卒業45周年記念大会での実行委員長挨拶

実行委員長(学年代表幹事) 加藤進

皆さんこんにちは。よくいらっしゃいました。本当にお久しぶりです。お元気そうで何よりです。

 昔は皆本当に若かった。あれから、高校時代から50年近くが過ぎて、見てくれはいろいろですが、皆同じように年を重ねました。いまや還暦を過ぎて、昔ならいろんな表舞台から引退していく年齢を迎えています。今回この45周年記念大会のことを考え始めたころ、われわれもそんな年になってしまったんだなあという思いに強く捉えられたことをおぼえています。

 しかしながら、私の周りを見回してみたとき、昔のイメージのように老いぼれてしょぼくれてというような人は殆んどいないということに気がつきました。誰もがそこそこ若々しく、10年前のように、15年前のように、力いっぱいの人生を生きていることがわかりました。確かに、身体のあちこちが痛いとか、疲れがなかなか抜けないとか、病気の後遺症が残ってしまったとか、そういうようなことはあるでしょうが、そんなことはそれこそ生きている証拠のようなもので、人間として終わりになってきているということとは全く違うということだと思います。 

 ただ、そうは言っても、私たちがいわゆる年金年齢になりつつあることは確かなことであり、近い将来には確実に高齢者として数えられるようになることもわかっています。限りある人生の少なくとも後半に入ってきているということでしょうか。

 そこで、今回はあえて「第2の人生」という言葉を使い、これからどう生きるか、ということを皆さんに問いかけてみることにしたわけです。当然、多くの方が未だ現役であり、これまでの仕事を続けておられるということは理解していますが、それはそれとして、今こんなことを考えている、こんなことを始めている、これまでの仕事をこんな風に発展させたい、これからの10年をこんなことに使いたい、そういうようなことを聞かせてもらえたらうれしいなと思ったのです。

 おかげさまで、大勢の方が、こんなことをしたい、こんなことをしている、こんなことを考えている、というような返事を寄せて下さいました。それについては、お手元の記念誌に逐一掲載してありますのでゆっくりご覧下さい。又、高校卒業時に自分で書いた一言も見られるようになっていますから、それと対比してみるのもまた一興かと思います。

 ここで、恩師の先生方についてお話いたしましょう。今日は、E組の担任であられた窪田先生がお忙しい中を出席してくださいました。ありがとうございます。後ほど、ご挨拶を頂けると思います。

 ご出席の叶わなかった先生方について近況などを申しあげます。A組の、三浦宏先生は、2度の脳梗塞を乗り越えてお元気ですが、今回は体力的にちょっと自信がないということでした。「健康に気をつけてがんばれ」というメッセージを頂いています。
 B組の、宮崎和順先生は、相変わらずエネルギッシュに活動しておられますが、同窓会長をしておられる屋代高校の事業と重なってしまい、出席を断念するというお話でした。
 C組の、畑谷智雄先生は、亡くなられてからもう10年以上になります。
 D組の、間島不二雄先生は、お元気で、今も、その時々にベストを尽くし後では後悔しないという主義を貫いておられるということですが、今回は欠席ということでした。英語の本も読めなくなるまでは頑張って読もう、と言っておられます。
 F組は、小出志郎先生ですが、この9月19日、クモ膜下出血のため急逝されました。一番お若く、いつもわれわれ教え子よりも若々しく元気であったお姿が今も目に浮かびます。残念ですが、これも人の世の宿命なのでしょうか。ご冥福をお祈り致しましょう。
 G組の、山口暢夫先生は、始めはご出席の意向でおられたようですが、その後体調を崩されて欠席になりました。
 H組の、松村次郎先生は、以前から体調不良で、今回も出席がかないませんでした。

 そんなわけで、今日は窪田先生に恩師代表として勤めて頂きますので、皆さんどうかよろしくおねがいします。 

 ちょっとしゃべりすぎましたね。とにかく、今日は集まってくださって下さって本当にありがとう。地元の実行委員を代表して御礼申しあげます。
 これからの時間を明日のために大いに楽しみましょう。ありがとうございました。

卒業45周年記念事業実行委員会の打ち上げ会行われる

卒業45周年記念事業実行委員会(加藤進実行委員長)の打ち上げ会が平成21年11月14日午後6時半から、飯田市の割烹旅館「弥生」で開かれた。

 地元で中心になって準備、運営に当たった15人が出席し、懇談した。会計報告では、平成17年9月の諏訪湖花火大会見学会繰り越し金45万8031円から始まり、当日参加料などを含めて258万7525円の収入があり、支出はシルクホテルへの支払いなど166万1003円で、差し引き92万6522円が次回へ繰り越されたことが報告された。

