在京同窓生 近著のご案内
- At 10月 01, 2020
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在京同窓会HP担当、三ツ橋史緒子さん(高22)より、下記案内が届きましたので紹介いたします。
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①:牧内 雪彦さん(中47回)より、自著出版の案内を頂きましたのでお知らせします。
書名 ⇒「龍峡小唄ものがたり」
出版社 文芸社
価格 1,650円
発売日 2020年9月1日
内容 長野県飯田市にある峡谷「天龍峡」が昭和2年、日本を代表する25の景勝地のひとつに選ばれたのを契機に、翌年発表された新民謡「龍峡小唄」。
その、自分たちの故郷の素晴らしさをより広く知ってもらおうと奮闘する青年たちの中心人物である、後に「下伊那郷土民謡集」「信濃昔話集」などをまとめ、地域文化の再生に尽くした「牧内武司氏」の人生を辿った一冊です。
【古畑恒雄氏(高3回)からの感想】
御紹介の著書は,牧内雪彦氏から謹呈を受け,一気に読了しました。一著は,雪彦氏が父武司氏に成り代わって,その生涯を自分史風にまとめたもので,いわば「父恋い」の異色ある著作です。
しかし,主情に流されず,郷土史資料としても十分に価値のある好著であり,文章も流麗であり,愉しく読むことができます。
自費出版とのことであり,できるだけ多くの同窓生の皆様方に購読していただきたく,お勧めする次第です。
(牧内雪彦さんは、まだ現役の『稲穂』編修委員です。)
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②:在京同窓生が携わった絵本が刊行されましたので、お知らせします。
下平紀代子さん(高32回)、茂木立みどりさん(高36回)による編集です。
書名 ⇒「コロナウイルスのころなっちとぼく」
作・絵/近藤えり
監修/宮沢正顯(高27回、近畿大学医学部免疫学教授)
版元/チャイルド社
定価/1540円(税込)
【編集者より】
新型コロナウイルス感染症にかからないためにはどうしたらいい?
手洗い・顔洗い・うがいのやり方、マスクの使い方は?
など日常の注意点を子どもたちにもわかりやすく伝えます。(対象年齢/読んであげるなら2歳から 自分で読むなら4歳から)
ミヤネ屋でもお馴染み、宮沢先生の解説付きで、大人も一緒に学べる絵本です。
書店、チャイルド社HP、インターネット等でお求めいただけます。
(下平さん、茂木立さんは、共に正副編集委員長として奮闘中です。)
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以上、お知らせいたします。
(高18回 高田)
原敏裕さん(高19回)より、自著「コロナの日々」
- At 9月 21, 2020
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在京同窓会HP担当、三ツ橋史緒子さん(高22)より、下記案内が届きましたので紹介いたします。
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原敏裕さん(高19回)より、自著出版の案内を頂きましたのでお知らせします。
原さんはすでに何冊かのエッセイ集を著作しており、当ホームページ(在京同窓会)でも紹介しています。今回は・・・
書名 「コロナの日々」
出版社 ブイツーソリューション
価格 990円(Amazonにて販売)⇒「コロナの日々」
発売日 2020年8月20日
内容:日々の報道で繰り返される現実の映像を見るにつけ、これは絵空事ではないと思い知らされた。新型コロナウイルスの感染が拡がるなかで、日々思いかつ感じたことがらを自然体で書き綴ったエッセイ。
【著者より】
飯田高校同窓会関連の皆様へ
今年は年初から新型コロナ感染の影響で世の中がコロナ一色となってしまいました。小生はいまだ終息の兆しが見えてこない新型コロナ禍に吹っ切れないモヤモヤ感を覚えていますが、皆様はその後如何お過ごしですか。
コロナ問題と相対する日々のなかで実に様々なことを感じかつ考えさせられました。 私事で恐縮ですが、今般、それらを書き綴ったエッセイ本を出版しましたのでご参考までに。
飯田線について・・・田中義訓さん(高18)より
- At 9月 20, 2020
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F組 田中義訓です。
お久しぶりです。同窓会HP毎回楽しく拝見しています。
特に、古墳群、今回の飯田線秘境駅については興味深く読ませていただきました。
私は二十歳の頃から廃線跡に興味を持ち、北海道から九州まで車で行ける所は随分と行きました。
かってその線に乗ったことも有り、数十年経っても、枕木やそのあとがのこっているところも有り、感慨深いものが有ります。
飯田線についても、平岡から南に、付け替えによる廃線跡が何箇所もあり、数回訪れています。
特に、大嵐、中部天竜間は佐久間ダムによって水没しているので、大部分は見ることができませんが大嵐の駅を出てすぐに岩むき出しの隧道が有り、隧道出たところを左に進むと、半分水没した隧道か1、2本見られます。
対岸から眺めるともう1本位見えるかもしれません。
ここは昭和29年頃に、伊勢参りに行った折に、トンネルと明かり区間が次々と連続していたので、記憶に鮮明に残っているのです。帰りに佐久間ダムの建設現場を見学し、巨大なダンプカーと索道に吊り下げたバケットで、コンクリートを流し込んでいる所も見ました。
