吉川駿さん(高10回)からの投稿を掲載します。

飯田高校の「創立」「独立」の呼び方について=今年は「創立137年」

                 吉川 駿=高校(飯田高松)10回卒

飯田高校は、その沿革を語るとき「独立〇〇周年」の言い方で、節目の年に記念式典を持ってきた。私はかねてから何故、「独立」ばかり言って、「創立」を祝わないのだろうかと疑問に思っていた。1900年に松本中学飯田支校から独立し「飯田中学」となっているからこのことを根拠にした呼び方なのである。だが1882年下伊那郡立下伊那中学校が設立されており、しかも、学校組織としては途中で途切れず継続している。その後「長野県中学校飯田支校」「長野県尋常中学校飯田支校」「長野県松本中学校飯田支校」と名称を変更して1900年に飯田中学校になっている。とりわけ、独立したという「松本中学」の名前を冠したのは、わずか1年であり、その前の「長野県中学校飯田支校」「長野県尋常中学校飯田支校」における「長野県中学校」や「長野県尋常中学校」は「本校」が長野であったり松本であったりしているが、主従の関係にあったものではない。いわば「飯田支校」自身すでに独立しているのである。どうも、1950年に行われた「独立50周年」がそのあとを規定したようである。
上述の経過から見ると、「独立〇〇周年」という言い方で、1882~1900年までの18年間を飯田高校の歴史から捨象すべきではなく、「創立〇〇周年」に改めるべきと考える。母校・飯田高校の前身は、「伊那郡」で一番早くできた中等教育の学校であったことと自覚すべきだと思う。
私が、何故このように拘るようになったかと言うと、「上伊那農業高校」を卒業したある御仁と話した際、彼は「上伊那農業高校の方が飯田高校より歴史が古いんだよ」と話した。確かに上伊那農業高校は、1895年の「郡立上伊那簡易農学校」として創立されている。飯田高校が対外的に「独立」時を始祖とし、郡立下伊那中学校を自らの歴史として数えないと、上伊那農業高校より新しいことになるのである。
上伊那農学校は創立後、「郡立上伊那甲種農学校」「長野県立上伊那甲種農学校」「長野県立上伊那農業学校」と名称を変え今日に至っている。彼は、「1900年」をスタートとして対外的に公言する飯田高校より古いんだと信じ込んでいたのである。
ちなみに、伊那北高校は「県立伊那中学校」として1920年に設立されており、飯田高校の前身「郡立下伊那中学校」より38年遅く、上伊那農業高校の前身「郡立上伊那簡易農学校」より25年後に誕生している。
以上のように、母校飯田高校の歴史を振り返ると、今年は「独立119年」でなく、「創立137年」と表現すべきではと考え、皆さんのご意見もお聞きしたくペンを執った次第である。
ちなみに、飯田高校と上伊那農業高校は、伊那谷における中等教育の嚆矢ゆえか、校歌の作詞者が福沢悦三郎先生、作曲者が井出茂太先生と全く同じである。制定は、飯田中学が1906年、上伊那農学校は1915年。不思議な縁を感じる。