令和元年。今年の夏は、梅雨明けまで、冷夏と思うほど各地、雨が多く、台風でなく線状降水帯などと言う、雨が一回降ると、次から次へと雨雲が発生して災害をもたらす、明ければ猛暑日が続き、雨が降らない所は、特に新潟地区では40℃を超える天候と、降れば観測史上初の記録を残している、暑いと言えば、白球を追う高校野球、初回からドラマチックな試合が続き、特に星陵と智弁和歌山との試合、延長14回2年生のホームランで星陵の4-1さよなら勝ちなどあり、体は大きいが、涙々の高校生の試合を楽しませてくれた。決勝は、8/22大阪履正社と石川星陵である、5-3で大阪履正社が勝利した。
飯田高校上郷支部(櫛原利喜夫支部長)は、本会から岡田寿久(高23上郷丹保)副会長を迎え、今年新築した支所・公民館で8月17日記念する定期総会を開催した、参加者35名であった。
暑い中、空調の効いた大きな第一ホールで、2年に1度の集合写真を撮った。総会は、物故者の慰霊から始まり、平成30年度事業報告、会計報告、令和元年度事業計画、予算案、役員改選などスムースな審議で、総会が終了する、アトラクションでは、副支部長の中島正韶さん(高⒒上郷史学会会長)の講演で「何故母校は高松原にあるのか」と言う興味深い話に耳を傾ける、大正中末期頃の話で、飯田中学の移転構想が起きる、構想理由は二の丸の飯田中学、当時評判がよく、定員の倍位の応募者が居たことと、普通校ではなく2校構想と敷地の狭さであった。上飯田町は砂払に、松尾八幡原、伊賀良村南方、上郷村黒田原・天王原・高松原にと候補地が出て、誘致活動も盛んでしたが、問題が大きく群長・県議会・群会議・各市町村長・各有力者等々60余名の協議会が出来、議論の繰り返しである。町村に近隣町村から遅れをとった上郷村、闇郷村と呼ばれ、電灯が無く、学校より村営電気構想が叫ばれる中、各候補地の誘致報告書が、県に提出され、白熱化、市の発展には、南より東に、坂でなく平で、敷地広面積などで、高松原に決定する。あと建設費歳出(全経費452,085円)など、上郷町当時年間歳出額61,100円内、飯中寄付金3回で30,000円等々・・中島講師 乗ってきた・・あaAA もう45分経ってしまった。もっと聞きたい!この後、前同窓会長宮島八束さん音頭の乾杯で懇親会に移る、いつもの通りの和気藹々の酒宴である。 終盤には、中島正韶副支部長の音頭で、応援歌・校歌と歌い、最高高齢者の田中義人(高6)さんの万歳で散会した。
令和元年度役員名簿 (令和元度総会にて承認)
顧 問
岡田勇雄(高5)田中義人(高6)吉川碩人(高8)山岸一二三(高9)
支部長
櫛原利喜夫(高10)
副支部長
斎藤 純(高16) 中島正韶(高11)
事務局長
清水謙一(高20)
事務次長
原 優(高26)
会 計
林 英裕 (高31)
会計補佐
宮澤 孝明(高21)
会計監事
平沢通彦(高9)大蔵 利宏 (高36)
会員数323名 内新会員1名 地区幹事39名