ここの記録などを探したところ、ネット上に⇒『ヨッキれん/平沼義之/山さ行がねが』と言うブログが有り、詳細な記事、写真が出ています。
現線の秘境駅は千代、金野しか行っていませんが歩けるうちに行ってみたいと思っています。
北川稔夫さんの記事も大変参考になりました。
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田中さん、情報ありがとう御座います。
佐久間ダムの建設現場を見ているというのは貴重な体験ですね。実は私、未だ佐久間ダムへ行っていないんですよ^^;前々から一度行きたいと思ってはいるのですが、未だ実現できていません。
もし秘境駅巡りを予定されている様でしたら、⇒青空フリーパス という切符が便利でお得です。(平日は使えません)1日乗り降り自由のフリーパスです。
私はこれで豊橋迄日帰りで行ってきました。今は少し高くなっていますね。多分消費税分ですね。行きは一部急行券を買って乗りましたが、帰りは鈍行のみでのんびりと^^
(高18回 高田)
飯田線について ・・・ 北川稔夫さん(高18回)より
- At 9月 19, 2020
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北川稔夫です
秘境駅ブームですが、現在は災害で不通になってしまい本当に秘境駅になっていますね。
最近参加している学習会で昭和始めの伊那谷の交通事情について調べています。東京方面は伊那電が辰野天竜峡間までが開通して便利になったようですが、名古屋、関西方面は苦労したようです。
中央本線が木曾谷に開通すると塩尻回りで行くこともできたが、それまでは中津川まで中央線が延びると神坂峠越え、三留野まで来ると大平峠をしたようです。当時の修学旅行は峠を歩いて越えたようです。大正の終わり頃には大平街道をバスが走るようになり昭和12年三信鉄道が開通するまではおおいに利用されたようです。面白いことに豊橋まわりで名古屋へ電車でいけるようになったのに翌年には名古屋飯田間へ現在の国道153号へ急行バスが登場、約5時間で1日3往復走っていたようです。
昭和50年中央道が開通するまではバス、鉄道で競争していたようです。特に飯田線は急行や準急の6両編成を走らせていて、飯田線の全盛時代だったようです。しかし高速道路の開通には歯がたたなかったようです。調べてみますと名古屋飯田間は現在でも153号線ルートを路線バスと地域コミュニティバスで繋がっているそうです。ちょっと不思議に思うのは現在の快適国道なら知らず、あの悪路の国道を5時間かけて名古屋飯田間を乗り通す客がいたのだろうかとおもいます。高1の夏休みに根羽の級友に招かれて根羽までバスに乗ったことがありますが席は満席だった覚えがあります。
今地方の路線バスは衰退の一途ですが信南交通も山深い僻地までバスを走らせていたことでしょう。その辺の事情を調べてみたら面白いとおもいます。
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北川さん、投稿ありがとう御座います。
大平峠を歩いて超え中津川から中央線で・・・という修学旅行の話は、昔聞いた事があります。誰から?小学校の先生からだったかもしれません。
中央本線へは、中津川駅と飯田駅を結ぶ中津川線が計画された事がありましたね。昭和42年に工事が始まったのですが、予想外の難工事。しかも昭和50年、中央自動車道の恵那山トンネルが開通。高速バスの運行も始まりました。こうなると、当初予想された利用客も大幅に下方修正。採算が取れないとみなされ、工事は昭和55年に凍結されました。その痕跡は、今もわずかに残っています。二ツ山トンネルがほぼ完成していて一部が残っています。
意外な副産物もありました。神坂トンネルの飯田寄り(昼神)で、水抜きボーリング工事中に温泉が湧出したのです。これが昼神温泉の始まりですから、何が幸いするか分からないものですね^^
信南交通は高速バスがドル箱ですね。これによって僻地ルートなどの赤字を埋めていると思われます。
(高18回 高田)
中島隆夫さん(高18回)より、郡上八幡城の桜
- At 4月 20, 2020
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いつも、たくさんの桜情報ありがとうございます。
例年ですとゴールデンウイーク前後に帰阪し、故郷の景色を眺め、絵の材料となる場所探しをしている頃ですが、今年はコロナによる自宅待機で外出もままならず、楽しみである孫たちと会うことも控えている次第です。
戦争を知らない世代として、今思えば比較的幸せな時代を過ごせてきた我々ですが、人生後半戦でウイルスという得体のしれない化け物に遭遇してしまったようです。
勿論、我々のみならず全世代、全世界の人々にとっての脅威かと思いますが、こんなときこそ年長者となった私たちの言動が大切かと思います。
書いているうちに、信州人の癖でつい理屈っぽくなってしまいました。
何年か前に、郡上八幡城を訪れたときに描いた絵を添付いたします。
これからも故郷の情報よろしくお願いいたします。
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中島さん、ありがとう御座います^^
いつもの帰省も今年はままなりませんね。私も今年は孫と会えません。
緊急事態宣言が全国版になりましたね。長野県も自粛・自粛です。
長野県の感染者は、また5人増えて4/19時点で52人。
52人目は、東京都から松本保健所管内への帰省者との事で、ここからの感染が心配です。
幸い飯田保健所管内では、4/9以後の広がりはありません。
かといってここは安全、とも言えない気もします。時々県外ナンバーの車を見かけます。大丈夫か?
