F組 田中義訓 君から「故 鈴木民生君について」が届きました。
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松山様
素晴らしい記事と懐かしい写真を投稿して頂き、ありがとうございました。
【六月の空に】のレコードは数か月前に偶然出てきて、メロディーは薄ら覚えているのですが、今は演奏する手立ても無く思いあぐねていたところ、今は凄い時代ですねぇ。なんとYou Tube にアップされていたのです。
六月の空に⇒ https://youtu.be/VjuvF8fTE58
 
私もギター班のメンバーでした。生来の不器用の為、楽器は全くダメでしたが、小学校の頃より、ラジオやアンプを組み立て、オーディオやポピュラー音楽には深くハマっていたので仲間にしてもらえたのでしょう。
 
写真のコンサートのステージ脇には私が居ますが、音量の調整をしているところでしょう。
高松祭の前夜祭には自作のアンプを持ち込み、リハーサルではまあまあでしたが、本番では満員の聴衆に音が吸われ、誠に惨めな思いをしました。
次の日は放送室から機材をお借りし、事無きを得ましたが。
 
当家は学校から数百メートルの所だったので、ギター班のアジトと化し、鈴木、松山、羽場眞人氏などは誰の家か分からない程、入り浸って居りました。
 
写真のキャンプの帰りにヘロヘロになって、遠山森林鉄道の軌道敷を歩いていると、後ろから材木を積んだ車両がきて、梨本まで乗せてくれました。
後々、各地の林鉄あとを訪ねていた時に、貨車に乗せてもらった時、降りた時に、機関手さんにお礼を言っても絶対に返事をしないという事でした。これは人は載せてはいけないという決まりで、あの時もそうだったのかと思い起こしているところです。

二十歳の三月に鈴木、松山、田中の三人で、鈴木家のダルマのクラウンで名古屋、奈良?、大阪、神戸?、京都?、と数日かけて当時としては大旅行をしました。飯田地方には舗装道路はほとんどなく、名阪国道では工事中で橋の掛かっていない所で落っこちそうになり、クラッチが滑り出しこれまでかと思ったところ、調整で済んだ事。あいりん地区を通り掛かった時、大勢に取り囲まれ、「社長、仕事くれよ」と迫られた事、こんなこともあろうかと、リアトレイにヘルメットを載せておいたので、そう見られたのでしょう。最後の夜以外は車中泊で、流石にまいっていたところ、鈴木家の関係の郵政の保養所に泊めてもらい、体を伸ばして寝られることはこんなに素晴らしい事なんだと実感しました。
飯田市中央公民館で「学習院大学軽音楽フェスティバル」を開催した時、共演した女子短大のバンドが「ディ・トリッパー」を演奏した事を覚えています。鈴木氏と会ったのはこれが最後となってしまいましたが、松山氏とは連絡は取っていたので、彼は得意分野で大いに活躍している事と推察していました。鈴木民生でネット検索すると幾つかの記事が出てきます。
 
F組については三年の中頃から、試験が終わる度に私の部屋で盛大に打ち上げ会を開き、時には二十数名集まって、部屋は明治か大正の作りのいわゆる農家の、長屋の二階でしたので、床がぬけるのではないかと心配しました。
ある時、故 松島清彦君がもう一人と、制服、制帽、バイクで買い出しに行き、永代橋付近でお巡りさんに止められ、酒を買いに行くと言ったら、気を付けて行けよと言われたそうです。
母がおひつ一杯(二升位か)炊いたご飯が空っぽになってしまったと見せてくれました。
 
皆さんそれぞれに良いところへ進まれ、安定した人生を送られていることは素晴らしいことだと思います。
 
私は父親に家業を継ぐ様に言われた時から、学業は放棄していたので、何とか卒業した程度でしたが、思い起こせば良い師、良い友に恵まれ、数多くの同窓の方々には仕事の上でも信頼を頂けた事は、大きな喜びです。
おかげさまで楽しく生きております。
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田中 君、ありがとう御座います^^
YouTube のリンクは素晴らしい。よくぞ見つけてくれました^^v
皆さんも是非聴いてみてください。
(E組 高田)