ふるさと情報便 いつも楽しみにしています。

今回の大宮神社の境内社として楠神社の分霊社がありますが、以前私が神戸湊川神社へ参拝した時撮影した写真
を添付します。大坂警固中の慶応二年、神戸・生田の森に本陣を置いた飯田藩士66名が、一対の常夜灯を献じています。


水戸光圀の「嗚呼忠臣楠公之墓」の碑の正面にあります。

分霊を戴いてきたものの藩内が勤皇派と佐幕開国派の意見が分かれ城内に祭ることができず、酒造商家の村田屋で一時預かっていたようでその縁で「喜久水」の名を戴いたそうです。
写真の墓碑は吉田松陰が何度も訪れて土産に拓本を沢山持ち帰り萩には多く残されているようです。

常夜灯には藩士の名前がびっしりと刻まれていて菱田春草ゆかりの名も見受けられます。

宮司さんの話では、湊川神社が現在のように立派になったのは明治維新後で、それまでは勤皇の志士が訪れる位だったようです。明治時代の造園、戦災で焼け野原になった後も、飯田藩士の常夜灯が残されているのは謎だそうです。

(高18回 北川 稔夫 )