東京一六会恒例の新年会開催

東京一六会は毎年「新年会」、「暑気払い」を恒例行事として開催しているが、今年も去る2月1日(土)、新宿東口の居酒屋「安具楽」で新年会を開催しました。

これまで、会場を東京八重洲口、神楽坂、池袋と変え、今回は初めての新宿。

今年、後期高齢者となる我々、指定の17時に参加者17名が集合できるかとの不安もありましたが、ほぼ全員が定刻前に来場。雑踏の街・新宿で道に迷い徘徊老人となる人はいなかったようです。

会は幹事長中島君の乾杯の音頭で始まり、当初は皆さん隣り同士で旧交を温めていましたが、そのうち次第に声が大きくなりはじめたので、余り酔いが回らないうちにと幹事長が耳打ちされ、地元一六会から「一六会75歳大会」を東京一六会に主催要請されていることの報告があり、それにつき多くの意見が出されました。

すでにパンフレットを用意してオプション企画として「隅田川での屋形船」を提案する人、「東京湾クルージング」、「はとバスでの都内観光」、「再度、上野の鴎外荘での宿泊・上野観光」、さらには「石和温泉」などさまざまな提案がなされました。酔った勢いでの提案でもあるので、次回の「暑気払い」で実行委員会を立ち上げ、そこで案を煮詰めようということで落ち着きました。

さて、会場は2時間という時間制限があるので、19時過ぎには解散となりましたが、まだ足りないという7人の仲間は、カラオケボックスへ。そこで歌われたのは「昭和歌謡」のオンパレード。年相応の選曲でした。

21時過ぎまでカラオケを楽しみ、別れを惜しむようにそれぞれ家路に向かいました。(文責:興津)

一六会古希大会 京都智積院 7/19.20

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飯田高校一六会(会長市瀬武彦)は7月19日20日と京都にて、古希記念大会を行った。台風9号10号11号が日本上陸を騒がせ、各地に被害を及ぼした。幸い飯田地方に災害がなく,久々に例年の119%の雨を降らせた。19日関東地方梅雨明け宣言が出、清々しい朝を迎えた。各地から参加者70名が京都に向かい出発した(一六会通信可能数287、返信198、参加者70)。中には、前日京都入りの仲間もいたが、夕方には皆に会える。
飯田チームは、例の如く、バス移動である、高森から出発し、りんごの里から、高速道路へ。2年前には昼神温泉で、50周年記念を行い、毎月会っている仲間なのに、よくも話すことがある、ビール片手に大騒ぎ、これが70歳の一六会。途中滋賀の西明寺に寄り国宝の本堂や佛像を見学する、本堂までの参道(緩やかな階段)脇には名勝庭園が広がり又樹木が暑さを和らげてくれる。バスの中では、飯田が小京都と言われる由来と飯田城のルーツ、姉妹都市龍野市との関わり、菱田春草など勉強して京都にはいる。式典では、市瀬会長より医者の立場から、「これからの生き方・逝きかた」のミニ講演があり、同窓会費についての話に、多くの方の賛同を得た。
一六会が京都にこだわるのは、
① 学問の京都智積院境内に一六会記念樹 千年木「楠」がある
② 真言宗総本山智積院の中僧正(上から3番位)伊佐栄豊和尚がいる
③ 修学旅行がなかった我々に、歴史ある奥深い京都が見られる  等
正式な一六会大会では京都は5回目である。
翌日は、朝5時ホテル出発、智積院本堂にて、35名の物故者慰霊と先祖供養、護摩堂にて、祈祷があった。香の漂う静寂な堂内に、和尚が読み上げる物故者名、参加者全員の名前が響き渡り、30名余の僧侶と共に、読経が始まる。宗教や宗派の違いがあっても、これだけの仲間からの法要を頂けることは、幸せである、口々に「俺の時も頼む」などの話に、還暦の時と違った感情を覚えた。記念写真の後、楠を見て10年の歳月を感じ、「飯田高校一六会還暦記念」(松村信子さん書)の石柱を、愛おしく腰をかがめて眺める後姿には、明らかな70歳を感じた。国の名勝庭園を前に朝茶を頂き僧侶より「死ぬ時に後悔する25条」と題し講和を聞く。長谷川等伯・田渕俊夫の襖絵を観、改めてすごさを感じた。ホテルに帰り朝食を済ませ、京都市内を初めてタクシー観光を利用した。京都の詳しいメンバーチームは電車を利用して解散までの4時間を満喫した。私は。タクシーでしたが、乗務員がガイド役で西方面の小さなお寺を幾つか周ったが、どのお寺も国宝級の仏像がありその美しさに魅かれた。
別れの時は握手や、お互いの健康を祈り、80歳には再度ここで会おうと誓いながら、別れを惜しみ、新幹線や空港に、飯田チームは、アメリカから来た北原喜美夫君を含め賑やかなバスで、一路飯田に向かった。

