平成21年度飯田高等学校同窓会定期総会開催 他
- At 7月 30, 2009
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平成21年度飯田高等学校同窓会定期総会開催される
当日参加者も入れ190名の会員が参加した。
昨年度より導入された当番幹事制 今年度当番高13回今村 健実行委員長の挨拶物故者慰霊・会長・校長挨拶に続き 議事に入った。
20年度事業報告・会計報告 21年度事業計画・予算案等 会則改正初の役員改選もスムースな審議で承認を受けた。
110周年に向けての取り組みが委員会から報告があり、会則の「地域貢献」の一端「ふるさとを元気にし隊」を立ち上げ人材を募集している(詳しくは事務局まで)。
2部は、高13回近藤政彰宮司から「飯田のこころ」と題しての講演があった。
飯田地方には大きく分けて3つの良いところがある。
一は、この中央アルプス・南アルプスに囲まれた大自然 観光の宝庫である。
二は、国宝級の神社仏閣が沢山あると説明があり、中でも元善光寺の同年生和尚さんのユニークな取り組みの紹介があった。
三は、これぞ飯田のこころ お祭りである 各神社で行われるお祭り・式年祭・花火特に清内路の手作り花火・笛太鼓の無い新野の盆踊り囃子歌「高い山」の披露がありもう1曲昭和13年に大賞を取った「父よあなたは強かった」の熱唱もあり、靖国神社で閉められた。
アトラクションでは、高松祭の最中 同窓会総会の為に飯田高校吹奏楽班の演奏があった。我々の年代を配慮したのか、演歌の競演もあった。
1曲目小林賢二さん(高12)「津軽海峡冬景色」、2曲目元市長田中秀典さん(高11)「与作」、3曲目下平 肇さん(高13)「浪花節だよ人生は」。選曲無しのブッツケ本番 音響が良いのか、生バンドか、御三方、プロ級の歌を披露した。現役の生徒たちと、こうした交流は、本当に良い事だ。
懇親会に先立ち平沢秀明さん(高4)今村衛さん(高5)の詩吟があり、遠方会員関西支部長三沢謙一さん(高5)の乾杯で懇親会に入った。先輩後輩入り混じっての酒の酌み交わし 良き一時である。
最後はやはり何時ものように三石財務委員長の応援歌・13回から14回へ当番幹事引継ぎ 今村代表から菅沼哲夫代表に硬い握手と共に引き渡された。
万歳はお二人 長坂好忠前会長(中41)松沢 潤さん参加者最長老(中38)で散会となった。
(斎藤 純)
大鹿の“青いケシ”
6月中旬の日曜日、何気なく見ていたテレビのニュースで、「大鹿 6月中旬の日曜日、何気なく見ていたテレビのニュースで、「大鹿村で珍しい“青いケシ”が見頃を迎えている」とのこと。このふるさとの伊那谷にそのような珍しい花が栽培されていたことを全く承知していなかったので、「大鹿村は一寸遠いな」と少々躊躇したところではあったが、どうせブラブラして一日過ごすならと、思い切って車を向けて見ることにした。
上郷の自宅から1時間くらいで大鹿村へ行かれるだろうと、9時過ぎに自宅を発ち、松川町生田から上峠(今回、この峠を上峠ということを初めて知った次第であるが)越えで小渋渓谷へ。
実はこの道、高校時代の思い出の道である。同級生が鹿塩にいて、勿論下宿をして学校に通っていたのだが、彼が帰省する際、当時は珍しく自動二輪車を所有していた彼で、そのバイクの荷台にしがみついてこの峠越えをした思い出がある。運転していた彼の方が真剣であったと思うのだが、死にものぐるいのツーリングであった事を懐かしく思い出す。
勿論舗装はされているものの、40年前の道の造りと殆ど変わっていないように感じられた。
国道152号線を鹿塩から北上し、大鹿中学を過ぎたところを右に切っていよいよ標高1500メートルの高原を目指す。
やがて30分も登って来ただろうか、やっと高原らしい雰囲気の場所に出ることが出来た。大池高原と云ってキャンプ場があり、またパラグライダーを楽しむことの出来る場所のようである。この高原を通り過ぎたところにお目当ての「青いケシ」の中村農園がある。
日曜日で正に満開の時とあって、細い山道沿いの土手に突っ込むように指定された駐車場は早満車。名古屋、三河、品川等々県外車も多い。やっと空場所を見つけて車を止めると目指す畝場へ。「南アルプスの青いケシ」が見事に咲き誇って迎えてくれた。
シーズンは6月一杯とのことで、今年は残念ながらもうお目に掛かれないところではありますが、是非、来年この高原を訪れていただければと紹介させていただきました。
また、どの様にしてこの珍しいケシの栽培に成功したのか、その経過や研究の様子、更には、この高原への案内等はこちらのパンフレットを参考にしていただければと存じます。どうぞ、是非一度お出掛け下さい。
(槙原 英勝)
熊谷元一さん百歳記念特別展
阿智村昼神温泉郷には熊谷元一さん(飯田中学28回卒。下伊那郡阿智村出身。東京都清瀬市名誉市民)の写真童画館がある。
このたび、熊谷元一さんの100歳を祝い、7月1日から10月26日まで、特別展が開かれている。熊谷元一さんの写真は戦前の田舎の風景から現在の状況までを丹念に記録し、数々の賞を受賞している。
熊谷元一さんのプロフィールについては、右のホームページをご参照下さい。http://www.vill.achi.nagano.jp/kanko/motoiti/profile.html/
また、童画は小学生の教科書に採用されたという、今回再出版した「二ほんのかきのき」など、あたたかい童画が特徴である。
写真は、写真童画館と熊谷元一さん。童画館内では“田植えと雪”、“せんせいおしっこ”、“かまど”、“風呂炊き”など展示されている。
(原 健彦)
辞めるに辞められず
私が住んでいる竜丘地区の早起き野球野球連盟(6チームが所属)のチームに入っているんですが、私が所属しているチームも高齢化に悩んでいます。
早起き野球は5時半プレイボールなので、4時半には起きないといけません。最近の若者は夜型人間が多く、わざわざ5時半から野球するなんていう物好き(?)もいません。
早起き野球の前の晩は、翌朝の事を考えると、憂鬱になります。試合に集るのはいつも9名か10名で、これでは辞めるに辞められません。
そして、頼まれると断われない私に、竜丘クラブから入会のお誘いがありました。このクラブへの参加資格は、年齢50歳以上という事だけなんです。10月に50歳になる私は、断わりきれずに入会しました。
春季大会は5月23日(土)に箕輪町で行われ、なんと優勝してしまいました。ちなみに、私は組合(隣組)の結婚披露宴に出席していたので、出られませんでした。
飯伊大会は、7月5日(日)に上郷の山田グランドで行われます。今度は出ないわけにはいかないでしょう。
さて、久しぶりですが、今月のオススメを。「誇りと復讐」(上・下巻)(ジェフリー・アーチャー著 新潮文庫)。新潮文庫6月の新刊です。目の前で親友の命を奪われただけでなく、その犯人にでっち上げられ、囚われの身となったダニー。彼はいったいどうやって復讐を果たすのでしょうか。
(高橋 秀治)
いまどきの結婚披露宴/飯田にまた新たな名所 他
- At 6月 30, 2009
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齢(よわい)も50に近くなると、礼服を着る際のネクタイの色と言えば黒が多い今日このごろ。
そんな中、4月と5月に結婚披露宴に招かれました。披露宴の主役は、両方とも私が入っている組合(隣組)のお宅の方でした。
披露宴の会場は違いましたが、入場の際に入り口で好きな飲み物を取って席に着くまでは同じです。新郎新婦の入場を待つ間にちょっと一杯やる事が出来ます。
私が結婚した1980年代は、ご仲人(ちゅうにん)が新郎新婦と共に入場し、二人の紹介を兼ねた挨拶をするのが当たり前でしたが、ご存知のとおり、いつの頃からか新郎新婦が入場すると、披露宴の司会者が二人の紹介をするようになっています。
その後、新郎側と新婦側の来賓の方がひとりずつ祝辞を述べ、すぐに乾杯となります。乾杯の前に何人もが祝辞を述べた昔とは、えらい違いです。