早く治まってもらいたいものですね。
(高18回 高田)
山田孝久さん(高18回)からの情報
- At 4月 08, 2020
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近畿大学教授の宮澤様は飯田高校のOBです。
新型コロナウイルスの解説者で今日、NHKに出演していました。
凄い方がいらっしゃいますね。
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との情報をいただきましたので、調べてみました。
宮澤 正顯(みやざわ まさあき)さん 高27回、東北大医学部卒。
近畿大学医学部教授、近畿大学大学院医学研究科長。
NHKの番組とは別ですが、新型コロナウィルスの解説動画がありました。
こちらをご覧ください⇒新型コロナウイルス感染症対策講座
分かりやすいですね。皆さんも参考に!
(高18回 高田)
22日の朝日新聞天声人語に卒業生の事が書いてあります。
- At 3月 24, 2020
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飯田高校同窓会の皆さん、こんにちは・・・!
本日(3/22)の朝日新聞の天声人語の欄に、3年前に総会で講演をして頂いた石田瑞穂さん(高14回卒)の事が『一人の女性の話』として、彼女が日本地震学会会長を務められた時の事が書かれていました。
朝日新聞を購読されている方は天声人語を読んでみてください。
⇒ 3/22 天声人語
(朝日新聞デジタルは有料です。その部分までの全文は読めません。実紙面をご覧ください。)
関西支部:馬淵 洸(高14回)
著者の関口高史さんより
- At 3月 09, 2020
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先月ふるさと情報便にて紹介しました「誰が一木支隊を全滅させたのか」の著者 関口高史さんより、お便りをいただきました。
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はじめまして。拙著を紹介していただき、感激です! 拙著は一木大佐のことを、もっと郷土の方に知っていただきたいと思って書いたものです。
これは平和の大切さと、戦争の悲惨さを知ることでもあります。高森町で講演をさせていただいたり、南信州新聞でも拙著を取り上げていただきましたが、高田様の玉稿にはかないません。ありがとうございます。
もし、私にもできることや、ご質問などがありましたら、お気軽にメールしてください。引き続き、よろしくお願いします。益々のご盛会を祈念しています。突然のメール、何卒、ご容赦を! 関口高史 拝
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紹介させていただいた本の著者の方から、このようなお便りをいただのは初めてです。ありがとう御座います。感激です!採り上げて良かったと思いました^^
本書を提供してくださった北川 稔夫 さん(高18回)にも、改めてお礼申し上げます。
文中にありました南信州新聞の記事です ↓
興味を持たれた方は、実際の本をご覧ください。ネットからも購入できます。アマゾン⇒誰が一木支隊を全滅させたのか
(高18回 高田)
井深雄二さん(高22回)より山口阿藤について
- At 2月 22, 2020
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前略、本校同窓会「ふるさと便り」2019年10月31日に、横山八十一さん(高24回)からの投稿「校歌について」があり、その解説文が掲載されています。
しかし、その中で校歌の中で「血ある女と歌われし」と詠み込まれている山口阿藤について、「色々読んでみると、実際には私的な恨みつらみが積み重なって・・・の事だった様です。」と書かれているのはどうしたことでしょう。
