高8 塩澤千秋 (カナダ カルガリーから)      [塩澤さんへの質問や感想はこちらへ] cshio@shaw.ca

 カルガリーは先週まで春のような暖かさでしたが、今週初めにスノーストームが来て雪を降らせ寒くなりました。昨日は日中氷点下12度、夜間氷点下20度でした。今日は幾分温かく、日中氷点下5度でした。夜間はどうなるでしょうか。まだまだ冬の最中です。オリンピックも終わり、カナダはアイスホッケー男女共に金メダルをとり大いにご機嫌です。他にもいくつかメダルを取れたようで、大いに浮かれています。わが祖国日本は、今回は不調でしたね。今度こそは今度こそはと力を入れて観戦していたのですが、銀、銅二つだけで終わってしまいました。、一寸悲しかったです。両方の国に同じくらい長く住んでいても、やはり故郷は故郷ですですね。  (February 25, 2002)

 氷河をわたる風(10) Forget-me-not 

 勿忘草、英語の名前も全く同じ意味です。何処の国でもこの花には同じような意味の名前が付けられているそうです。日本の歌に「勿忘草に過ぎし恋を…..」と詠うのがあったように思います。花言葉は失った恋への思い、外国に住む私達にとっては遠い故郷への思いかもしれません。
 低地に育つ勿忘草は草丈が高く30cmくらいで、あまり可憐さがありませんが、高山性の花は草丈が5cmくらい地面にくっつくように開いた葉っぱから細い茎がまっすぐに伸び、その先端に5つ程の花が固まって咲きます。熊の王国Kananaskisで、100m近い山の斜面を覆う黄色いオダマキの群生を見つけました。良く見ると、オダマキの下の地面を絨毯のように、紫のアルペン勿忘草が敷き詰めていました。それらが一斉に氷河からの風にゆれるのはとても可憐です。そして幾分物悲しさを感じさせられます。

(1998年7月12日 Galatea Creekにて撮影)

悲しい話? 無実の罪
 ボー川はロッキー山のボー氷河より始まります。氷河から流れ出た水はボーレイクに一旦貯められ、東に流れてカルガリー市に至ります。しばらく南東に下り、メディシンハットを過ぎた辺りから、南サスカチワン川に合流します。ここまで580km。更にカナダ大平原を北上、ハドソン湾まで、全長、延々1,390km。辺りは古代に恐竜の栄えたところ、至る所から化石が出ます。ボー川の釣りは有名で、大きな鱒が釣れます。魚の密度が高く、1m四方に1匹いると言う事です。ハリウッドの俳優、アメリカの実業家、政治家など釣りに来ています。良い案内人に当たれば、必ず釣らせてくれるそうです。ど素人でも、始めての釣りで40cmを筆頭に5匹ほどつり上げたのですから、その容易さは分かりましょう。だだ、40cm以上のものは放流しなければいけないし、1人3匹以上もって帰ってはいけない規則です。かなり厳しく監視されています。
 ロッキー山中の観光の町、バンフもボー川の流域にあり、国立公園の中ながら、ライセンスを取れば釣りが出来ます。ところがこの地域、熊殿の縄張りでもあります。従って、人間と熊が同じ獲物を争う事になります。ただ、滅多に両者が出会うことはありません。アラスカは、熊がいる中に人間が遠慮しながら釣りをしに行くところがあるそうです。鮭の登ってくる川で、そこには鮭を捕る熊がいっぱい群れています。熊にもランクがあって、最も強いのが一番大きな鮭を楽に捕れるところを占領します。強いものから条件の良い所をだんだんに占め、若くて弱い奴ほど惨めな条件となります。そこへ人間が割り込むのですが、熊が優先され、人間は常に気を使わねばなりません。人間が鮭を釣り上げたとしても、熊殿がそばにいたり、後ろを付けられたら、釣った獲物を捧げたてまつって、お引き取り頂かねば命が危ない。こんな強奪を白昼堂々とやられるのです。まさに町中でギャングに目を付けられたと同じ。しかし、お互いに見えているし、ベテランの案内人がつき、人間が遠慮しているので、事故は滅多に起きません。
 話は変わってボー川でのことです。夏の夕方まだ明るかったのですが、バンフの近くで釣りに夢中になっている男がありました。かなりの釣果であったらしい。‘らしい’と言うのは、その男、それを自慢するチャンスを永久に失ってしっまたからです。グリズリーにやられたのです。人のものは俺のもの、俺のものは俺のもの。それが彼らの哲学です。弱いものからはいつでもひったくる。抵抗したら力ずく。食い物のためなら、命を懸けて戦う。しかし人間などは片手の一殴りで形が付く。但し、人間をやった場合には、 殺人罪を科せられます。他の動物の場合には、全然罪科をかけられないのにです。
 バンフの町は騒然となりました。犯人探しのために軍隊のライフル部隊が動員され、ハイウエーは交通規制され、隊員が山狩りを始めました。そして、一頭の大きなグリーズリーをしとめました。ところが鑑識の結果、これが犯人でなかったのです。たまたま近くにいたため、無実の罪を着せられ銃殺されてしまったのです。西部劇に同じような場面があったように思えます。何ともやりきれない死に方です。おまけに真犯人は見つからずに終わりました。殺された熊に大いなる同情が集まりました。