乾杯の後は主役そっちのけでひたすら飲み食いに徹する私ですので、ここから順序があやしくなりますが、「夫婦になって最初の共同作業」という事で、ウエディング・ケーキの入刀があります。ケーキをカットした後は新郎新婦が互いに相手の口にケーキを入れるというのも恒例です。
余興のトップは、私達組合のメンバーです。ちなみに、私達の組合で招待されるのは男性だけです。以前は「祝い船」を曲に合わせて踊っていましたが、足腰に痛みを抱える人や心臓に持病のある人が出てきたため、この4月から「ああ人生に涙あり」をカラオケで歌うようになりました。この曲名にピンと来ない方でも、「水戸黄門」の主題歌と聞けばおわかりになるでしょう。私達が歌っている間、肝心の主役はお色直しのために中座していました。
最近は、キャンドル・サービスも流行りではないようです。4月の披露宴は忘れましたが、5月のそれは各テーブルの上に浮かんだ風船を二人で割り、中からハート型の風船が飛び出すという趣向でした。
その後新婦がご両親への感謝の気持ちを込めた手紙を読み、組合の組長の音頭で万歳を三唱して目出度くお開きになるのは、以前と同様です。
最近では披露宴の後の二次会は当たり前になっており、司会者がお開きの前にその案内をしていました。
次回に礼服を着る際も、白い色のネクタイだといいと思います。
(高橋 秀治)


飯田にまた新たな名所
全国京都会議、小京都定款が出来たのは昭和60年。飯田は以前より小京都でしょう。
飯田は町並みでなく、お寺と、お菓子で、小京都として認められている。
そのお菓子の歴史は古く、鎌倉時代末期 京都の清拙正澄が開善寺を開山した時から始まる。山間地が多く生糸産業が盛んな地区で、共に根が強いお茶が栽培された事が、飯田のお茶好きと、お菓子産業が盛んになったと見られる。
特に明治・大正「養蚕王国」時代には、雇い人のお茶時にふるまう、煎餅、かりんとうの駄菓子の一斗缶が各家に常備されていた。 明治末期 下伊那菓子商組合、昭和23年 飯田下伊那菓子組合が設立され、安価で美味しい半生菓子は、コンビニや各観光地等に広がり、今では全国の40%のシェアを占めている。飯田藩主ご用達の老舗もあり、四季折々の果物を題材にした菓子等が各お店で考案され目玉商品になっている。
飯田の名所といえば りんご並木、先ごろ、このお菓子を一堂に集め、お茶も飲めるお店と食事処が通り町角にお目見えした。(写真左)また地区をあげて「香りの街」の一部が完成した。(写真右)
この構想、地域の手で通り町1~4丁目分離帯に生ごみ処理を肥料にラベンダーを植えようと言うもの、追手町小の生徒や自治会・市役所職員等の手で自分名前入りのプレートと一緒に4丁目に植樹し香りを放っている。あと3~1丁目と全600mがラベンダーの香りで一杯に成るのも近い。新たな観光名所が出来てきた。りんご並木・桜並木・食事処・お菓子処・人形の街・香りの街へと丘の上は懸命である。
(斎藤 純)
続々・リニア新幹線
2万7千余名の飯田高校同窓生の大半が、故郷の将来を託すこの「リニア新幹線」問題に大きな関心を寄せていただいているであろうと(殆ど小生の思い込みかも知れないが・・・)、またまた今月もこの話題を採り上げさせていただく。
2025年に東京と名古屋をリニアモーターカーで結ぶ「リニア中央新幹線構想」であるが、この5月29日にはJR東海が、松本市で県内5地区の建設促進期成同盟会を対象に説明会を開いたという。勿論、飯田下伊那地方からも「飯伊期成同盟会」の幹部の皆さんが出席されたところだが、飯田下伊那地域以外に他の4地区にそれぞれ同じような同盟会があったとは・・・。
元よりこのプロジェクトに関する他地区同盟会の存在も聞いてはいたし、また従来Bルートで県内纏まって運動して来たことも理解するところだが、何となく、我がふるさとを除いて他地域では関心も薄く運動も進んでいないように感じていたところ、一昨年12月、事業主体であるJR東海から、Cルート(赤石をトンネルで抜けて、山梨から飯田下伊那へ直線で結ぶルート)が技術的にも採算面も最も現実的と発表されるや否や、何やら、県や他地域の動きが俄に“もぞもぞ”して来た様に思う。
情報を共有して、今一度A、B、C3ルートの何れが望ましいか議論をしたいということの様であり、説明会に参加した関係者からは、「正に、これからだ・・・」との声もあった(新聞報道)とのこと。
Bルート(諏訪回り、上伊那経由)を主張する地域の願いも解らなくもないが、そろそろ現実的な判断に立って、このビックプロジェクトを大きく前進させて貰いたいと願うところだ。
右の画像は、この説明会の様子を伝える5月31日付けの「南信州新聞」に掲載された“リニア中央新幹線想定ルート”。
(槙原 英勝)
恵那山の山開きと伊那谷側からの恵那山の姿 他
- At 5月 30, 2009
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“歩け歩け”の季節
今年で23回目という「飯田やまびこマーチ」が、この4月25日、26日の二日間、飯田市内各地区を廻るコースで開催された。
今回、特に初日の25日は3月下旬並みという冷え込みの中、時折雨脚も強く生憎の天候ではあったが、全国から集まった3000人のウオーカーが、30km~5kmまでのそれぞれ思い思いのコースに挑戦し、新緑の伊那谷を満喫し多くの市民との触れ合いを楽しんだとのこと。
このイベントも「人形劇フェスティバル」と同様に、確実に“ふるさと”を全国に発信する機会となり定着して来たことを喜ばしく思い、またこうした素晴らしい自然や風土に恵まれた地域であることを誇らしく感じる。
我が家でも、確かこの催しの初回、二回目頃と思うが、未だ小学生であった子供たちを連れて参加したことがあった。途中で子どもが迷子になって、捜索騒ぎとなるようなエピソードも懐かしく振り返りながら、来年は出来たら久しぶりに何処かのコースを歩いて見ようかとも思っている。そして、30回、50回と継続、発展して行って貰いたいと願うものである。
今、ふるさとは正に“歩け歩け”に絶好の季節。
(槙原 英勝)
恵那山の山開きと伊那谷側からの恵那山の姿
4月29日は恵那山・富士見台の山開き。長野県側からは阿智村村長はじめ関係者、岐阜県側からは中津川市からの多数の関係者が参列。
恵那山は、天龍川と木曾川を麓に抱えるが、それぞれの側から見る姿は非常に異なっている。富士見台から眺めると、恵那山頂からは、木曾川流域、藤村の馬篭や中津川の街へはいきなり斜面が下り(写真右)、天龍川側へはいくつもの小さな山襞を織って緩やかに下っている(写真左)ことがわかる。
このため、中津川市などからは、恵那山は目前に大きく立ちはだかるが、天龍川流域、伊那谷の村や町からは、いくつかの山の向こうに、はるかに恵那山を望むことになる。このためか深田久弥の恵那山の姿についての描写は中津川、馬篭側からのものになっている。
火山の河口の様に見える伊那谷側からの姿(写真下)は非常に美しく、気に入っているのであるが取り上げられる機会が少なく少々残念である。
(原 健彦)
授業が公開されます
5月9日(土)の午後、飯田高校の授業が公開されます。この機会に母校を見学されてはいかがでしょうか。
飯田高校の授業公開は、全学年、全教科、全クラスが対象で、同日の12時50分から13時50分までの第4時限に行われます。
公開の対象者となるのは、生徒の保護者をはじめ、地域の皆さんや中学生などとなっているため、早い話がどなたでも授業を参観する事が出来、事前の申し込みは不要です。
クルマで行かれる場合は係員の指示に従って駐車していただき、正面玄関で受付を済ませ、授業を参観した後にアンケートに協力していただく事になっています。
さらに詳しい事をお知りになりたい方は、当HPのトップページからリンクしている飯田高校のホームページをご覧下さい。
(写真は自宅から撮影した天竜川両岸の様子と自宅付近のツツジ)
(高橋 秀治)
今年も定期総会の時期
