高8 塩澤千秋 (カナダ カルガリーから)
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飯田は暑い事でしょう。まさに夏の真っ盛りじりじりと照りつけて、涼風が恋しい時期ですね。これからは夏祭りの時期あちこちで盆踊りがあったり、花火が上がる事でしょうね。飯田の花火は今でも目に浮かびます。もう、見る機会はないような気がします。日本の夏は良いですね。この暑さが美味しい物を作るのでしょう。
カルガリーは先週まで珍しく30度を越える日が続いて、日本より暑いかなと思っていましたが、今週になり曇りと雨の日が続いて、日中15度、夜間1度と急激に気温が下がりました。今日は晴れたのですがそれでも日中19度、一寸寒く感じます。今夜は予報では7度。飯田の初冬の気温でしょうか。過ごし易い夏ですがその代わりこの辺りでは小麦以外たいしたものは採れません。果物、野菜は全て輸入品です。日本の夏が、果物の匂いやせみの声と共に恋しさを募らせます。
(August 6, 2002)
氷河をわたる風(15) Heather
フェザー、英語の辞書を引くとヒースとも言うと書いてあります。ヒースの野といいますとブロンテの小説「嵐が丘」に出てきますが、背丈が結構あって猛々しくイギリスの荒野を演出しているように感じます。しかし、高山性のヒースは小さくて可愛いです。花は5ミリ一寸、つぼ型、ベル型、色は白、ピンク、赤と色とりどりです。ロッキーの山には高い所に絨毯を敷いたように群生しています。一寸見は杉苔を連想させます。その上を氷河の風が滑らかに渡ってゆきます。この花の咲く頃はロッキー山は夏の真っ盛り、沢山の人で賑わいます。しかし、日本のアルプスよりははるかに人が少ないです。少し奥に入り込むと全く人気がなく、熊殿の出現を心配しなければなりません。
写真1、赤のフェザーはMoraine LakeからLarch Valleyを経てSentinel Passに登る途中で見つけました。山の全斜面を覆うほどの群生でした。
(1999年8月3日撮影)
写真2、白いフェザーはPeyto Lakeの斜面で見つけました。ここも針葉樹の間に斜面一杯を覆って咲いていました。
(1999年8月2日撮影)
写真3、ピンクのフェザーも同じくPeyto Lakeの斜面で撮影しました。
(1999年8月2日撮影)
写真4、赤いフェザーの絨毯。背景はTen Peaksの氷原。
(1999年8月3日撮影)
大陸横断鉄道はロッキーの谷間を縫って行きます。ヴァンクーヴァーから二本の鉄道が出ていて、一本はカナデアン・ナショナル鉄道、ヴァンクーヴァーからロッキーの谷間を縫ってジャスパーを経てエドモントンに至り更に東に行きます。もう一本はカナデアン・パシフィック、ヴァンクーヴァーからバンフに抜けカルガリーを通りトロントへと向かいます。

かつて、この両方の鉄道は一日上下一本ずつ客車を運転していました。ダイヤはロッキー山の谷間を通過するとき風景が見られるように調整してありました。悲しいかな、近年採算が取れないと言う理由でエドモントンを通る客車は火・金・日の三本のみとなりカルガリー通過の客車は全面的に運転中止となり貨物列車だけとなってしまいました。従って、次の話はこれらの客車が順調に営業されていた頃の事です。
ヴァンクーヴァーでの学会の帰りでした。貧乏学者時代、予算の方は乏しかったのですが時間の方はたっぷりあったので汽車の旅となりました。同行者は同じような貧乏学者のインド人共同研究者それと数人のポスト・ドクター、大学院の学生などでした。この列車には展望台がついていて、そこで一杯飲む事が出来ました。余談ですがここのサービスは列車の通過している州の法律によって規制されています。例えば、日曜日アルバーター州からとなりのブリテッシュ・コロンビア州に向かって走っている場合、アルバーター州内を走っているうちはアルコール類を買う事が出来ます。ところが州境を列車が越えると同時に販売を中止し、バーを閉めてしまいます。日曜日のアルコールのサービスはアルバーター州では構わないのですがブリテッシュ・コロンビア州では営業を法律で禁じているからなのです。


翌朝食堂車で朝食を済ませて自分の席に戻っていると、それを追う様にして食堂車のウエーターがやって来て、一寸頼まれてくれと言うのです。何事かと食堂車に行くと、入り口に、昨日とは別の日本のお嬢さん達が突っ立っています。食堂車は混んでいて席は全部ふさがっていました。四人とも戸惑ったような、腫れっ面のような、なんとも不安定な表情でした。テーブル脇に立たれた近くの客はいささか迷惑そうでもありました。ウエーターがぼやくには、今食堂車は混んでいるから三十分ほどしてから来てくれ。そうすれば皆さんの席は必ず取っておくからと幾ら説明しても解ってもらえず、混雑した食堂車の入り口を塞ぐ様にして席の開くのをじっと待っているというのです。何とか説明して引き取ってもらえないかという事でした。この国に住んでいると、ウエーターなどに頼まれて、時にはこんな通訳のサービスもしなければならなくなるのです。
自分も外国に出たばかりの頃、正直に言えば三十年近く経った今でも言葉の問題では散々な目に逢っています。初めての日本からの旅の途中、モスクワでは、言う事が分からなくて、ホテルの若い受付の女性に怒鳴られ、それまで淡い夢を託していた社会主義国ソビエトが一変して嫌いになってしまいました。またイスラエルでは教授との会話でゆっくり話していてくれたにも関わらずさっぱり理解できず、最後には黒板に書いてくれたものまで解らず、彼をがっかりさせた事がありました。

写真1、中央、一番目立つのはMount Babel。中腹に大きな懸垂氷河を抱えているのはMount Fay、左方向に延びています。Mount Babelの尾根がMoraine Lakeに突き出した先に巨大な筒状のTower of Babelが立っています。
(1994年10月撮影)
写真2、Yoho Park, 岩壁上部から噴出しているTakakkaw Falls。発音はTAH-kuh-kahだそうです。Cree Indianの言葉で“It is wonderful!”と言う意味。
(2001年8月25日撮影)
写真3、Sentinel Passにたどり着きParadise Valleyを覗き込むと途中に石塔が立っている斜面が見えます。その立ち姿が衛兵Sentinel)のようなのでこの峠の名前になりました。
(2000年8月11日撮影)
写真4、霧の中のMount Castle。この山の向こうの中腹には素晴らしい湖があり、一杯の花が咲いているのですが、グリズリー熊がいるので何時も入山禁止です。ハイウエーから何時も見えているのに登った事がありません。
(1976年8月撮影)