盆月 旧友を偲ぶ 「開放されたラガーマン」

開放されたラガーマン                       堀 無情 

 その目の午後、私は、K病院の3Fエレベーターを降りて「桃井順三君の病はどこでしょうか?」と、尋ねていた。 『え、桃井さんは、亡くなりましたよ、去年だったかしら? 2年位前だったかしら?』、、、、「いつ頃でした?」と、意味のないような質問をしたのが精一杯だった。月に2、3回病院に出かける機会が有ったが、最近見かけないなと、思っていたところだった。彼は時々休憩所のTVで高校野球などを楽しんでいた、そして、『部屋に戻っていないとダメですよ、後で大変なんだから。』と、いわれていたのがギクリと思い出された。耳が遠いのか、殆ど会話をしない彼が、唐突に良く聞き取れないような声で『少し前に弟が死んだ。』と話したのと、「俺が解るか?」と聞くと、ニヤリとした。「又来るよ」と言ったのが最後になった。『飯高ラグビー班花園出場』と書かれた新聞を手にしたまま、私の右足はフラフラと力無く方向を失っていた。長い長い廊下を唯々歩いていつのまにか病院の外に出ていた。十二月の寒風に小雪がぺ口ペロと頬にあた。無性に大き声で「バカヤロー」と、怒鳴りたかった!立ち止まり空を見上げた、その時、一瞬、雲間から明るい光がさした。 そうだ彼は解放されたのだ、二十数年間の闘病生活から救われたのだ!密なる闘争の後にやがて訪れた融和とでもゆうのか。 そうだ!一緒に花園へ行けるんだ!もう車椅子なんか要らないんだ!花園へ行こう!そして、腹一杯応援しよう。 学ランを身にまとい首が太すぎてとめられないのかボタンをはずし、あるときは、グランドをドタドタと走り、時々ニヤリと人なつっこく笑う順三は、もう帰って来ない。 私の、記憶の中で彼は永遠に生きつづける。

お立ち日 平成20年8月12日    享年63歳   合掌