今年も定期総会が6月28日マリエール飯田にて 午後1時受付で開催される。今年の当番幹事は高13回であるが、すでに昨年より活動開始している。特別公演も近藤政彰さん(高13回)七久里・白山・今宮神社等の宮司をされていて、馴染み深い方である 題目は「飯田のこころ」。事務局では、幅広く参加を呼びかけている。詳しくは飯田高校同窓会報61号で。
それに先駆け、4月25日 飯田高校第1会議室において、役員会が開かれた、この会の召集範囲は、常任役員、各支部長、学年幹事長、学校である、遠くは、中京支部からも来校された。
会に入る前に、アトラクションとして、今年1年生が15名入り大所帯になった野球班の練習見学だったが、あいにくの大雨で、会議室にて激励会に変更、主将・監督から、力強い表明があり、ラグビー花園・野球甲子園の夢を見た。同窓会からは、ボールのプレゼントと激励の言葉があった。
議事は、総会資料、役員改選の年でもあり、新会則の初めての改選での確認である。特に今年は、創立110年の前の年、「ふるさとを元気にし隊!」をタイトルに掲げ、110周年委員会(中島清委員長)を立ち上げ、骨子が出来 活動が開始されている。内容は、昨年度規約改正の折、「地域社会に貢献する」の項目を加えた、これを受け「自分の出来る事を、地域に役立てて貰おう」と委員会では、人材確保と、派遣受け入れと紹介を組織だってする。各学校、公民館、地域ボランティア等、手弁当精神で スポーツ・勉強・技術・庭剪定等々 事務局では、受け入れを開始している。
2時間以上の会議が終わり、近くの「うおあみ」にて懇親会、酒が入れば、色々意見も出て、良い懇親の場である。
(斎藤 純)
飛躍する飯田下伊那/座光寺饅頭と元善光寺 他
- At 4月 30, 2009
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飛躍する飯田下伊那
今年もまた温暖化のせいか、3月23日桜開花宣言、基準木(ソメイヨシノ)を待たずに、他の木々・草花が一斉に開花した。あちこちでも云われる様に、飯田も観測史上1番の早さだ。
春といえば、高校入試の生徒に桜咲くですね、飯伊の高校で後期選抜の合格発表がされた。8校17科総募集定員1480人前期選抜530人合格を引く950人募集に対し、899人が挑んだ。志願倍率は、95%だった。昨年もこんな風だったのかな?各クラス減少と科削減の中 定員割れとは、やはり少子化の影響か。
我母校、全国に有名になったラグビー班の先輩から、力強い祝福の胴上げ、何回も宙に舞った。最高のプレゼントだ。何時もなら固いつぼみの飯田高校のしだれ桜、2分咲き、合格を祝ってくれている様だ。
3月4月は別れと出会いの時だ。飯伊2・3の保育園では休園の会が催され、浪合村に続き、清内路村が120年の歴史に幕を引き、阿智村と合併、閉村式と消防団閉団式が盛大に行われた。4月に入り新阿智村開村式と忙しい。清内路村は、700名足らずの村ですが、花桃の発祥地、手作り花火が有名で300年の歴史を伝承している。村おこしにと「ぬくもりの宿」農家民泊、農業を体験してもらう体験民宿を立ち上げて全国に呼びかけている、活気ある村だ。
これで阿智村は、昼神温泉郷・スキー場・ゴルフ場・ロープウエー・手作り花火・花桃・秋の紅葉と観光資源満載で、ますます発展するだろう。
この度、文化経済自立都市飯田市は、環境モデル都市に続き「中心市宣言」をした。定住自立圏構想実現に向けての第1歩である。下伊那郡の各町村と個別の協定を結び、お互いに助け合い共に成長するために、医療・産業・福祉・交通の連携を考えていく方針である。圏域全体を視野に、定住に必要な都市機能の整備・生活機能確保・充実に努める。
また第2勢力の上郷商工会が上郷商業組合から引き継いでから飯田市になっても独自に活動していたが、商工会48年の幕を閉じ、飯田商工会議所上郷支部として活躍する。
環境の面でも経済的面でも、下伊那の都としていた頃の飯田市に戻れることを期待している。
(新聞の切り抜きは、南信州新聞・信濃毎日新聞)
(斎藤 純)

座光寺饅頭と元善光寺
先日、ある方が職場を訪ねて来られ、「たまには甘いものでも」と座光寺饅頭を沢山持参いただいた。
“東の座光寺饅頭に西の一二三屋饅頭”(と云うのかどうか?小生が勝手に命名したものかも知れないが・・・)は、昔から故郷の甘いものの代表格。学生時代からの懐かしい“甘み”のひとつではある。
本当に久し振りに(多分、何年ぶりかで)、あのしっかり甘い粒あんの座光寺饅頭をご馳走になった。
一方の一二三屋饅頭はこしあんでどちらかというと甘さ控え目で、一寸上品な感じではある。好みの問題であろうが、婆さんの自家製あんこが何よりの好物だった田舎者には、何となくこの粒あんの方が嬉しい。
早速、先の週末、久しぶりにその饅頭を求めて元善光寺門前町を訪ねてみた。
朝からお寺の駐車場には県外車も入り始め、急な石段を上り下りする人も多い。そういえば今年は7年に一度の御開帳である。 連日、テレビや新聞で善光寺御開帳の様子を目にし耳にするところであるが、勿論「元善光寺」も御開帳の年だ。
特に今年は全国六善光寺一斉御開帳で、これは史上初とのことであるから特別の大イベント。この4月5日から5月31日までの約2ヶ月間、全国の「善光寺」が大いに賑わうことであろう。
元善光寺の境内には既に立派な回向柱が建立され、すっかり準備も整って後は4月5日を待つばかりである。
(槙原 英勝)

任期満了に伴う市議会議員選挙が、4月12日告示、19日投票の日程で行われます。
今回の選挙はは定数が29から23に減る中で、少数激戦が予想されています。今は告示を前に、あちこちで個人演説会が行われているところです。飯田市内にお住まいの皆さん、19日は忘れずに投票に出かけましょう。
さて、話題を我が家に転ずると、長男が大学を卒業し、飯田に戻ってきて就職しました。4月1日は入社式を終え夕方帰宅すると、夕食を済ませてすぐに眠ってしまったとの事。やっぱり緊張していたのでしょう。
慣れるまでは無理をせずに頑張ってもらいたいものです。
上の写真は3月29日と4月5日に同じ場所で撮影した桜です。開花したのは早かったのですが、その後最低気温が0度に下がるなどして朝晩は寒い日が続いたので、なかなか散りません。但し、咲くまではかなり急だったので、色はあまり鮮やかではないようです。
(高橋 秀治)

天竜橋架け替え工事/カンボジアに飯田学校 他
- At 3月 30, 2009
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この暖かい冬はこのまま終わってしまうのか?と近くの農家の方々は不安がっています。昨年の2月、3月の“ふるさと情報便”を見ると、掲載した写真には雪が溢れています。阿智村伍和寺尾の座禅草は、3月になってから雪の中に顔を出していました。今年は、2月末、群生地には雪も全くなく、もうあちこちで仏炎苞(ぶつえんほう)が開き、花茎を見せています(写真左)。
3月1日の日曜日、治部坂高原スキー場でも、文明の利器のおかげでゲレンデには雪もあり、愛知、静岡などからの家族ずれのスキー客で駐車場があふれ、賑わっています。が、周辺の山々にはほとんど雪がありません(写真右。奥の山は大川入山:1907.7m)。
40年間以上雪のない茨城などに住んでいた前期?高齢者には、暖かい信州の冬は歓迎なのですが、世界を覆う現在の経済状況と同じように不気味に感じてしまいます。
(原 健彦)
天竜橋架け替え工事
2月中旬に時又から龍江に渡ろうとして、びっくりしてしまいました。天竜橋の下流側に新しい橋を建設中でした。
架け替え工事の話は知っていましたが、普段は全く利用しない橋なので、ここまで工事が進んでいるとは思いも寄りませんでした。
本来ならば、田中前知事の任期中に着工予定だったはずが、誰かが田中氏に送った(らしい)1通のメールにより着工が遅れたという経緯があります。
3月8日(日)には、この橋の上流で初午はだかまつりが行われます。
(写真は3月1日に撮影した新しい天竜橋。)
(高橋 秀治)
