平成23年度の17回生役員会が開かれました

平成23年度の17回生役員会が5月27日夕、飯田市常盤町のホテルオオハシ会議室で開かれました。

 学年代表幹事の宮澤豊司君が招集、地元在住の役員15人が出席し、17回生の今後の活動について話し合いました。
 6月19日に飯田市羽場坂のマリエール飯田で開かれる今年度の同窓会定期総会に、学年としてできるだけ多く参加することや、17回生は2年後の平成25年に定期総会の学年当番幹事が回ってくることなどを確認し、結束して活動を強めていくことになりました。
 また17回生の卒業50周年記念事業は平成26年(67歳or68歳)に実施することとし、実行委員会を平成25年春に立ち上げることを決めました。

第9回ゴルフコンペ行われる 伊藤君が優勝

「17回生ゴルフ会」(幹事長・A組下田喜志雄君)の第9回コンペが平成23年5月15日、高森カントリークラブで行われました。
 地元在住の12人が参加。好天に恵まれ、爽やかな新緑の中、親睦を第一に熱戦(新ぺリア方式)を展開した結果、下記のような順位で、伊藤君が優勝しました。
 今回は東日本大震災被災者へのチャリティーコンペとして実施。参加費1000円のほか、ショートホールでワンオンしない人は1回につき罰金200円を徴収するなどして、義捐金約2万円を地元新聞社に寄託しました。
 コンペ終了後、焼肉の「徳山」で反省会兼懇親会も行い、大いに盛り上がりました。

優勝  伊藤毅   準優勝 平沢忠明   3 福沢洋一   4 下田喜志雄
5 梅田俊一   6 篠田健   7 宮澤豊司   8 牧島郁夫   9 忠平隆三
10 古島博  11 斎藤俊二  12 木下高司 

ゴルフコンペphoto
スタート前に

表彰式で下田幹事長から優勝カップを受け取る伊藤君(右)

同窓会報第65号が発行されました

平成23年5月1日付けで同窓会報第65号が発行されました。
 1面の書「洗心」を寄稿してくれたのは、A組・吉川泰弘君の従兄で書家の吉川鎮守さん(孤山 高8)です。
 8面の交流のページには、高17回生有志による「東日本大震災被災地同窓生の奮起を望みます」の意見広告、D組・中島康夫君(中島耳鼻咽喉科院長)とE組・佐々木寿夫君(佐々木水引工業社長)の広告が載っています。 
同窓会報第65号の1面

17回生有志の意見広告などが載った8面

中国の斎藤憲君が連載記事

中国の大学に勤務中の斎藤憲君が南信州新聞に寄せた記事「中国の大学にて」の連載がスタートしました。
 斎藤君が中国から寄せる連載記事は昨年に続いて2回目です。
 第1回目の「早春」を掲載します。「昔からこの国で最も愛されてきた木」というヤナギの芽吹きの風景が目に浮かぶ、文章です。
平成23年4月19日付の南信州新聞の記事

50周年記念事業に向けて  学年代表幹事挨拶

17回生 学年代表幹事 宮澤豊司

17回幹事役員会で今年度の学年代表幹事を仰せつかりましたH組の宮澤豊司です。

  昨年は加藤進実行委員長のもとに45周年事業が盛会に行われましたが、次の大きな事業である50周年事業の遂行準備が新役員の使命であると認識しております。
  もとより「一七会会則」では幹事役員の任期は2年で、平成26年の50周年までにはその間2回の改選による見直しがありますが、準備は進めていこうと考えています。 
  45周年では60歳の区切りは超えたものの、まだまだ現役で活躍している人たちが大勢いましたが、50周年は古稀、数えの70歳を目前の年齢となり生活環境も大きく変化しているものと思われます。
  卒業から半世紀を迎え、私たちにとって人生をどう生きていくかは益々重要な課題であり、周年事業も同じ時代を生きてきた仲間として共有する思いを語り合い、より充実した人生を送るための出会いの場とすることが、大きな役割でありそのための意義のある事業にしたいと考えます。記念事業等の要望がありましたら是非お聞かせ下さい。
  また3年後の平成25年には飯田高校同窓会の総会の実行委員会を担当する順番が回ってまいります。17回の意気を発揮する機会でもあり、そのための実行委員会を立ち上げたいと思いますので、その際には多くの皆さんの積極的な参画と総会出席をお願いします。

平成22年3月記

窪田先生が信毎の記事に登場

E組の恩師、窪田哲雄先生が平成22年1月4日付けの信濃毎日新聞の記事に登場しました。
 信州各地でも多くの人がデモや集会に参加した「60年安保闘争」から今年で50年になることから、あの運動が何を残したのか見つめ直す企画記事「信州の60年安保」(上)です。

 昨年11月に飯田市歴史研究所が地元で開いた座談会の内容が中心で、1960年6月17日、飯田高校教員だった窪田先生は、飯田下伊那からの抗議のうねりの中で、国会へデモに向かう代表団の一人として列車で上京した体験などを語っています。
 敗戦時、横浜工業専門学校(現横浜国大工学部)の学生だったという窪田先生。「戦地で多くの若者が死んだのに、理系の自分は徴兵が延びて出征せずに済んだ。申し訳なくて涙があふれた」「再び戦争につながりそうな動きに異議を申し立てるのは、生き残った者の務めだと思った」との言葉が紹介されています。
 84歳になられた窪田先生の昔も今も変わらぬ情熱が伝わってくる記事です。
平成22年1月4日付けの信毎の記事