命日でもないので変なタイミングかもしれませんが、同期の小林正典君から情報を頂いたので紹介したいと思います。
私と木村祥三郎君は 小・中・高 と一緒でしたが、同じクラスになった事はなく話をした記憶もありません。

でも西中のスーパースター&イケメンで憧れの存在でした。昨年同窓会報で訃報を知った時は、エ~~と驚き、信じられない思いでした。

小林正典君より*************************************

 では木村祥三郎君の人生のさわりを一部だけ。

家がキリスト教会(知久町教会)でしたから、青山学院の神学部に進み牧師の道を目指した時期もありました。

劇団員の道に踏み込んだり会社を興したりいろいろ迷った挙句、浜松に安住の地を見つけ長い闘病の末、二度目の奥さんに看取られ昨年五月に息を引き取りました。
前妻との間に忘れ形見の女児一人を残しています。

幼少の頃から利発でお勉強は勿論、お絵描き、習字、音楽と何でもござれ、加えて巨漢の石神君を軽々と投げ飛ばす腕力、運動会ではヒーロー、水泳大会優勝、運動神経抜群でこれぞまさに神の子と子供ながら本気で思いましたね。

お祈りすれば祥三郎君みたいになれるかと、日曜日には教会に通い、PTAの会長を務めたお父さんが声を張り上げる賛美歌に唱和したものです。面倒臭そうに聖書を開いていたのが長男の小一郎さん(故人)、真面目に頭を垂れる次男の敬二郎さん(千葉で開業医)、素晴らしい笑顔でオルガンを踏んでいらしたのがお母さんで、帰りに頂くビスケットが、この世の食べ物と思えぬ何とも美味で、楽しみでした。

あの思い出深い知久町教会、建てかえられてしまいましたか。祥三郎君のお父さんが八郎さん。その前任の牧師さんは後に分かったのですが、東京銀座で日動画廊を創設した伝説の画商、故長谷川仁さんでした。その方とはひょんな取材を通じて知り合い、明治学院出身かつ牧師として飯田の生活体験があったことから懇意にしてもらった時期がありました。ボクは全くキリスト教信者ではないのですが、運命の糸を感じましたね。

とにかく丸山小学校の六年間は、ボクは祥三郎君の腰巾着でしたから、東京でも付かず離れず彼の動向を観察してきました。トラの威を借りるキツネ、がワタクシ。小学校、中学の同窓会でも、彼を押し立てれば集まる数が違いましたね。

15年ほど前の『フグ料理&祥三郎君を訪ねて弁天島へ』のツアーなんぞも飯田から多数のファンが結集し東京組と合流しましたが、彼の求心力をまざまざと実感、腰巾着冥利に尽きましたよww。

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闘病生活が長かったんですね。病気の方で逃げていきそうな健康児、と思っていたのにね。あの教会は建て替えられて大きくなっています。誰がやっているのかな?と気になったので行ってみました。

今の牧師は湯本さんと言う方で、代替わりとなっていました。パンフなども渡され、誘われてしまいました^^;

名前が大相撲の行司に似ているので、相撲を見ると時々彼の事を思い出します^^;

改めてご冥福を祈ります。

(E組 高田)