リニア新幹線(続報)
今年の1月1日付け地元新聞の大見出し、「直線ルートで飯田駅を–リニア誘致へ正念場の年–」のとおり、”ふるさと”飯田下伊那地方にとって、最も大きな関心事のこの巨大プロジェクトが、いよいよ現実味を帯びて身近になりつつある。
今最大のテーマはそのルートや中間駅の問題で、この選定をめぐって沿線地域の動きが活発になりつつある。
これは小生の穿った見方かも知れないが、従来からこの問題に官民挙げて熱心に取り組んで来たこの飯伊地方に比べて、他の地域や県全体としては、これまで、どちらかというと余り関心が無いのではないかとも感じていたところであったが、昨年、JR東海が南アルプス貫通トンネルによる「直線ルート」の実現性を発表すると、俄にあちこちから喧しく色々な話しが聞こえ出した。
それぞれに様々な思いや目論見があって、当然のことと言えば当然でもあるが、2025年開業には、出来るだけ早期にルート問題が解決する必要があり、先ずこの最初の関門が無事に突破されることを願うところである。
そして、いよいよこの地方への駅の設置へと、未来に夢が脹らむ。
そのためにも、やはり地域住民の意識と運動の高まりこそが大切と、先頃、橋南まちづくり委員会の手によってアピール看板が橋南公民館(元復興記念館)横の公園内、蒸気機関車D51に取り付けられた。飯田駅の設置を推進する地域のこの運動、群市民の中に展開して盛り上がっていくことが期待される。
(槙原 英勝)
カンボジアに「飯田学校」
南信州新聞2月22日付 飯田学校の記事が記載された。
「カンボジアに学校を」は島田紳助が、TV行列が出来る法律相談所の中で芸能人等著名人の描いた絵を集め それを資金に学校建設に寄与した事は、有名である。
それ以前より、飯田のNPO法人のこの企画に共感した三五会(高12回)が、チャリティーコンサートなど開いて募金活動を開始していた。
最初から携わっていた池田延史さん(高12)に写真と原稿をいただけましたので記載します。

「カンボジアの伝統織物であるクメール絹織物を復活させようと異国の地で心血を注いでいる森本喜久男氏に共鳴し、そこに住む伝統の森の住民の教育を支援して活動する「NPO法人ふるさと南信州緑の基金」の呼びかけによりカンボジアへ学校を建設しようと3年前飯田で募金集めを行った高12回「飯田三五会」のその後についてお伝えします。
飯田市にゆかりのあるプラハ在住の若きピアニスト竹内英仁さんを招聘し、三五会が実行委員となり飯田文化会館でコンサートを開き、大盛況で多くの皆さんから資金の提供をいただきました。
その収益金により「飯田学校」建設の運びとなり昨年の8月には地鎮祭を挙行いよいよ開校式典となりました。
関係者によるスタディツアーが2月1日から一週間の予定で実施され、同行した高12回の池田氏からその報告がありました。
池田氏はコンサートの実行委員長でもあり今回の開校式典では市長のメッセージを代読するという名誉に大変喜んでいました。
クメール絹織物を昔ながらの織機により若い娘さんたちがわずかの手間賃で仕事をしていますがその傍らでは2歳~3歳の幼児が裸で遊んでいます。でもこの子どもたちの眼は輝き、生きるということに幸せを感じていることが切実に感じとれました。1970年から続いた内戦により荒廃化したカンボジアから立ち直ろうと頑張っている人々を見ると今回の支援の意義がけっして無駄ではないと池田氏は語っていました。
まだまだ設備、人材など支援の道は半ばではあるが、出来るかぎりNPOの皆さんの活動を支援していきたいと言っていました。
今回のツアーではアンコールワットの見学はもとより、スナーダークマエ孤児院での須坂園芸高校の3名の生徒さんによる紙漉き指導やトンレサップ湖と周辺の農村視察や高床住居の村の生活など豊かな物の溢れた日本の生活とはかけ離れた現実を見るにつけ考えさせられる場面が多々ありました。」
* 正に 今年度総会において、追加承認された会則「地域社会に貢献」学年を挙げての貢献である。
(斎藤 純)
環境モデル都市飯田/“春”近し飯田街道ひなまつり 他
- At 2月 28, 2009
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高校ラグビー新人大会情報
1,000人の大応援団で盛り上がった「花園(第88回全国高校ラグビー大会)」から二ヶ月。既に、次のステージに向けてのラグビー大会が開幕しています。
高校ラグビー新人長野県大会(北信越高校新人ラグビー大会県予選)で、その決勝戦が、この2月22日(日)に飯田市松尾の飯田市総合運動場で繰り広げられました。戦前の予想通り下伊那農業高校との決勝戦に臨んで、前半の3トライ差を見事に逆点し、27対17で圧勝、県優勝を勝ち取りました。
いよいよ次は3月の北信越大会です。これまでの実績、実力からシードされて理想の組み合わせにありますので、決勝そして優勝と、今から期待が膨らみます。花園同様、同窓生の皆さんのご声援を宜しくお願いいたします。
右は、北信越大会の組み合わせ、日程です。
また、次の各紙をクリックしていただくと、過日の県大会の模様を報道する記事をご覧いただけます。
(槙原 英勝)
環境モデル都市「飯田」
「環境文化都市」飯田市が「環境モデル都市」の追加選定を受けた。温室効果ガス削減で低炭素型の都市を目指す。1月23日首相官邸で、牧野市長に認定書が授与された。昨年7月に選定された6都市に続き今年7都市が追加選定された。
飯田市では2030年には、40~50%温室効果ガス削減、2050年には70%の削減を目指している。この世界的経済不況の中、生命の存続にも係る大事業に、取り組もうとしている。行政だけで出来る問題でない、住民1人1人が、一丸となって係わらなければ、目標達成はない。
この選定に先駆けて、飯田市“丘の上”の女性が、私たちが出している、大量の生ごみ(年間180トン内市街地橋南80トン)を何とかガス削減や有効活用は出来ないものかと考え、これを堆肥に、ラベンダーを植え、飯田市に香りある新たな名所を作ろうとの動きがあり、農家を持たない“丘の上”、街つくり委員会が動き、行政が動いた。
これまで、あちこち視察をし、空き地や、プランター栽培をしていたものが、いよいよ花開いた。「アロマ環境協会賞」を受賞し副賞に2000本の苗木を得、4月には市街地分離帯に植える予定である。開花は、6~9月、お盆帰省の折には、ぜひ見てください。花言葉「あなたを待ってます・期待」第二の富良野になるのもそう遠くないですね。
ちなみに りんご並木がある都市、日本に2箇所 札幌と飯田、知ってました?北海道旅行のツアーのバスの中で聞き、思わず、私飯田ですと手を挙げてしまいました。
(写真・南信州新聞切貼り)
(斎藤 純)

さあ2月。「節分」、そして3月「桃の節句」と、一雨ごとに季節は確実に移り変わりつつある。
その桃の節句に合わせて今年も、阿智から根羽に通じる国道(旧国道)沿いをひな人形で飾る「飯田街道ひなまつり」が、3月から4月の間に開かれるとのことである。
いつ頃から続いているものか未だ確認できていないが、聞くところによると県境の愛知県足助地方に、江戸後期からの歴史を刻む足助の町並み一帯の、約140軒の商家や民家に土雛や衣装雛を飾る「中馬のおひなさん」という行事があって(今年が第11回とのことで、この2月7日から3月8日までの一ヶ月間行われる)、この足助の“おひなさん”に連動して行われるようになったとのことの様だから、多分ここ5年程のことかと思うのだが、ふるさとのこの時期の行事・催しとして定着しつつある。
これに先駆けて1月の半ばから、昼神温泉旅館「石苔亭いしだ」や「ホテルはなや」に、早々とさまざまな人形が飾り付けられ始めたと云うので、雨上がりの昼神温泉郷にこのひな人形を訪ねてみた。
「石苔亭いしだ」には、全国でも珍しい2000体という「つるし雛」と、その他に200体の雛人形が勢揃いで、能舞台「紫宸殿(ししんでん)」が絢爛と彩られていた。正に、“春は直ぐそこに”である。
(槙原 英勝)


引っ越しシーズン到来?
