一六会新年会 in 昼神温泉
飯田一六会では、1月22日 恒例の新年会を、昼神温泉「天心」にて行なった。昨年の暮れには、京都行き、忘年会、今年に入り新野の盆踊りと参加してきましたが、さすがの忙しさで今回の新年会は、女性抜きになりました。しかし何時もの様に、豪華賞品のゲームや、チロリン村、カラオケと楽しい新年会になり、翌日、出勤者を除く9名で、今回初の、「殿岡の匠」に移っての、そば打ち試食会を行いました、菅沼二三夫そば打ち3段の指導でした、道具が6台しか無い為に、あふれた仲間が突然准教授に変身し、あれこれ口出しをする、その遣り取りが、爆笑をよび、蕎麦が、うどんにも、きしめんにも変化、誰が口にするか楽しみの試食会でした。こだわりの「足神神社の聖水」で打つそばは、美味しく、打ち立てで、少しの不揃いなんのその、美味しさで、腹一杯、満足の帰宅でした。
飯田医師会が16年ぶりの選挙で市瀬会長を再任
1月16日飯田医師会が臨時総会を開き、任期満了となる会長選任をおこなった。市瀬武彦現会長(高16回生)が選挙で3期目の当選を果たした。我々16回生として、会長職を見るに、自分の医院と医師会とをまとめていく事は、つねずね大変であるなあー と感じていた。 新法人体制や緊急地域医療体制、医師問題 等々問題は山積みである。もう一踏ん張り、飯田下伊那のために、健康に留意され頑張って頂きたい。
会長選 南信州新聞18日付けに載る
新野の雪まつり
- At 1月 17, 2012
- By dousoukaiadmin
- In ふるさと情報便, 一六会2012, 高16回
0
信濃毎日新聞1月16日付け さすがプロ あの暗さに良くこれまで鮮やかに、カメラの違いか、やはり腕の違いだ。
新野の雪まつり 行ってきました。
室町時代から伝わる田楽 国の重要無形文化財 1月13日摂社諏訪神社へ、お下りの渡行から始まり、その年の役決め、お滝入り禊(最近まで全裸で禊をしていたらしいが、滝ノ上からの見物客が居るため、今はフンドシ付)をして、14日4時 伊豆神社への御上りが行われる、その街道は、住民により水払いで、清められ、夜を徹しての祭りが始まる。大正末期に国文学者折口信夫がこの祭りを見て、雪を豊年の予兆と大切に扱うことから、俗称として「雪まつり」と伝えられることになった 午後6時頃より数々の儀式・舞が奉納され、「ランジョウ、ランジョウ」の掛け声で午前1時頃、大松明に火がともされ、面形(おもてがた)を付けた神「幸法(さいほう)」の出番でいよいよ最高潮に、その観客の中に、エジブト考古学者吉村作治さんの姿もあった。もう一つの山場は、馬・牛・天狗・鬼・住民と神が一対となり沢山の踊りの奉納をしてきたが、夜明けを迎えるに、各々処に送り返さなければならない「しずめ」が行われ、日の出と共に祭りが終わりました。 「眠い・煙い・寒い」の祭りでしたが、良い経験をさせていただきました。新野は、民族芸能の宝庫、4月・9月には、行人様の御開帳(生きながらにしてミイラになった)9月には2尺玉の花火の奉納あり、8月には、文化財の「新野の盆踊り(笛太鼓無し)」近くには、文化財「和合の念仏踊り」等あり、近くには温泉郷が3箇所ある。 今回夜通しお世話にまりました「一力」様に、心より、御礼申し上げます。 (斎藤 純)