北川稔夫です
秘境駅ブームですが、現在は災害で不通になってしまい本当に秘境駅になっていますね。

最近参加している学習会で昭和始めの伊那谷の交通事情について調べています。東京方面は伊那電が辰野天竜峡間までが開通して便利になったようですが、名古屋、関西方面は苦労したようです。

中央本線が木曾谷に開通すると塩尻回りで行くこともできたが、それまでは中津川まで中央線が延びると神坂峠越え、三留野まで来ると大平峠をしたようです。当時の修学旅行は峠を歩いて越えたようです。大正の終わり頃には大平街道をバスが走るようになり昭和12年三信鉄道が開通するまではおおいに利用されたようです。面白いことに豊橋まわりで名古屋へ電車でいけるようになったのに翌年には名古屋飯田間へ現在の国道153号へ急行バスが登場、約5時間で1日3往復走っていたようです。

昭和50年中央道が開通するまではバス、鉄道で競争していたようです。特に飯田線は急行や準急の6両編成を走らせていて、飯田線の全盛時代だったようです。しかし高速道路の開通には歯がたたなかったようです。調べてみますと名古屋飯田間は現在でも153号線ルートを路線バスと地域コミュニティバスで繋がっているそうです。ちょっと不思議に思うのは現在の快適国道なら知らず、あの悪路の国道を5時間かけて名古屋飯田間を乗り通す客がいたのだろうかとおもいます。高1の夏休みに根羽の級友に招かれて根羽までバスに乗ったことがありますが席は満席だった覚えがあります。

今地方の路線バスは衰退の一途ですが信南交通も山深い僻地までバスを走らせていたことでしょう。その辺の事情を調べてみたら面白いとおもいます。

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北川さん、投稿ありがとう御座います。

大平峠を歩いて超え中津川から中央線で・・・という修学旅行の話は、昔聞いた事があります。誰から?小学校の先生からだったかもしれません。

中央本線へは、中津川駅と飯田駅を結ぶ中津川線が計画された事がありましたね。昭和42年に工事が始まったのですが、予想外の難工事。しかも昭和50年、中央自動車道の恵那山トンネルが開通。高速バスの運行も始まりました。こうなると、当初予想された利用客も大幅に下方修正。採算が取れないとみなされ、工事は昭和55年に凍結されました。その痕跡は、今もわずかに残っています。二ツ山トンネルがほぼ完成していて一部が残っています。

意外な副産物もありました。神坂トンネルの飯田寄り(昼神)で、水抜きボーリング工事中に温泉が湧出したのです。これが昼神温泉の始まりですから、何が幸いするか分からないものですね^^

信南交通は高速バスがドル箱ですね。これによって僻地ルートなどの赤字を埋めていると思われます。

(高18回 高田)