色々の中に、例えば神林尚子氏(鶴見大学助教授)の「『烈女ふじ』像の生成-幕末・明治期の文芸にみる流布と成長」(東京大学国語国文学会『国語と国文学』第96巻第1号、2019年1月)は含まれているのでしょうか。山口ふじについてはいろいろ語られてきてはいますが、彼女の事跡を学問の対象として初めて究明したのは神林さんです。そして、現在の時点では、山口ふじが若山を刺殺した動機は不明と結論づけています。
私的恨みつらみ説は、恐らく本校の校歌の源の一つ安井息軒の「阿藤伝」で彼女が称揚されていることを批判した三田村鳶魚の「お大名の話」が淵源で、最近本校の卒業生でもある大平栄一郎氏の『激動の飯田藩と烈女不二』(南信州新聞、2009年)でも三田村説が採られています。
しかし、柴田錬三郎『梅一枝』(集英社文庫、2008年)では、小説とは言え、列女として描かれています。
阿藤の墓のある長源寺の住職(本校の卒業生)は、鳶魚説による大平氏の小説をフィクションにフィクションを重ねたものと惜しまれています。 阿藤の事跡の評価は、作詞者の福澤悦三郎先生や本校の名誉に関わるもので、軽々しく論ずべきものではないはずです。
私は、今教育史研究の一環として山口ふじ研究をしています。いずれ、論文等により発表したいと思っています。それまで、「ふるさと便り」に掲載された阿藤の評価は保留しておいて下さい。
22回生 井深雄二 (以上改行以外は原文のまま)
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との投稿をいただきました、ご指摘ありがとう御座います。
列女と称えられている山口阿藤ですが、調べてみると私的恨みつらみ説もありました。こちらはあまり知られていないので「・・・の様です」と紹介したのですが、あたかもそれが事実の様に受け取られかねない不適切な書き方でしたね。
その部分は「色々読んでみると中には・・・という説もありました」と修正致しました。
>評価は保留しておいて下さい。 との事ですが、私ごときが評価などしたつもりも、するつもりも御座いません。
井深さんが挙げている神林尚子氏の論文です⇒藤本藤陰『藤の一本』と『烈女お藤』
(「『烈女ふじ』像の生成-幕末・明治期の文芸にみる流布と成長」ではありません)
三田村鳶魚の書いた本 ⇒「お大名の話」
大平栄一郎(栄一)氏(高18回)の本はこちら⇒激動の飯田藩と烈女不二
校歌の3番については、多くの同窓生もとり上げています。中でも木下秀人さん(高3回)が事細かに書かれているので紹介致します。⇒飯田藩補遺―山口お藤と太宰春台
井深さん(奈良教育大学教授)も、山口ふじ研究をしていていずれ論文等により発表したい、との事ですので、その際にはこちらへの投稿もよろしくお願い致します。
(高18回 高田)
横山八十一さん(高24回)から 校歌について
- At 10月 31, 2019
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はじめまして。
高24 348の横山と申します。
ふと校歌を思い出し、同窓会のホームページにたどりつき一番までは歌えたのですが、「これ、どう読むの?」という感じでした。
で、あれこれ調べて(音源も聞きましたが聞き取りにくかったので)添付のPDFにまとめてみました。よければホームページに掲載し、私のように困っている人を助けてやってください。(笑)
また、ルビが間違っているようでしたら訂正しますのでご教示ください。
よろしくお願いいたします。
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との事ですが、このままでは横山さんもご不満かと思いますので、補足してみます。特に3番は馴染みが無いので、今回はこれを掘り下げてみたいと思います。
3番は私も歌った記憶がありません。合唱の際も「校歌~~ 1番・2番・4番~ソレ!」と言った感じでしたね。歌詞も初めて見たと言っても過言ではありません。内容も他とは異なりますね。1・2・4番は主に飯田下伊那の自然を詩っていますが、3番は二人の著名人を採り上げています。でも、どう言う人?と思われる方も多いかもしれませんね。
太宰春台は、県歌「信濃の国」にも出て来ますが、山口阿藤(おふじ)はご存知でしょうか?
