前略、本校同窓会「ふるさと便り」2019年10月31日に、横山八十一さん(高24回)からの投稿「校歌について」があり、その解説文が掲載されています。
しかし、その中で校歌の中で「血ある女と歌われし」と詠み込まれている山口阿藤について、「色々読んでみると、実際には私的な恨みつらみが積み重なって・・・の事だった様です。」と書かれているのはどうしたことでしょう。

色々の中に、例えば神林尚子氏(鶴見大学助教授)の「『烈女ふじ』像の生成-幕末・明治期の文芸にみる流布と成長」(東京大学国語国文学会『国語と国文学』第96巻第1号、2019年1月)は含まれているのでしょうか。山口ふじについてはいろいろ語られてきてはいますが、彼女の事跡を学問の対象として初めて究明したのは神林さんです。そして、現在の時点では、山口ふじが若山を刺殺した動機は不明と結論づけています。

私的恨みつらみ説は、恐らく本校の校歌の源の一つ安井息軒の「阿藤伝」で彼女が称揚されていることを批判した三田村鳶魚の「お大名の話」が淵源で、最近本校の卒業生でもある大平栄一郎氏の『激動の飯田藩と烈女不二』(南信州新聞、2009年)でも三田村説が採られています。
しかし、柴田錬三郎『梅一枝』(集英社文庫、2008年)では、小説とは言え、列女として描かれています。

阿藤の墓のある長源寺の住職(本校の卒業生)は、鳶魚説による大平氏の小説をフィクションにフィクションを重ねたものと惜しまれています。 阿藤の事跡の評価は、作詞者の福澤悦三郎先生や本校の名誉に関わるもので、軽々しく論ずべきものではないはずです。 

私は、今教育史研究の一環として山口ふじ研究をしています。いずれ、論文等により発表したいと思っています。それまで、「ふるさと便り」に掲載された阿藤の評価は保留しておいて下さい。 

22回生 井深雄二     (以上改行以外は原文のまま)
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との投稿をいただきました、ご指摘ありがとう御座います。

列女と称えられている山口阿藤ですが、調べてみると私的恨みつらみ説もありました。こちらはあまり知られていないので「・・・の様です」と紹介したのですが、あたかもそれが事実の様に受け取られかねない不適切な書き方でしたね。
その部分は「色々読んでみると中には・・・という説もありました」と修正致しました。

評価は保留しておいて下さい。 との事ですが、私ごときが評価などしたつもりも、するつもりも御座いません。

井深さんが挙げている神林尚子氏の論文です⇒藤本藤陰『藤の一本』と『烈女お藤』

(「『烈女ふじ』像の生成-幕末・明治期の文芸にみる流布と成長」ではありません)

三田村鳶魚の書いた本 ⇒「お大名の話」

大平栄一郎(栄一)氏(高18回)の本はこちら⇒激動の飯田藩と烈女不二

校歌の3番については、多くの同窓生もとり上げています。中でも木下秀人さん(高3回)が事細かに書かれているので紹介致します。⇒飯田藩補遺―山口お藤と太宰春台

井深さん(奈良教育大学教授)も、山口ふじ研究をしていていずれ論文等により発表したい、との事ですので、その際にはこちらへの投稿もよろしくお願い致します。

(高18回 高田)