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東京一六会、新年会を開催

去る1月24日(土)17時より、東京一六会は恒例の新年会を開催しました。
今回は、いつもの神楽坂を離れ、池袋の居酒屋「北海道」での開催、17名の仲間の参加がありました。
一人ひとりの近況報告では、体調のことからはじまり、趣味の話から、どう1日を過ごしているかと続き、若干の現役組の頑張りも報告されたようです。
紅一点参加された前田(旧姓菊池)さんは、高校時代の面影を十分残しており、まさに爺さん達に囲まれ、まさにマドンナの存在でした。
宴たけなわになると、話題はあっちこっちに飛び、高校時代の思い出、遊びではゴルフ、旅行と、果てることなく続き、制限時間の延長、延長を重ね、全員が解散したのは22時過ぎだったのではないでしょうか。
それにしても女性陣の参加が少ないのは残念。聞くところによると、あるクラスでは女性だけで、年に数回、旅行をしているとか。
今後は、いきなり宴会ではなく、女性陣も参加しやすいイベントをセットしての試みもよろしいかなと思いますが、いかがでしょうか。
(東京一六会事務局)

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一六会古希大会決まる7月19日20日京都

飯田高校一六会 古希記念大会
皆様お元気ですか?             一六会会長 市瀬武彦
飯田高校を卒業してから、52年が経ちました。各方面でご活躍され、第2の
人生を送られて最も充実した時を過ごされている事と、ご推察申し上げます。
早いもので今年、70歳 古希を迎えます。10年前京都で還暦のお祝いと、厄払い、「楠」の記念植樹、一昨年は、卒業50周年記念式典を昼神温泉で行いました。古希という大きな節目に、記念樹を見ながら、もう一度京都で会いたいとの要望から、以下のように企画されました、今後このようなイベントは無いと言われています。今から日程調整され、元気に集まりましょう。

1 日時 平成27年7月19日(日) 20日(月)
2 場所 京都駅前 セントノーム京都 TEL075-682-8777
せっかくの京都 ゆっくりしたい方の為に20日宿泊予約可
3 費用  25,000円 宿泊・宴会費・祈祷料・写真代含む
日程 19日16:00セントノーム受付 散策・語らい・入浴
18:00 式典セレモニー 宴会20:30位まで あと自由行動
20日 5:30 智積院にて古希祈祷 本堂前記念写真
6:30 智積院内見学(等伯屏風絵・田渕襖絵・楠)
8:00 セントノームにて朝食 9:30解散
飯田チームは、バスにて移動します、一緒に行きましょう。
飯田チーム 19日 8:00飯田出発 名古屋・滋賀経由 セントノームへ
20日 解散後バスにて 奈良経由・名古屋 飯田17:00 昼食は実費
飯田チームバス料金 約10,000円 バス内飲み物含む、人数により変動します
返信用はがき 忙しい話ですが、人数把握のために4月中旬までに投函お願いいたします。

