桜情報 八重桜
- At 4月 24, 2020
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コロナウィルス騒ぎで大変な事になっていますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
桜の方ですが、ソメイヨシノやエドヒガンはほぼ散り終え葉桜になりつつあります。今は八重桜ですね。丸山小学校の校庭に八重桜が植えられています。これは正永寺桜保存会が寄贈し、生徒の皆さんが植えたものです。
メインの正永寺桜は咲いていませんが、紅華と里原が咲いていました。紅華の方が花が多いですね。
里原も間もなく多くの花が付くかと思います。
八重桜と言えば、天竜峡桜街道です。約2Kmの道沿いに200本ほどの桜があります。種類も様々。
いくつか紹介してみます。必ずしも並び順どおりではありません^^;
関山(カンザン)です。濃い桃色の八重桜。
花弁の数が多く、50枚以上もあるそうです。私は数えたりしませんが^^;
もっと色の濃い桜はその名も紅華(こうか)。
此処では一番濃い紅色かも。
紅色系は他にも。花笠(はながさ)。
少し白っぽくなりますね。
変わった名前は八重紅虎の尾(やえべにとらのお)!花の付き方が虎の尾に似ているというのですが、名付けた方は想像力が豊かですね^^
これもやや薄めのピンク。
これも変わった名前で普賢象(ふげんぞう)。
雌しべの先端が曲がっており普賢菩薩の乗る白象の鼻に似ているのだそうですが、分かりますか?^^;
白っぽい桜は他にもあります。永源寺(えいげんじ)。
滋賀県永源寺町の古刹で見つかった品種で、花弁の数は15枚との事です。
白い桜をもう一点。駿河台匂い(するがだいにおい)。
東京駿河台で見つかった匂いのある品種ですが、マスク越しではどんな匂いか分かりません^^;八重ではなく一重で、小さい花です。
桜らしくない色の桜もあります。うこん桜。
アップで見ると黄緑色の花。黄桜系ですね。
もっと緑で花と分かり難いのが、御衣黄(ぎょいこう)。
よく見ないと葉桜かと思ってしまいますね。
桜の花と言えばハラハラと舞い散るイメージですが、八重桜はちょっと違います。形のままポトンと落ちています。ご存じでしたか?^^;
それにしても色々と詳しいね~と思われている方もいるかと思いますが、種明かしをしておきます。実は種類ごとにこんな説明板があるのです^^これがなければ微妙な差は分かりません^^;
この日(4/22)は晴れたり曇ったり。風が強く枝が動くので花のアップ撮影は大変でしたよ^^;
そんな中、時又の橋(天竜橋・・・天竜村にも同じ名の橋があります)の間から南アルプスが見えました。仙丈ヶ岳かな?
長野県のコロナ感染者ですが、4/23に又3人の方の感染が確認されました。何れも諏訪保健所管内です。県内はこれで62人となりました。ジワジワと増えています。
女優の岡江久美子さんも亡くなりました。改めてコロナは怖いと思いました。お互い自粛ですね。
(4/22 撮 高18回 高田)
桜情報 飯島
- At 4月 15, 2020
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昨日(4/14)はいい天気でした。となると今回は・・・
昨年飯島出身の野原さん(高18回)から頂いた情報をもとに、飯七久保の慈福院に行ってみました。目的の桜の手前にももう一本。同系と思われる枝垂れ桜がありました。先ずはツーショット的に1枚。
時期的にはちと遅かったようです。多分ピークはもっと紅い桜かと思います。電線が・・・
慈福院の方は大きな枝垂れ桜ですが、ちょっと狭く引きが短い。光の方向も時間的に遅く逆光気味。
裏側から超広角で撮ってみました^^;大きい古木です。
推定樹齢は400年超えの様です。飯島町の天然記念物に指定されています。
最後にもう一枚^^;説明板です。
続いて千人塚へ行ってみました。皆さんもキャンプ等でおなじみの場所ですよね。高台だけあって、桜はまだ3分咲き程度。
遊歩道を先に進んで振り返ると・・・
更に先へ進むと、新雪で化粧された南アルプスがきれいでした。
山の名前ですか^^;この表示板と照合してみてください。古くなって表示が分かり難いですね。
この千人塚城ヶ池は、全国ため池100選に選ばれています。元は北山城の堀だった所を利用して、農耕用にため池を造ったとの事です。昔中学校でキャンプをした頃と比べると、ずいぶん奇麗に整備されていますね^^;
駐車場の方には満開の桜もありました。
千人塚には他にもこれから咲く八重桜があります。更に花桃もあるので、この先も暫く花が楽しめますね。
さて、お次は・・・依田切公園へ行ってみました。桜のトンネルを楽しめます。
沢山の桜があります。何本あるのでしょう?桜は全てソメイヨシノの様ですね。
キャンプ場の近くに名水『越百(コスモ)の水』があります。中央アルプスの越百山(コスモヤマ)を水源とする地下水で、信州の名水15選に選定されているそうです。次はペットボトルを用意して来なくっちゃ^^
帰りは七久保の道の駅へ。そこからの南アルプスもまた格別です。
山の名前ですか^^; 左端の尖った山が塩見岳、右へ本谷山、烏帽子岳、小河内岳、荒川三山、小赤石岳、赤石岳 ですね。
(4/14 撮 高18回 高田)
花散らしの雨!