都内の大学の寮(4人部屋)を、「出たい、出たい。」と言っていた長女が、とうとう念願をかなえ、アパート暮らしを始めました。
当日は、午前10時までに退寮する決まりになっているとかで、5時半頃ヨメと二人で自宅を出発しました。引っ越しとは言え、寮の部屋に置いてあった荷物を運び出すだけなので、寮からクルマで5分足らずのアパートとの間を2往復するだけで済みました。
さて、2月中旬に予定されている引っ越しがちょっと大変です。2トン車を借りました。初日は大阪から飯田に戻る長男の引っ越しです。250ccのオートバイなども積み込みます。果たして当日は荷物を積み込むだけの段階まで進んでいるでしょうか。ちょっと心配です。荷物を積み終えたら、とりあえず飯田に戻ります。
2日目は、大阪から積んできた冷蔵庫、洗濯機、テレビ、電子レンジなどを東京の長女のアパートへ運び込まなくてはなりません。
以前はクルマで東京へ日帰りしても平気だったのですが、最近では年のせいか疲れが残るようになりました。さて、2日間にわたる引っ越し、どうなることやら・・・。
(写真は2月4日に撮影した“天竜船下り”弁天港の様子。)
(高橋 秀治)
女性参加を進める会/「花園」メモリアル 他
- At 1月 30, 2009
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「女性参加を進める会」開かれる
第4回目となった飯田高校同窓会「女性参加を進める会」が、去る1月24日(土)、飯田高校を会場に、約90名の参加者を得て盛大に開催されました。
今回は、高26回卒業で飯田女子高校非常勤講師を務める長沼万里さんの「源氏物語–その千年の魅力–」と題する講演会や、同窓生合唱団「あかいし」のコーラス、そして、現役邦楽班の琴の演奏と、多彩な催しが用意されました。
特に、今回はこれらが一般公開として行われ、同窓会員のみならず一般市民の参加も得て行われたところに特徴があります。今年度から同窓会として進める”社会貢献”活動の一環として行われました。
遠く東京方面から駆けつけた同窓生やまた一般市民の方々共に、長沼さんの興味深い講演に耳を傾け、琴の演奏やコーラスに酔いしれた一時でした。
当日の様子を伝える1月28日付けの信州日報新聞の記事を転載させていただき、スナップ写真と共に「ふるさとからの便り」として報告させていただきます。
(事務局)
母校、強豪を相手に大健闘
第88回全国高校ラグビー大会2日目の12月28日、飯田高校ラグビー班は1回戦で京都成章を相手に試合をしましたが、3対45で敗れ、10年ぶりの1勝は出来ませんでした。
保護者会は前日に大阪に入り、日帰りの応援団も飯田下伊那からバス19台を連ねて近鉄花園ラグビー場に約1000人が集結しました。この試合のために、1300本のタオルと1000本の小旗が用意されました。
試合の相手となった京都成章は、京都府予選の決勝で古豪伏見工業を25対7で破った強豪で、力の差は大きく、飯田高校が奪ったのは前半のペナルティー・ゴールによる3点だけでしたが、タックルしてもなかなか倒れない相手に対し、ノー・サイドのホイッスルが鳴るまであきらめずにボールを追いかけていました。大差で敗れたとは言え、胸を張れる試合内容だったと言えるでしょう。
3年生は志望校への合格を、1、2年生は花園への連続出場を目指して頑張って欲しいと思います。
なお、京都成章は30日に行われた2回戦でシード校の東海大仰星を10対7で破り、ベスト16に名乗りを上げました。
(高橋 秀治)
「花園」メモリアル
「花園に輝いた飯田魂」信州日報新聞2009.1.6付より(縦長に割り付けるため、少々加工させていただきました)
「飯田 10年ぶりに花園舞う」南信州新聞2009.1.4付より
「花園」レポートに続いて、飯高ラグ班の活躍の軌跡を地元新聞等の記事によって綴ります。
「勝利の曲」、来年までお預けに。
残念ながら花園に「勝利の曲」を轟かすことは出来ませんでしたが、我が飯田高校ラグ班フィフティーンは、花園の大舞台で正々堂々と一回戦を戦い抜きました。
結果は3対45と、彼の有名な伏見工業を下して京都代表として花園へ乗り込んだ「京都成章」の実力の前に、トライを許して貰えず惜敗。
しかし、故里から花園入りした大型バス19台と全国各地から駆けつけた同窓生等々、約千人の大応援団は全国一。”飯田高校ここにあり”を確実にアピールした大会でした。
試合結果と応援の様子を、信濃毎日新聞と中日新聞の記事を転載して紹介します。
信濃毎日新聞12月29日付
中日新聞12月29日付
夢の大舞台で堂々の入場行進。
南信州新聞12月28日付。
信州日報12月28日付。
信濃毎日新聞連載最後の「花園へ臨む飯田高校」(下)です。12月27日付記事を転載し紹介します。
さあ、いよいよ明日11時15分キックオフ。栄光あれ・飯田高校!フレーフレー飯田!!
昨日に引き続き、26日の信濃毎日新聞に「花園へ臨む飯田高校」(中)の記事が掲載されましたので、転載して紹介します。明日は、(下)の記事になるかと思いますので、楽しみにお待ち下さい。
12月24日「壮行会」について、地元紙「南信州新聞」と「信州日報」に掲載された記事です。ご覧下さい。
南信州新聞(2008.12.26)
信州日報(2008.12.26)
ラグビー班飯田市壮行会(12月24日)の様子が、また、ラグビー班の記事が25日付の信濃毎日新聞と中日新聞に掲載されましたので、転載いたします。
信濃毎日新聞(2008.12.25)
信濃毎日新聞(2008.12.25)
中日新聞(2008.12.25)
12月24日(水)、午後4時半から飯田市役所玄関前で、牧野飯田市長始め市の理事者・部課長・職員の方々、同窓会やラグビーOB会、更に選手の家族の皆さんや多くの市民の参加を得て、盛大に壮行会が実施されました。そして、駐車場に待つ大型バスに乗り込んだ選手諸君は、暖かい声援に送られていよいよ「花園」へ向けて出発です。
さあ、試合まで後数日。しっかり体調を整えて、最高の舞台で最高の戦いを展開して貰いたいものです。皆さん、「花園」でご一緒に応援しましょう!
さて、明日(24日)は飯田市の壮行会(午後4時40分、飯田市役所玄関前)。「花園」へ向けて出発です。
競技場に乗り込むラグビー班メンバーを、21日付の南信州新聞をお借りして紹介します。是非、一人ひとりにご声援を!!