出欠席ハガキ2月上旬に発行予定

飯田一六会新年会 阿智川 1/16

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飯田市地区に在住する一六会生でつくる親睦会(責任者市瀬武彦)は、昼神温泉ホテル「阿智川」にて22名を集め新年会を開いた。この頃 ホテル「天心」と隔年で行っているが、もう20年以上になる。毎日SunDayの方も多くいて、集合時間前から、ゆっくりと温泉に浸かり、部屋では宴会が始まる。恒例になっている、ビンゴゲームの景品を買い求め、会員から持ち寄られた物と、舞台が山の様になった。今年の運勢を決める千円ジャンケンでは、松村君がゲット。中居さんも一諸になって、ゲームで大騒ぎ、また残った景品の争奪戦でお開きとなった。盛り上がりに記念写真を撮るのを忘れる。仕方ない明日の朝だ。ホテルのクラブで2次会、松村君せっかくのお金、結局は皆の2次会の費用となった。部屋に入っても、持ち寄られたツマミで遅くまで呑み、語り明かす。朝はゆっくりとして10時、山本にある蕎麦打ち道場に向かう、会員の菅沼二三夫蕎麦打ち3段から、蕎麦打ち講習があり、その後 打たないメンバーからの批判の声を聞きながら、皆真剣に取り組む。もう何回か経験しているが、1年に一回では、忘れて質問する、奥が深い。出来立てをお店で茹でてもらい、すする なんと良い香り、うまい、最高であった。しかしよく見れば中にきしめんの様な太いものも、ここでも大笑い,旨さに2杯目の手が出る。今年古希を迎える仲間、皆と居れば、10歳以上若返る。

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一六会の皆様 明けましておめでとうございます

IMG明けましておめでとうございます
昨年は2月に飯田地方初の80cmの雪に見舞われ、夏は7月に35度が2日ありましたが、8月9月は、梅雨を思わせる様な、雨が続き、また御嶽山噴火などあちこちで大きな災害をもたらしました。暮に3人がノーベル賞授与は快挙でありました。
我々今年古希を迎えます。早いものですね、還暦大会を京都の智積院で行い、記念樹「楠」がだいぶ大きくなったとの事です。古希大会をもう一度京都で行いたいと企画中です。日にちは、27年6月21・22日に決定しました。詳細は後日お送りしますので、今から、この日を開けておいてください。元気に会いましょう。

一六会新野行人様と花火大会参加 9/14

昨年は猛暑日が続き暑い夏、残暑厳しき9月 この花火大会の日に台風が飯田地方を横切るとの事で、次の日に延期、この日も雨が続き来週に延期、それでも料理の事もあるだろうと、新野「一力」に集合、花火抜きの大宴会、次の週には、花火を堪能することができた1週間のドラマであった。
今年は7月に猛暑日が2日だけ、8月になっても、梅雨を思わせる気候で、冷夏に終わった。台風12・11号と猛威を振るい、度重なるゲリラ豪雨に各地に大きな災害をもたらした。
この14日飯田地方気温28°雲1つ無い秋晴れ、新野に近づくに従い気温も下がり、花火の時は、肌寒さを感じた。三々五々温泉に入ったり、行人様や近くの集落から集まった芸能大会見学し、「一力」に集まる。先に到達した仲間は、もうビール片手に、宴会が始まっていた、だんだんと輪が大きくなり、知らせの花火の頃に全員が集合した。今年は、市瀬会長夫妻子供、孫・松村家子供夫婦、孫・小林夫妻(阿南支部副支部長)と22名の大宴会であった。何時の様に、庭先にシートがひかれ、部屋の電気が消され、飯田では見られない大きな花火と小さな盆地に共鳴する炸裂音に魅了される。床の間に飾ってあった飾り物が音で倒れるハプニングもあった。8時頃にいよいよ我が一六会の尺玉が奉納される、今年は少し奮発して先割れ追加で(柳垂の先端でもう1度花開く)最高であった。最後に尺玉・二尺玉入り超豪華スターマインが打ち上げられ、これも最高であった。(引用の言葉がわからない)余韻を残しながら、また宴会の続き、部屋を変えて、夜ふけるまで話し合う。朝食は、イクチの味噌汁に、新米のご飯・魚とおかわりが出る。来年の予約を取って、帰路につく。「一力」の栗生夫妻には本当にお世話になりました。
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東京一六会暑気払い開催 8/23