- At 4月 14, 2020
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雨の月曜日(4/13)全国的に荒れ模様だったようですね。こちらも結構激しい雨でした。花散らしの雨と言えそうです。
大宮通りの桜並木はどうなっているでしょう!踏切近くからラウンドアバウト方向へ移動しながら見てきました。
ちょうど遮断機が下りて電車も通貨。花弁はかなり落ちていますが、未だ咲いていますね^^
ラウンドアバウト付近です。かなり散っていますね。
中電横からりんご並木方向はもうほとんど散ってしまいました。戻って検察庁前の交差点、信号がちょうど赤^^ この辺りもかなり散っています。
ラウンドアバウトを過ぎた辺り。
東新町-錦町の交差点、ここも赤信号でパチリ^^ この辺りはまだ大丈夫の様ですね。
大宮神社前、先に咲いたエドヒガンはほぼ散り果て、ソメイヨシノがまだ頑張っています。
今度は中央公園です。
この雨でかなり散ったようですね。
鼎の松川プールへ行ってみました。
花筏を期待したのですが、それは無し。。。
土手には沢山散っているのですが・・・
河川敷の並木も、地面の花弁の方が多いような^^;
雨の日の花見も、なかなか乙なものですね^^
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新型コロナウィルス情報です。
4/13 、新たに0歳の乳児を含む7人の新型コロナウイルス感染が確認され、県内で感染が確認された人は36人となりました。7人の内訳は、伊那保健所管内で4人、松本保健所管内で1人、長野保健所管内で2人。
飯田保健所管内はというと、3/27に東京から帰省した若者 1人の感染確認。その後、彼の家族、友人など4人の感染が確認されています。そこからの感染は広がっていない模様です。なかなか治まりませんね。
(4/13 撮 高18回 高田)
さくら情報 野底山~新田原
- At 4月 12, 2020
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大宮通りの桜並木は満開から散り始めています。市内の桜ライトアップは終了しました。
野底山森林公園には、良い感じの枝垂れ桜があります。
別の方向から。光の向きで色も違ってきますね。
此処には木造校舎があります。上郷の高陵中学校が建て替えられた際、旧校舎の一部が移築されたものです。昭和26年に建てられた校舎で、移築は昭和57年でした。桜とのコラボが良いですね。
山田体育館の少し先に比較的新しい桜があります。桜の下にブルーシートを広げ、くつろいだら楽しそうですね。地元の方たちが宴会用に植えたのかな?^^;
高森に気になる桜があります。果樹園の中にある一本桜、新田原のエドヒガンです。去年、季節外れの大雪で枝が一部折れました。この写真は折れる前に撮ったものです。
今年はどうなっているのか、見てきました。この角度からだとあまり分かりませんね^^一番高くなっていた枝と、中央の下の方が折れたようです。
よく見ると、折れた所は切断されていました。切り口のコーティングが無いような・・・ちょっと気になりました。
別の角度から。
樹齢は300年ほどとの事ですが、ここも支えがありません。しっかりした木ですから、この先も楽しめそうですね^^
(4/10・11 撮 高18回 高田)
月見で夜桜
- At 4月 08, 2020
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今夜(4/8)はスーパームーン。今年一番月が大きく見えるようです。まぁ肉眼ではよく分からないと思いますが^^;お天気は?