いざ、「花園」へ。飯田高校で行われた壮行会の様子が20日付の南信州新聞に掲載されました。
応援グッズも整い、いよいよ臨戦態勢です!!
信濃毎日新聞「飯田高校ラグビー班」シリーズ、12月20日付(最終3回目)です。
信濃毎日新聞シリーズ、12月19日付です。
”文武両道”に精進する伝統の飯高ラグビー班。信濃毎日新聞にシリーズで紹介された記事です。
12月18日付。
飯田高校ラグビーに「ふるさと」の盛り上がりを伝える中日新聞記事(13日付)です。
12月11日、12日と相次いで、牧野飯田市長、村井長野県知事を訪問した「ラグビー班」の様子が、それぞれ新聞に紹介されました。
信濃毎日新聞2008.12.13
中日新聞2008.12.13 南信州新聞2008.12.13
信州日報2008.12.13
飯田高校ラグビー班、牧野飯田市長を表敬訪問。花園出場を報告し、活躍を誓いました。
12月12日付けの「信濃毎日新聞」と「中日新聞」に掲載された記事です。
第1回戦(28日、11:15キックオフ)の対戦相手決定を報じる地元新聞
花園ラグビー大会、注目の組み合わせ抽選結果は、先にお知らせしたとおり(下欄の記事)ですが、その抽選会の様子。また、対戦相手と決定した京都成章高校のキャプテンとガッチリ握手をする我が飯高中村主将の写真、更には大会に向けて闘志一杯の頼もしいコメントなど、詳細が12月9日付けの信州日報に掲載されましたので転載させていただきました。是非、ご一読下さい。
飯田からの「応援バスツアー」募集もこの週末、13日(土)から始まる様です。申込み要領などの情報は、入手次第このホームページ、「お知らせコーナー」等でもお伝えする予定です。
12月28日は、前回、10年前を上回る多くのバスを連ねて、「ふるさと」から”飯高サポーター”を繰り出しましょう。
「花園」第1回戦は、京都成章と対戦
第88回全国高等学校ラグビー大会の組み合わせが決まり、10年ぶり5回目の花園出場を果たした我が飯田高校は、初戦を京都代表の京都成章高校と争うことになりました。
試合は大会第2日目、12月28日(日)午前11時15分キックオフ。会場は、花園第2グランドです。
京都成章は、花園常連の伏見工業を破っての出場であり、実力あるチームで大変厳しい試合と予想されますが、県大会を通じて正に総合力を頂点に高めつつある飯高ラグビー班です。初戦突破に向けて、大いに活躍が期待されます。
右は、組み合わせを報じる12月7日付けの信濃毎日新聞です。湯澤監督の対戦に向けた作戦もコメントされていますので、ご参照下さい。
各方面から、ラグビー応援募金など力強い声援・支援も寄せられています。また、近く飯田からの応援バスツアーの募集も開始されることになります。是非、多くの皆さんの声援で、フィフティーンをバックアップしましょう。
ラグビー班主将中村光希選手が、12月3日、出身の安曇野市に平林伊三郎市長を訪ね、念願だった中学時代からの「花園」出場を報告し、全国大会での健闘を誓った。とのニュースが、信濃毎日新聞に掲載されました。
下の画像は2008.12.4付「信濃毎日新聞」記事です。
飯田高校校舎や市役所前の応援横断幕と、アップルロード沿にお目見えした”ラガー人形(石像)”
飯高ラグ班、長野県大会を制し「花園」へ!!
地元「信濃毎日新聞」、「南信州新聞」そして「信州日報」の報道を転載させていただきます。
相次ぐ快挙 正しく文武両道/冬の柿畑 他
- At 12月 30, 2008
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相次ぐ快挙 正しく文武両道
飯田高校花園への盛り上がりの中、サッカー新人戦が11月16・17日千曲市サッカー場で開かれ、飯田高校が、昭和48年以来の35年ぶりに3位を勝ち取る快挙を見せた。
地元新聞南信州新聞社が、11月2日以来 飯田高校ラクビーの特集をくみ、飯田高校一色の頁まであり、毎日「飯田ラグ班12.27最高の舞台へ」選手一人一人の守備と、監督のコメントを含め連載されている時、割り込むような快挙報道、正しく飯田高校の伝統、文武両道である。
1つのエピソード、ラクビーの試合応援席、選手がミスった時、ある父兄「馬鹿野郎何してるんだ!」ラクビーOB「馬鹿じゃない、頭いいから、今に見ていろ」と一同爆笑した、期待に沿ってくれた。皆さんご承知のように県下でも優秀な進学校になっているこの頃、学校に練習風景を見に行くこともしばしばあるが、吹奏楽の音が聞こえ、狭いところで、野球、ラクビー、バレー、テニス、サッカーと汗と泥まみれで、頑張っている。
ほんの3年間だけの学び舎であるが青春を謳歌してほしい、これが1生の思い出になる事も忘れないで。
*もう1つの快挙
11月15・16日第57回長野県縦断駅伝で、飯田下伊那チームが51年半世紀ぶりの優勝を果たした。サッカーも、監督・選手過去の栄光を知らない年代だが、ラクビー花園の1つの快挙が、大きく響いていることは間違いない。長野市から、飯田市まで、217,1Kmを15チームが参加した。
初日は、長野市から岡谷市、12区間、首位4位だったが7区佐久長聖高の松下巧が区間新を出すなど単独2位でレースを展開、しかし11区でアクシデントが起こり失速し、4位に終わった。
2日目13区走者 勾田達也(一般)の好走で2位に浮上、その後佐久長聖高コンビが区間賞の走りを見せ、トップに踊り出た。飯田入りは、小雨降る寒い1日、2位との差を引き離し、アンカー21区三沢健(飯田米穀)が、上郷竜坂を登り、飯田高校前を通過した。小伝馬町では、浜井場小学校の金管バンドに送られ、ゴールへ、待ち構えた観衆の渦へと消えた。走者1人1人は、次の走者の事を考えて走ったというが、逆転又逆転で勝ち得たものは、21人の、チームワークに尽きる。
(写真は、南信州新聞社・信濃毎日新聞社から)
(斎藤 純)


冬の柿畑
師走に入りました。南信州の晩秋の風景も初冬の景色へと変わってゆきます。その中で、いまだに秋の実りの風景をそのまま残しているものがあります。市田柿の畑です。
(写真左は飯田市山本。柿畑の木の間から赤石山塊を望む。右は風越山を背景にした飯田市伊賀良の柿畑)
市田柿は、お歳暮として南信州から全国に送られる代表的な商品の一つとして有名です。が、特に最近は、柿の実の収穫、皮むき、“柿すだれ”の名で有名な柿干し、室内乾燥、天日乾燥と柿もみ、白い粉が出てくるまで作業などなど、更にその間の品質管理が大変。そのため高齢化の進む農家では市田柿を作ることを止めたところもあるようです。その結果、柿の木の林立する畑に、柿の実をいっぱいにつけた柿の木がいつまでも残ることになりました。
この柿の実は、雪が降り野山に食べるものがなくなった時、小鳥たちが来て食べつくすまで、木の枝にのこされたままです。山に木の実が少ない年などは、山間の柿畑には、猿や熊なども食べに来ます。南信州の新しい風景の一つとなってしまいました。
(原 健彦)
いよいよ、冬本番へ?