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8月23日(土)、夕方5時より恒例となった神楽坂・きらく市で暑気払いを開催。
15名の学友が参集し、久しぶりに参加した仲間の元気な姿が見えると、互いの健康を確認して喜び合う「おー、おー、元気そうだな」の雄叫びがあがりました。
来年は、我々も古希(70歳)、恒例の暑気払い、新年会がお互いの生存証明の機会になってきた感じがしないでもありません。
それでも、宴たけなわになるとゴルフコンペの誘いに,さっと6、7人の挙手があり、まだまだ元気と老いを忘れる我々でした。
しかし、散会にあたって、「もう座敷での宴会は立ったり、座ったりがきついので、次回からは椅子か、掘り炬燵式の会場にしよう」と、本音がぽろり。
次回も元気にお会いしましょう。

東京一六会、恒例の新年会を開催

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146 DSC_0050 若い女性が居ると、元気になるものですね! 

去る1月25日、東京一六会では、お馴染みの会場、神楽坂:きらく市にて恒例の新年会を開催しました。

今回は、T君の職場で共に働く風越高校の若いOB2名の参加もあり、我々爺さんたちは、久しぶりに若やいだ気分になったようです。

席上、今年の旅行はハワイとの提案があり、詳細は、まだ現役で旅行会社に籍を置く松尾くんの手を煩わすことになりました。今回も全一六会に呼びかけて参加を募ります。

詳細が決まり次第、一六会HP、その他でお知らせします。

ところで、神楽坂の街並みは風情豊かだった往年の様子を知る我々世代には、すっかり馴染みがなくなり、古くからあったお店が小洒落たシングルバーや店舗に変わり、すべてが若者向けの仕様になってしまったようです。若いカップルばかりが歩道狭しと闊歩して歩く姿に、我々にはちょっとした疎外感すら感じるほどの様変わりです。

そんな、神楽坂ですが、ちょっと脇道に入ると、ここ2回ばかり2次会で流れていく、こんなところがあったのかというようなカラオケスナックがあり、表通りの喧騒から逃れるように地元のジジ・ババが懐かしい演歌を楽しんでいます。まるでデイケアセンターのように。

我々もその雰囲気にすっかり馴染む年になってしまいました。そう、来年は古希ですものね。

飯田一六会 26年度新年会 昼神温泉「天心」にて

26年1月新年会 006   013集合写真に間に合わなかったLongさん1人では恥ずかしいと若い子を連れてくる、この子、ジャンケンで総取り

26年1月新年会 0111月17日、もう何年になるだろう、今年も昼神温泉に18名が集まり、ゆったりとした時を過ごした。何時もの様に、温泉を堪能した仲間が一部屋に集まり、宴会前の宴会が始まる。毎月顔を合わしているのに、良く話す事があるものだ。宴会には、何時ものビンゴゲーム,持ち寄った景品と会から用意した豪華景品で、舞台が一杯になる。残った景品をジャンケンで争奪。カラオケルームと、チロリン村に別れ、夜遅くまで楽しむ。   翌朝は、阿智村の全国で初建設、満蒙開拓平和記念館を見学した。このHPでも何回か取り上げているが、民間団体が寄付等を募り、7年をかけ苦労して建てた物、中に入ると、その気持ちと、これからの日本の指標が見えるような気がした。なぜ、70年余の間、このような物が出来なかったのか不思議ある。  日本各地から27万人もの人が、広大な土地に憧れて、満州国に移住をした。中でも山坂の飯田下伊那地域では、郡を抜いて多くの方が移住している。土日などは、語りべが、ボランティアで来ている、セミナールームでは、スクリーンスにプロジェクターで、当時の様子などが映し出され、他の団体と一緒であったがすすり泣きや、大きなため息が聞こえた。我々は終戦生まれの人間であり、少なくとも、経験者から、多くを聞いていたが、これが本当に日本なのかと考えさせられた。広島や全国から、当時の資料が寄せられているようだ。   続いて山本にある そば道場にて、菅沼二三夫講師による蕎麦打ち体験をした、もう何回か経験してきたからか、手際だけは良い、しかし出来上がったそばを試食、味は良いが、中にはきしめん並みのものには、口うるさい評論家(蕎麦打ちをしなかった仲間)には、不評であった。