昨夜(4/7)は雲もなくきれいに見えました。満月前の14夜ですかね?
で、夜桜と月を撮ってみました。安富桜の名で親しまれている、長姫のエドヒガン。
近くの夫婦桜です。こちらから見ると支えだらけですね。上に見えているのは月ではなく星です^^;
月と絡めるのは難しい。
黄梅院の枝垂れ桜です。先ずは定番の位置から。
月と絡めると・・・
大宮通りの桜並木です。ここは夕方にも撮っていました。
夜は・・・
月は・・・
今夜のスーパームーン、きれいに見えるといいですね。
(4/7 撮 高18回 高田)
桜情報 上郷~麻績~松源寺
- At 4月 07, 2020
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今年の桜は進行が早いですね。桜巡りも追いつかないかも^^;
高校近くの正命寺境内にある、高松薬師堂の枝垂れ桜です。
日が経つに連れ、色が薄くなってきましたね。
麻績の里 舞台桜です。
普段は人が多くてこんな写真は撮れないのですが、今年は少し待てば誰もいないタイミングで撮影できます^^;
花弁の数が5~10枚という半八重枝垂れ紅彼岸桜で、ここにしかない桜です。
咲き始めの頃はもっと紅い花ですが、だんだん白くなってきました。桜吹雪も始まっているので、花を楽しめるのも後僅かですね。
近くには石塚桜があります。古墳の上に立つ枝垂れ桜です。
元善光寺にも沢山の桜があります。
宝物殿の近くが良いですね。紅い瓦とのコントラストが面白い^^
大河ドラマで有名になった、高森の松源寺の桜です。ここも既に白くなっていました。
この先に松岡城址公園があります。そちらから振り返って見ると、全体が良い感じです^^
城址公園にはソメイヨシノが数本。先端に形よく立っているこの桜は・・・
残念なことに、てんぐ巣病にやられています。もじゃもじゃっとした処がそれです。
この部分を切り取れば良いのですが、この場所には高所作業車が入れないので、其れも難しい。
詳しくは⇒ てんぐ巣病から ‛ 染井吉野 ’ を守ろう
新型コロナウィルス、長野県の感染者は5/7 時点で14名。いずれも県外で感染して来た人とその身近な人。飯田保健所管内では2名との事です。普段も静かな丘の上ですが、更に人が居なくなった様な気がします。早く終息して欲しいものですね。
(4/5 撮 高18回 高田)
桜情報 市街地~山本~阿智
- At 4月 04, 2020
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この処ぐずついた天気が続いていた飯田下伊那地位方ですが、4/2・3 はいい天気でした^^
とは言え、コロナウィルスの影響で桜観光もひっそり。
来るに来れない方も多いと思いますが、今年は私の写真で我慢してください^^;
大宮神社の桜です。
桜並木はこの神社から始まっているとも言えます。今年の桜は早いですね。早くに咲いた枝垂れ桜はもう散り始めたところもあります。
大宮神社を紹介したら今宮神社もですね。
今は球場となっているこの辺り、昔は桜の名所でした。校歌にも「春今宮のさくら花~♪」と歌われていますね。昭和22年4月20日に飯田市の大火がありましたが、その際多くの市民がここで花見を楽しんでいたそうです。
丸山小学校の通学路です。桜のトンネルになっています。
専照寺の枝垂れ桜です。この鍾楼門を抜けると正面に釈迦如来像を包むかの様に在ります。
今年も良い色に咲きました。
黄梅院の枝垂れ桜です。ここもまたいい色なんですよ^^
美術博物館の長姫のエドヒガン。この大きさで支えが無い桜って珍しいですね。幹というか土台がしっかりしています。
隣の桜は特に名がありません。私は勝手に春草桜と呼んでいます^^
愛宕神社の桜、清秀桜です。樹齢800年といわれ、この辺では一番古い桜です。
こちらは樹齢200年と言われる千代蔵桜。
大瀬木まで移動。増泉寺の枝垂れ桜です。