11月も下旬に入った19日(水)、朝から予報通りの寒々しい天候である。昼前に大休方面へ出掛ける用件があって大平街道を登って行くと、自動車のウインドウに何やら雨粒と違うものがチラホラと落ちかかる。今年初めての“雪”である。
昼には職場(市内松尾)に帰ってしまったので直接その景色を見たわけでは無いのだが、昼過ぎから夕方にかけて中心市街地では時折吹雪のような降雪があったとのこと。また、南信濃から職場を訪ねていただいた方からは「小川路トンネルの向こう側はひどい吹雪で・・・」との情報も。一寸早い雪降りに、これから先が案じられるところである。
明けて20日の風越山は、山頂にうっすらと雪を戴いて朝日に輝いた。勿論、その奥の摺古木や安平路方面は真っ白であった。
今年の初雪は平年より11日早いとのこと。いよいよ本格的な冬の到来か?季節の変化の目まぐるしい時である。
(槙原 英勝)


今年を振り返って
12月1日の朝、出勤する際にクルマの温度計を見ると、気温は氷点下3度でした。本格的な冬の訪れを感じましたが、その後3日間は0度くらいが続いています。
今年もいろいろな事がありましたが、私にとっての最も衝撃的だった出来事は、生まれて初めての入院・手術です。5月下旬に新宿区内の病院に10日間入院しましたが、文字通り白衣の天使が朝も昼も晩も真夜中も手を握ってくれて、夢のようなひとときでした。
一番うれしかった事は、来年大学を卒業する予定の長男が地元に就職口を見つけ、4月から自宅から通勤する事が決まった事でしょう。悩める事と言えば、2年間大学の寮生活を送ってきた長女がひとり暮らしをしたいと言い始めた事です。まだ結論は出ていませんが、心配の種が一つ増えてしまいました。
あと4週間足らず、何が起きるかわかりませんが、どうやら家族6人でオトシトリを迎える事が出来そうです。
(写真はいずれも12月1日に撮影。フロント・ガラスの凍りついたクルマと雪をかぶった南アルプス。)
(高橋 秀治)

花園でお会いしましょう/リニア新幹線について 他
- At 11月 30, 2008
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“花園”でお会いしましょう
第88回全国高校ラグビーフットボール大会県予選の決勝戦が、2日(日)午後長野市南長野運動公園にて行われ、飯田高校が下伊那農業高校を22対14で下し、「花園」へのキップを手にしました。
試合は午後1時に飯田高校のキックオフで始まり、飯田高校が立て続けに2トライを奪いましたが、その後下伊那農業高校に2トライ(2ゴール)を奪われ、前半を10対14で終えました。
後半に入ると、飯田高校のフォワードが踏ん張り、殆どを相手陣内で戦う事で2トライ(1ゴール)を奪う一方、下伊那農業高校に追加点を与えないまま、ノーサイドの笛が鳴りました。
同窓会では、マイクロバス1台を借りて清水校長先生(高21回)を含む20名余が応援に臨みましたが、保護者会でもマイクロバス2台を連ねたほか、自家用車で駆けつけた同窓生もかなりの数に上りました。
応援団長を三石さん(高11回)が務められましたが、試合前から校歌を歌ったり、試合中も「行け行け飯田!!」など激励の声援の音頭を取られたりして、大活躍されました。
試合終了後、飯田に帰る車中で、飯田高校で選手を迎えるセレモニーをする事が急遽決定し、応援に参加した同窓会、保護者会の殆どの人たちが学校で選手達を待ち、校歌を歌って改めて喜びを分かち合いました。
“花園”の日程はまだ決まっておりませんが、多くの同窓生の皆さんが応援に行かれる事を願っております。
(写真、左上より、前半4分の先制トライ。ノーサイドの瞬間。勝利の報告を終え、引き揚げるフィフティーン。「勝利の曲」を歌う応援団。母校にて花束贈呈を行う、ラグビー班OBの加藤さん(高5回)と同窓会副会長の福沢さん(高18回)。花束を受け取る中村主将と湯沢監督( 高33回)。)
(高橋 秀治)


イギリスの皆さんが訪れる南信州・横川の秋
南信州・阿智村智里に横川という集落がある。南信州の秋はどこも素晴らしいが、訪れる人も少ない横川の秋も美しい(写真左は園原から横川へ行く道路沿いの横川渓谷の一部。写真右は横川の奥から眺めた集落の一部とその東側にある“夜烏山1,319m”。)。
この美しい集落も過疎地となってしまった。1970年には148人の人口であったのが、2008年には32人になってしまい、高齢化率も約66%に達しているとか。阿智村智里西小学校横川分校はもう随分前に閉じられ、その後は小中学生のためにスクールバスが走っていたが、現在はその必要もなくなってしまった。
11月中旬に(財)自治体国際化協会主催の海外自治体幹部職員交流セミナー事業で、“南信州広域連合”が、イギリスから13名の皆さんを迎えることになった。そのプログラムでは、飯田美術博物館、川本喜八郎人形美術館や、下久堅、川路、浪合などで成功している区民センター、農園などの視察が含まれている。
ただ一つ、もっとも厳しい状況にある集落例の視察として、この“横川集落”が選ばれた。どのようなことをイギリスの皆さんが感じるのか・・・。この数年、何回もこの地を訪れている者の一人として複雑な想いで一杯である。
(原 健彦)

JR東海広報室でも期成同盟会の事務局でも無いのだが、再び、地域に関わる話題としてリニア中央エクスプレス関連で。
10月22日の新聞各紙に大きく報道されたJR東海の発表はその建設リートに関するもので、これまで様々研究されまた論議されて来た3つのルート、A:木曽谷を回るもの、B:諏訪から伊那谷を通るルート、そして最近俄に現実味を帯びて来た山梨から赤石山脈をトンネルで抜けるCルート、その何れもが技術的には全く問題ないと云う内容である。
この発表で、これまで、飯田市はじめ各自治体や商工会議所などの経済団体等々地域を挙げて取り組んで来た”夢のリニア実現”と”飯田駅の設置”が、更に又一歩大きく前進するところとなった。
一方、これらを受け俄に動き出したのが、Bルートを推して来た長野県はじめ諏訪や伊那、駒ヶ根等の沿線地域。当然と云えば当然だが、どちらかと云うとこれまでこのプロジェクトへの関心が薄かったのではと見える(小職の少ない情報の中の穿った見方であれば訂正しなければならないが・・)それらの方々が、「Cルートでは駄目」と声高に発言し始めたのは如何なものであろうかとも思う。
この報道を伝える中日新聞の見出し「前途に”山”」のごとく、正に、実現に向け前方には幾つもの大きな山が立ちはだかって来るものであろう。いよいよ注目して、地域の将来に関わるこの一大プロジェクトの動きを見守って行きたいものと思う。
右の南信州新聞と中日新聞の記事コピーをクリックしていただくと、それぞれ拡大してご覧いただくことができますのでご参照下さい。
(槙原 英勝)

♪♪山田の中の1本足のカカシ♪♪
懐かしいですね、秋になると、田んぼには、案山子が付き物でしたが、今では、鳥除けに、CDをぶる下げるところはあっても、あのすずめ脅しの「ドン」の音も聞きませんね。ある農家の人「鳥も生きているから」と、これも減反か。
皆さんもご存知の通り、棚田100選の一つ飯田市千代の「よこね田んぼ」幾つあるのだろう小さな棚田に、小学生から、一般までの力作の案山子があり、今年もコンテストがあった。やはりオリンピックの北島がここでも強かった。
千代公式サイトhttp://www.iidanet.or.jp/ichiko/kakasisinsa.htm/
もう一ヶ所、高森町牛牧(フルーツライン)あんしん市場駐車場に、45体のユニークな案山子を見つけた。やはりここでもオリンピックが主流である。
競泳の北島・牛牧野球のユニホームを着た上野投手・農家にとっては重大な事故米・お父さんお母さん頑張れ子沢山、今年の政治風刺も、自眠党阿荘・服打五平・見ん主党尾佐和五平に一言等、精巧に出来ていて、まだ着られそうなスーツ姿も、今では、一本足が、だんだんと二本足に変わってました。ここでも投票の結果、抽選で商品が出るようだ。まだまだ飯田で田舎を発見できますよ。
(写真はあんしん市場駐車場)
(斎藤 純)

収穫の秋・紅葉の秋/戦いの時、来る 他
- At 10月 30, 2008
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収穫の秋・紅葉の秋
飯田・下伊那地区の稲刈りが行われている最中ですが、4日から5日にかけて殆どの田んぼの稲刈りが終るのではないでしょうか。
当地区では、間もなく紅葉シーズンが始まります。いくつかのスポットをご紹介しましょう。 夕立神パノラマ公園(大鹿村) - 展望台は標高1620メートルの所にあります。
不動滝(高森町) - 長野県自然百選にも選ばれたこの滝は、高さ50メートル、幅10メートル余りです。
しらびそ高原(飯田市遠山郷) - 標高1900メートルの所にあるので、最も早く紅葉のシーズンを迎えます。
治部坂高原(阿智村) - 標高1200メートル。
富士見台高原ロープウェイ ヘブンスそのはら(阿智村) - ロープウェイの全長は2500メートル、標高差は600メートルあります。ロープウェイの料金は2000円(中学生以下半額)です。
羽衣崎(天龍村) - 為栗駅と平岡駅の中間にあるので、飯田線の車窓からも紅葉を眺められます。 小戸名渓谷(根羽村) - 根羽村から茶臼山を経由して阿南町はと続く道沿いにあります。 天気の良い日に出かけられてはいかがでしょうか。
さて、今月のオススメは「曹操」上下巻 (陳舜臣 著 中公文庫)です。「三国志」に登場する「清平(平和時)の姦賊、乱世の英雄」と評された男の物語です。この本では、24歳から亡くなる66歳までの生涯が書かれています。
(写真は9月27日に撮影。竜丘地区の田んぼ。)
(高橋 秀治)
戦いの時、来る!
