田楽発祥の地である京都宇治で全国田楽大会が催され、水窪の西浦田楽と新野の雪祭りが選抜され、古来から引き継がれてきた歌舞を演じた。国の重要無形文化財に第1号の指定と紹介されると会場はドット沸き、守屋能頭の謡は会場全体に冴えばえと響きわたった。栗生典子さんが自慢する雪祭りの田楽は、西浦田楽の影響を受けながらも上方にそのルーツをもつと云われ、華があった。万札を投げ込む栗生さんの姿もあった。(来年の雪祭りは必ず来てナ!!)「やはり西浦田楽と雪祭りは深い繋がりがあるな」と歴史に詳しい長島和弘君が会場の出口で呟いた一言に印象として残った。東京の興津利夫君、浦和の森山芙佐子さんは前泊して飯田からの仲間と共に朝6時に出発。木下俊彦君、横井幸子さんは名古屋で合流、市瀬会長と小松富子さんとは智積院で合流し、総勢19名の応援参加となった。道中は田楽のVTRを観て事前学習 そもそもの今回の応援参加には前触れがあった。昨秋、守屋宮司の足神神社の例祭に参加(26名参加)、今年の極寒には西浦田楽祭へ参加(斎藤純君、菅沼二三夫君、長嶋和也君、紅一点横田宏美さんと私)していて、その直後彼から「田楽の全国大会に選抜されそうだ」という朗報があった。それを聞いたとき、我々の思いを受け止めてくれた見えない何かの計らいがあってのではないかと感じた。 (田中 記)