次は山本の杵原学校。元山本中学校の木造校舎が保存されています。
桜は最初の卒業生が植えたそうです。
阿智の弘法様の桜です。国道沿いにありますが、気が付く人は少ないかも。
阿智の安布知神社です。鳥居から参道が桜並木になっています。ソメイヨシノはこれからですね。
今度は八王子神社の夫婦桜。昼神温泉の橋の上からも見えます。桜の下に物置が出来てしまったのはチト残念^^;
それにしてもコロナウィルスはこの先どうなるのでしょう?4/3の時点で長野県の感染者は10名。内 飯田保健所管内は2人との事です。
イベントも次々中止。4/3は聖火リレーが通過予定でしたが中止。桜まつりも中止。4月のやまびこマーチも中止。5月の自転車レース ツアーオブジャパンも中止です。
(4/2・3 撮 高18回 高田)
桜情報 上郷~天竜峡
- At 3月 27, 2020
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飯田下伊那地方、今日は雨ですが昨日(3/26)はとても暖かい春そのものの陽気でした。では桜は・・・桜並木のソメイヨシノは未だそんなには花が付いていません。それでも開花宣言には十分な数が咲いている木がありました。という事で開花宣言は3/26が正解ですね。
早咲きのマメサクラの近くの木です。
念のため以前の標準木も見てきました。旧測候所の裏庭に在ります。こちも咲き始めでした。
それ以外の桜の状態もお知らせしていきますね。旧測候所から坂を下りて行くと、加賀沢白山社のエドヒガンがあります。ここも咲き始めています。
上郷の雲彩寺のシダレサクラは、先日全国ネットのTVで紹介されていました。報道ステーションだったかな?違っていたらごめんなさい^^;
入り口の山門は飯田城桜丸西門を移築した物。寺の裏側には天神塚古墳もあります。
桜の下には水子地蔵尊があります。
直ぐ近くの経蔵寺の桜も良いですよ。ここの山門も飯田城桜丸の門で、赤門が建てられる際に家老屋敷に移され後にここへ移築された物です。
エドヒガンと2本のシダレサクラがあります。
上郷の中安の桜です。老化が進んでいると思っていたのですが、今年は奇麗に咲いています。色が濃いエドヒガンです。
毛賀のくよとの桜です。もう少しで満開でしょうか。「くよと」は供養塔からの名です。この辺り一帯は、松尾城の小笠原氏と鈴岡城の小笠原氏が戦った戦場でした。
桐林の二子塚古墳近くの桜です。年々いい感じになってきています。
天竜峡の標準木は満開ですね^^
商店街と公園の間に夫婦桜があります。撮影距離が短いので、撮影が難しい^^;
下久堅の知久平にある三石の桜です。桜の近くに三つの巨石が組み合わさった祠があります。ここも距離がとれないので、どう撮ろうか悩む桜です^^;
松尾まで戻ったところで、水佐代獅子塚古墳の桜です。お立ち符の桜とも呼ばれています。
此処には奥にもう一本、色の濃い桜があります。
以上一日で回れるのはこのくらいですね。コロナウィルスの影響で会合や宴会も自粛が求められています。団体でなければ、こんな時は屋外の桜を見て回るのも良いのかな。
(2/26 撮 高18回 高田)
開花宣言
- At 3月 24, 2020
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3/22に大宮通り桜並木で開花宣言が出ました。⇒SBC放送
でもちょっと違う木で宣言してしまったみたいです。この木には「ソメイヨシノ」のネームプレートが付いていますが、花の色が紅いのが気になります。
以前は大宮通りに標本木がありましたが、二年前にこの標本木は枯れてしまいました。(下の写真 2018・3/27 撮 最後の開花)去年は、旧飯田測候所にある以前の標準木で開花宣言されました。そちらは未だ咲いていません。
二つの写真を見比べると花の色が違うと分かります。花が紅色のソメイヨシノ?