今月の(というか、これから12月を目指しての)話題は何と言っても“ラグビー”でしょう。いよいよ10年ぶりの「花園」出場へ向けて、同窓生の皆さんの力強い応戦が期待される時となりました。
そしてまた今年は、ラグビー班創部60年という節目にあたる年。チームもこの期待に十分沿い得る力を付け充実しています。「間違いなし」と言っても過言では無いでしょう。(勿論、素人筆者の強い思い入れによる分析と判断ではありますが・・)
写真は、去る9月20・21日の両日に亘って飯田市総合運動場(飯田市松尾)で繰り広げられた、南信州クラブ(仮称:小澤健代表(高28回))主催による、第1回信静高校ラグビー交流大会の熱戦の様子です。(9/23付「南信州新聞」から転載させていただきました)
静岡県代表として名高い「東海大学付属翔洋高校」を招待しての二日間。特に、二日目の21日は、正に豪雨の中、最悪のコンディションにも拘わらず、27対14で快勝。
今年の我が飯田高校ラグビー班フィフティーン。強いフォワードに走るバックス、そして全員の果敢なタックルと、これまでにないチームに仕上がっています。いよいよ「花園のキップは近い」との揺るぎない感触を得たところです。
20日にはラグビー班創部60周年の記念現役激励会が市内「平安閣」で盛大に開催され、多くの熱いメッセージが寄せられたとのこと。時、正に来たり。同窓会そして地域を上げて声援を送りましょう。
ここ(南信州、信州日報)をクリックすると、交流大会や60周年記念・激励会の模様を伝える地元新聞(PDF版)をご覧いただけます。是非、お訪ね下さい。
(槙原 英勝)
今年最後を飾る飯田の花火から10月各種イベントへ
7月初旬から始まった各神社の奉納花火が9月28日飯田市山本七久里神社の祭典・10月に入ってもなお続き、ほぼ終わる。
2ヶ月以上毎週ダブっての煙火。改めて飯田地方の花火好きを感じた。全国煙火許可数統計からも、静岡県、長野県、愛知県、北海道・・・順で2位 長野県では、下伊那、長野、松本、諏訪・・・で第1位 下伊那では飯田、阿南、松川の順である。古くは、1712年今宮神社にて打上げ、5年後に隅田川にて打ち上げた、との記録があるだけに、全国から見ても、静岡に継ぎ2番目の速さ、武田信玄の狼煙台にも影響している。
明治11年、長野市に明治天皇が来られた際、飯田の花火を高く評価されたとの記録もあるが、当時飯田から、どうやって運んだのか。その後 信州飯田の花火は、岡崎・水戸・岐阜とともに四大花火といわれ、大会でも何度も優勝している。戦争にて中断し 花火事故で中断を繰り返しながらも、なお盛んになる。上郷、内山花火工場爆発、浜井場小学校・飯田高校の窓ガラスが割れた事も、生々しい語り草になっている。
下伊那独特の大三国花火、新作新作と改良された花火、各氏子が総力を結集して行う奉納煙火、飯田の底力を感じる。七久里神社祭典、飯田市山本七地区の代表(禊ぎされた年男)7名が、「力士の力自慢」由来の見事な注連縄を付け、三国の火の粉を被りながらの勇壮に、豪快に桶をかざしての勇勢、多くの観客、プロ・アマカメラマンを魅了した。
10月に入り、古くからの伝統を今も引き継いでの、清内路の手つくり花火も、有名である。まだまだ秋祭りが続くが、10月13日体育の日 大正時代から続く「風越登山マラソン」・「大鹿歌舞伎」・静岡県堺の国盗り綱引き 等各地でイベント盛り沢山。飯田のイベント情報 下伊那地方事務所公式サイト(下記のページ)を開いてください。今から、来年の計画を。
http://www.pref.nagano.jp/xtihou/simoina/syoukou/event1.htm/
(写真は、南信州新聞に記載された七久里神社桶振りと、国盗り綱引き)
(斎藤 純)
信玄の“のろし”の実証
9月21日(日)午前9時を期して、飯伊地方の“信玄の狼煙台”があったといわれる高台や山の頂、峠などで一斉に狼煙が上げられた。
地方紙の記事によれば、この地方の公民館長や歴史研究者が、信玄が南信州の三州街道沿いに“のろし台”をいくつも作って通信の手段として活用したという史実を明らかにしようと、「武田信玄ののろし会」を結成し、このイベントを企画したとのことである。
青竹三本を組み合わせ、交差部分に藁を敷いて、杉の葉を燃やして白煙を出したそうである。根羽、平谷、浪合、阿智、山本、上久堅、・・・、高森など11か所で狼煙を上げる予定であったそうであるが、当日は、あいにく雲が低く、狼煙を確認できないところもあった。
飯田市山本の浄玄寺近くは、そのほぼ真東に山本・久米の城山城址公園、上久堅の神之峰があり、少し東南に水晶山(伊豆木と箱川の堺で目前)、南西には、小さな山の影になるが、駒場の城山、更に遥か遠く蛇峠山から、立ち上る狼煙を同時に見ることができるはずであった。しかし、低く垂れこめた雲のせいで予測通りに見えたのは久米の城山城址と神之峰、水晶山から立ち上る煙だけであった。
(写真左:左に遠く神之峰の白い狼煙、右に久米城址公園の風に流れる狼煙。水晶山の煙は久米城址公園のさらに右に眺めることができた)。また、駒場の城山の“のろし台”は国道に非常に近く、9時30分頃、車の中から眺めることができたが。
伊那谷と、遠くは三河までをつなぐ、この地方で最も重要な位置を占めていたと推察される浪合の蛇峠山は白煙を確認することはできなかったのが残念であった。しかし、10月2日に浪合・もみじ平らに行って眺めてみると、現在の通信手段の電波中継用アンテナが、近づいた秋の中に立っていた(写真右)。天気さえ良ければ十分に高くまで白煙を立ち上らせていたことであろう。
2006年6月の“ふるさと情報便”に“のろし台”と、現代の電波通信の中継点との一致についての感想を述べたが、実際に実験してみようという方々(「武田信玄ののろし会」)が現れ、実施されたことに感激している。
(原 健彦)