>遊惰(ゆうだ)の世よりぬけ出でて 骨ある儒者の名を得たる
春台の父は下野国烏山藩士(栃木県那須烏山市)でしたが、藩主 堀 親昌(ほり ちかまさ)の移動に伴って飯田藩士となる。春台は飯田で生まれています。しかし藩主が堀親常に変わると改易され、一家は浪人として江戸へ出ました。春台は苦学して、漢詩・天文学・地学・朱子学などを懸命に勉強しました。
遊惰とは、仕事もせずぶらぶらしている事。春台は其処から抜けて高名な儒学者となった、と言う事ですね。36歳の時、本格的に研究・執筆活動に入るとともに江戸の小石川に塾を開き、多くの門下生を育てました。また「経済」と言う言葉を広めた人でもあります。(写真はクリックで大きくなり、多少は読みやすくなります)
確かに飯田生まれですが、飯田に居たのは9歳の頃まで^^; 生誕地の中央通り3丁目には太宰邸址の石碑と太宰松があり、昭和9年に長野県史跡天然記念物に指定されています。樹齢300年の松は飯田大火で焼けてしまい、今あるのは2代目です。
かつてはここに「太宰楼」と言う料亭がありましたが、その後 西友になり今は労金になっています。先日の獅子フェスでは此処も演舞場の一つでした。
蛇足ですが、本町4丁目の烏山稲荷社は 堀 親昌 が下野国烏山から移したものです。
>侫諛(ねいゆ)の俗(ぞく)を退(しりぞ)けて 血ある女(おみな)と謳(うた)はれし
山口阿藤(おふじ)は飯田藩士山口弾治の娘。飯田藩江戸屋敷に仕えていました。藩主 堀 親寚(ほり ちかしげ)の愛妾 若山が私利私欲から藩政に口出ししていると知り、思い余ってこれを刺殺!自身はその場で捕り押さえられ、飯田に送られ谷川の牢舎で斬首されました(一般の罪人は野底の処刑場)。時に22歳。辞世の句を見ると、才女でもあったと思われます。
侫諛(ねいゆ)は聞きなれない言葉ですね。媚びへつらう、とか おべっかの事です。上に忖度する事なく藩のために己の手を汚した烈女、と称えられたんですね。
色々読んでみると中には・・・阿藤の行いは 私的な恨みつらみが積み重なっての事だったが、若山は藩士の間でも不評で快く思っていない人が多く良くぞやってくれた!となった・・・という説もありました。
父親はどうなったのか? 事件後 江戸詰めから国詰めになり減俸されましたが、藩主が堀親義に代わると元に戻されたそうです。
明治になってから箕瀬の長源寺にお墓が建てられました。入り口の所に石碑と説明板があります。お墓は一般の墓地ではなく本堂近くの境内にあります。今でも花を添える人が居るんですね~。
お墓としては、かなり広いスペースで立派ですね。
あまり馴染みのない3番ですが、少しはご理解いただけたでしょうか? 歌う歌わないはまた別問題かと思いますが^^;
さて、作詞者・作曲者についても調べてみましょう。
作詞は福澤 悦三郎 とあります。
福澤先生は、伊那出身の国漢の先生で、飯田中学在任は明治39年5月~44年3月まで。赴任した年に「南信健児の歌」を作詞しました。
作曲は井出 茂太 とあります。
井出先生は、上野音楽学校卒業後 明治36月年4月に飯田中学に初赴任。西洋音楽教育への情熱をもって、当時の島地校長にピアノの購入を決断させた人。福澤先生の詞「南信健児の歌」を見て感銘を受け曲作り。それを知った島地校長が「これは素晴らしい。我が飯田中学の校歌にしよう」と決断!
元々は校歌ではなく「南信健児の歌」だったんですね~。そう知ると3番の歌詞も不自然ではなく思えます。とは言え校歌としては??? 歌い継がれて来なかった原因も、私同様に不自然さを感じた方が多かったのでしょうか^^;
定かな説ではありませんが・・・山口阿藤は人を殺めたテロリスト。それを校歌で称えるのは不適切・・・と考える方もいた様です。
井出先生の尽力で購入されたピアノですが、今は高校の玄関ホールに展示されています。なんと燭台が付いていてロウソクも立ててあります!豪華な物ですね。
説明板を見ると・・・
山葉洋琴竪型2号というタイプで、1902年に造られ翌年に納入された物。製造番号1010 とは、純国産10台目との事。独立100周年記念事業の一環として修復に取り組んだところ、メーカーのヤマハも丁度100周年で全面的に協力して頂けた・・・とあります。(少々読みにくいかと思いますが、クリックしてご覧ください)当時ヤマハの役員の中に同窓生が居て、事はスムースに運んだようです。
100年以上前のピアノで演奏できる物となると非常に少なく、これは貴重な1台との事です。学校に訪れた際には、是非ご覧ください。腕に覚えのある方は、演奏してみては如何^^それなりに音が出るので、時間を考えてですが・・・一応事務所に言ってからにしましょう。
ところで「作詞 福澤 悦三郎・作曲 井出 茂太」 で検索したら、上伊那農業高校の校歌が出て来ました。そこもでしたか。でも我が校の校歌は出て来ない???
多分ですが、このブログをアップした後は直ぐ出て来るんじゃないでしょうか^^
(高18回 高田)