イエイエ、そんな物はありません。何故ならソメイヨシノはクローン種なので、全て同じです。全国共通の桜なので、開花宣言はソメイヨシノなのです。
ウィキペディア⇒ソメイヨシノ
色が違うソメイヨシノなんて無いのですよ。
でも開花宣言はOKです。別の小さな木ですが、ソメイヨシノが咲いていました。まぁ小さな木は地面に近い分反射熱で早く咲きますが^^;つぼみはピンクですが、花は白くなります。
今年は暖冬のせいで、開花が早いですね。あちこちで一気に咲き始めました。並木横の検察庁の枝垂れ桜も咲いています。
東中の枝垂れ桜もきれいになってます。
そう、たかまつ桜もいい感じですよ^^去年より花が賑やかな気がします。手入れの効果が出たようですね。
飯沼の石段桜も咲いています。
座光寺の再見塚古墳も咲いています。ここは例年早く咲いて早く散る桜です。
飯田下伊那は一本桜の名所で、桜観光でも大勢の方が来ています。でも今年はコロナの影響で少なそうですね。桜の観光シーズンも短そうな気がします。
(3/23 撮 高18回 高田)
温故知新 ⑩ 熊谷 元一(中28回)
- At 3月 22, 2020
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元一は(もといち)と読みます。暫く前までですが、私は恥ずかしながら(げんいち)と読んでいました^^; 写真家であり童画家としてもよく知られた方ですね。1909年7月12日に阿智村で生まれ、 2010年11月6日に武蔵野市の老人施設で亡くなられました。101歳でした。
飯田中学卒業後、昭和5年に阿智村の小野川小学校で代用教員となりました。翌年、童話の挿絵を「童画」と名付けた武井武雄に師事し「童画」を書き始めました。昭和9年には初めての絵本を執筆しています。写真を撮り始めたのは昭和11年からで、それを勧めたのは童画の師 武井武雄でした。昭和13年には写真集『会地村: 一農村の写真記録』を朝日新聞社より出版しています。
昭和14年、拓務省(後の大東亜省)の専属カメラマンとなり上京。満州へ渡り国策だった満蒙開拓を撮影。しかしこの事で負い目を感じていた様です。
戦後は村に戻り智里東国民学校に復職。昭和20年、農林省農業総合研究所在村研究員となり、村の婦人生活を研究テーマとして調査・撮影。岩波写真文庫「かいこの村」「農村の婦人」を出版しました。
昭和30年には、『一年生 ある小学教師の記録』(岩波書店)により、第1回毎日写真賞を受賞。これによって一躍写真家として注目されるようになりましたが、相変わらず先生は続けていました。
昭和41年、教師退職を機に、清瀬市に転居しました。なぜ阿智を離れたのでしょうか?
平成6年には、毎日出版文化賞、また地域文化功労者として文部大臣の表彰を受けました。
昭和63年に阿智村は「ふるさと童画写真館」を建設し(のち「熊谷元一写真童画館」に改称)、熊谷元一本人から寄贈を受けた写真作品(約50000点)の紹介を行っています。⇒熊谷元一写真童画館
という事で私も行ってみました^^
受付は保存会のボランティアの方々が交代で行っているとの事でした。
館内は基本撮影禁止なのですが、今回は特別に許可してくださいました^^
展示室に入ると、数々の受賞を物語る賞状などが展示してあります。
その裏側には第1回毎日写真賞の受賞作『一年生 ある小学教師の記録』に使われた写真の数々。
子供たちの日々の情景が写されています。
表情が良いですね~!カメラを意識させないで撮る、常に生徒の身近に居る先生ならではですね。
シャッターチャンスも素晴らしい。桜をバックにブランコの少女、決まってますね!