 これらの会計は、会計監査の篠田健、佐藤正孝両君(ともに元記念事業実行委員長)によって監査が行われ、適正に処理されていると認められたことが報告された。

 今回の記念事業の実施ために寄せられた協賛金は45万5000円にのぼり、中には3万円、5万円を寄せてくれた仲間もいた。
なお、会計報告の詳細を知りたい方は会計委員長の福岡利彦君か代理の牧内誠君にお問い合わせください。

実行委員会の打ち上げ

会計報告
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預金通帳のコピー
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地元懇親会に17人出席、記念大会が話題に

地元での定例懇親会が平成21年10月24日午後7時から、飯田市のホテルオオハシ1階レストラン「ぶー太郎」で開かれた。

 ちょうど帰郷した木本久子さん(名古屋市、旧姓長尾、クレオ…)と細澤清君(横浜市)を含め、17人が出席し、懇談した。
 卒業45周年記念大会について、「『第2の人生をいかに生きるか』ではもっと多くの仲間の意見を聞きたかった」「近松義人君の『ふるさとの5年間』は会場がざわついていて残念だった」「しらびそ高原と旧木沢小学校の見学は素晴らしかった」などの感想が出ていた。 

加藤進君の挨拶で懇親会がスタート

記念大会盛大に行われる

飯田高校17回生卒業45周年記念大会は平成21年10月3日午後4時から、飯田市のシルクホテルで行われた。
 全国から約120人の仲間が結集。式典、祝賀会、二次会カラオケ(各クラス毎に)と深夜まで旧交を温めあった。

加藤実行委員長が挨拶

恩師の窪田哲雄先生に花束贈呈

トーキング「第2の人生をいかに生きるか」

祝賀会場に移り、母校吹奏班のゲスト演奏を楽しむ

祝宴がスタート

和やかにあちこちで歓談

そろそろお開きに…

万歳三唱で締めくくる

親睦ゴルフ

10月4日、高森カントリークラブで4組13人が参加して行われました。さわやかな好天に恵まれ、親睦重視で熱戦(Wペリア方式)を展開した結果、以下のような順位でした。

1 平沢忠明   2 下田喜志雄   3 湯澤久一   4 加藤進   5 安藤光二 
6 梅田俊一   7 伊藤毅   8 宮沢豊司      9 福沢洋一  10 篠田健
11 矢澤加代子  12 古島博  13 牧島郁夫
スタート前に

ゴルフ委員長の牧島郁夫君(左)から優勝カップが

親睦観光

10月4日午前9時、ホテルオオハシ前に集合し、観光委員長の木下高司君の運転するホテルオオハシのマイクロバスで、“日本のチロル”と呼ばれる下栗の里、しらびそ高原などを回りました。
 雲一つない快晴に恵まれ、しらびそ高原では目の前に広がる南アルプスの眺望などを楽しみました。
しらびそ高原で

F組の恩師小出志郎先生のご葬儀

くも膜下出血で急逝されたF組の恩師小出志郎先生のご葬儀が平成21年9月23日午後1時から、上田市のさがみ典礼上田法事センターで執り行われました。
 教育界に遺した足跡の大きさを示すように、教育関係者、教え子ら多数が参列し、盛大でしたが、あまりにも急なご逝去に、弔辞を読む人、聞く人も涙につつまれる悲しいご葬儀でした。

 飯田からはF組の有志8人が1台のワゴン車に乗り合わせて上田市へ。北信地区在住の2人(うち1人は通夜)とともに参列し、先生のご冥福を祈りました。
 先生を偲ぶため、先生の生前の写真がスクリーンに投影されましたが、花の好きだった先生が倒れる直前の当日午前中、ご自分で撮影した曼珠沙華の写真も映され、驚きを誘っていました。
 帰途、先生のご自宅近くを車で通った私たちは、確かにあちこちの土手に曼珠沙華の咲いているのを見ました。先生のご戒名は「教照院訓導居士」です。
祭壇に飾られた小出先生の遺影

式場の一角に小出先生が描いた油絵も飾られていました

F組の恩師小出志郎先生が急逝

F組の恩師小出志郎先生が平成21年9月19日午後1時、くも膜下大出血で急逝されました。上田市の自宅で倒れ、救急車で病院に運ばれましたが、助からなかったということです。享年72。心からご冥福をお祈りいたします。
 小出先生は10月3日の私たちの卒業45周年記念大会にご出席くださる予定で、現在作成中の記念誌に挨拶の原稿も寄せてくださっていました。昨年12月14日には、地元F組有志が上田市で小出先生夫妻を囲んで、先生の叙勲のお祝いをしたばかりでした。

 通夜は9月22日午後5時から、告別式は23日午後1時から、上田市常磐城3-2236-2、上田法事センター(電話0268-27-4449)で。喪主は長男淳一(じゅんいち)さん。奥様は典子(のりこ)さん。自宅は上田市緑が丘3-18-28。
昨年12月、F組有志が叙勲をお祝いしたときの小出先生