これも良いタイミング。一見ボケている様にも見えますが、ピンボケではありません。男の子が動いてブレているのです。教室内ですから、シャッタースピードは1/30秒以下でしょう。それが返って臨場感を生んでいますね。この後はどうなったんでしょう^^
今回は三六災害を記録した特別展がありました。
地元の阿智村だけではなく、被害が大きかった川路や大鹿村も写されていました。川路には商店街があったんですね。知らなかった。
大鹿村は大西山の崩壊で大きな被害が出ました。
今は整備されて大西公園となり、桜の名所になっています。高台からは大西観音が町を見守っています。
それにしても当時よく大鹿まで行ったものだと感心してしまいました。道路も寸断されていたと思います。館の方は、自転車で行ったのではないか?と想像されていました。それにしても報道関係者なら頷けますが、学校の先生がです。私には何となく分かる気がします。カメラを使う人間としてこの惨事は記録しておかなければ、と思ったのでしょう。
実は当時中学生だった私も、近所の撮影をしています。残念ながらフィルムは残っていません。プリントも僅かです。撮影している私を見た当事者の方に「この馬鹿小僧、写真なんか撮ってる場合か!」と怒鳴られてしまいました。その時今宮町で撮った写真ですが、本邦初公開です^^;
懐かしい情景の写真もありました。昔の我が家も似たようなカマドがありました。
2階には童画が展示されています。
制作に使った筆や絵の具類も展示されています。
柿の皮むきも懐かしさを感じます。昔の我が家にも数本の柿の木があって、似たような作業をしていました。これほど大規模ではありませんが^^;
このようなシーンもあまり見かけなくなりましたね。昔は飯田でも豚を飼っている農家が多かったのですが!
この「いろりばた」の絵はどこかで見たような気がしました。
帰ってから記憶を頼りにファイルを探してみると、ありました^^今宮半平の五平餅の包装紙ですが、似た絵が使われていました。
作品はここで紹介した物が全てではありません。「熊谷元一写真童画館」、昼神温泉を訪れたら是非お立ち寄りください。
今回の取材でとても親近感を感じたのですが、残念ながら生前の先生にはお会いした事がありません。お名前は聞いた事がありましたが、地元の方で高校の大先輩とは恥ずかしながら知らなかったのです。
これが悔やまれますね~。一度会って話を聞いていたら、私の写真も少しは変わっていたかも^^;
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この先の話はあまり知られていない事なので、書こうかどうしようか迷いました。
先生にはトラウマがあったようです。阿智村には満蒙開拓平和記念館が在るくらい、多くの方が開拓にが行きました。満州に渡った方達は悲惨な目にあっています。国の依頼で満蒙開拓を撮影したのですが、その写真に刺激されて満州へ行った方も多かったのでは、と悔やんでいたようです。
もう一つ、悲劇がありました。それは第1回毎日写真賞を受賞し、村で展覧会の準備していた時です。昭和30年9月4日、日曜日、学校プール開放の最終日でした。先生たちは教室で展覧会の準備中でした。会知の小学校と中学校は左右に隣接していて、プールは共用でした。一人の小学生が中学生用の深い方へ行って溺れてしまったのです。騒ぎを聞いて先生たちが駆け付けました。溺れたのは芦沢宏文君、熊谷先生のクラスの子でした。
通夜の席で亡くなった生徒の親戚の方から、先生に怒号が浴びせられました。「あんたが、写真ばっかし撮ってるんで、そいで宏文は死んだんじゃあないのか」彼は次々と「カメラなんか、持って、金持ち面して」「写真展もやめちまえ、こんな時に、なにが展示会だ」「もう写真は、とらんでくれ、宏文がかわいそうと思うなら、もう写つせんはずだ」先生は「すみません。もう撮りません」としか言えませんでした。
「やめてくんろ!!」突然、宏文くんの母親が叫びました。「宏文が死んだのは、カメラのせいでも先生のせいでもないだに。宏文に注意がなかったずらに、三年生にもなって、気を付けろといっといたのに、深い方に行って、自分が悪かったんな」「先生、明日から展示会、必ず開いてくんな。宏文は永遠の一年生です。他の子は、みんな大きくなっていくだが、宏文は一年生のままだに。ずっとこんさきも。展示会で、そのことをみんなにみせてやってくんな。先生、写真展、やめたら、宏文は、永遠に忘れられちまうだに。お願いしますだ。それから、先生、一年生の写真、これからずっと撮りつづけてくんな。それをひろふみの供養としてくんな」
詳細はこちら⇒ 創作秘話 永遠の一年生
当時の会知小学校は、今の阿智第一小学校です。
プールは今もほぼ同じ場所にありますが、小学校専用ですね。
(3/18 撮 高18回 高田)