高8 塩澤千秋 (カナダ カルガリーから)     

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 日本は残暑で暑いそうですね。カルガリーは日中20度、夜間はぐんと下がって1度になる日もあります。家の前の楓が幾分色づんで来ました。もう直ぐ冬がやってきます。その前の僅かな秋が楽しめそうです。一週間もすると周りは黄色一色となる事でしょう。
 今日はは9月11日多発テロがあってから一周年の日。力で主張しない、平和な世の中に何とかなってもらいたい物です。
  (September 11, 2002)

 氷河をわたる風(16) Berries

  冬の前、ほんの一時ロッキーの山に秋がやってきます。氷河の風も身を切るように冷たく感じる時があります。そんなロッキーにも秋には実りがあるのです。沢山のイチゴが稔ります。熊たちは冬ごもりの前にそれをせっせと腹に入れます。この時期の熊は何でも食べます。おなかを一杯にしておかないと春まで生きる事が出来ないからです。山のイチゴは彼らの命の綱です。

 

 

一寸谷に下るとGooseberry, Raspberry, Buffalo berry, Blueberryなどなど一杯のイチゴ。中には猛毒の物もあるようですが熊たちはちゃんとかぎ分けています。Gooseberryは信州ではスグリといったように思います。熟すまで待てなくて食べた、白い筋が入った青い実は随分酸っぱかったように思います。ロッキーでも夏は青い実ですが秋には甘い黒ずんだ実になります。熊の上前を一寸失敬して食べたら随分うまかったです。

 

 

写真1、 Mt Templeを背景にしたGooseberry。Moraine Lakeの岩山の上で見つけました。(2000年9月12日撮影)
写真2、 Raspberry。Columbia Riverの源流近くに入り込んだ時川のほとりにたわわに稔っていたました。信州の山の中で見つけた熊イチゴにそっくりでした。(2000年8月13日撮影)
写真3、 Buffalo berry。林の中に踏み込んだら一杯の赤い実を見つけました。グミのようです。大変苦いイチゴで、インデアンは腹痛など色々の薬に使ったようです。(2000年8月13日撮影)

春5.言 葉(2)

 カナダのような移民で成り立っている国は総ての人が立派な英語を話すわけではありません。非英語圏からのヨーロッパ人、インド人、香港からの中国人、アラブ人、スペイン語圏からの人、そして日本人。世界のあらゆる所から人が集まっていて、多種多様の“英語”を使います。英語のアクセントを聞けば何処から来たかおよそ見当がつきます。時にはそれを互いにくさしたり冗談にしています。それにしても一番通じ難い英語が日本人の英語のようです。エドモントンで一緒に研究をしていた男はインドからの移民でした。ヒンズー語の重いアクセントがあり、此方は日本流の「物凄い」英語で互いに話しを通じさせてしまったものです。最初は二人とも相手の英語に戸惑い“英語”で話しをしているにも関わらず「オイッ、ヒンズー語を止めて英語でやってくれ」と言えば、相手も負けずに「俺は日本語が解らないんだ。英語で話そうではないか」と冗談を返してきたものです。その内に二人とも段々相手の“英語”に慣れて理解出来るようになるから不思議です。今でも行き会うと、あの時おまえは日本語をしゃべっていた、いやおまえこそヒンズー語を話していたと冷やかしあいます。
  カナダではこの様に色々のアクセントの英語が飛び交い、また、色々の国の言葉をあちこちで聞きます。仲間内では時に冗談にしますが、人々はこうした現象に殆ど無関心と言える位特別な反応を示しません。しかし、日本人の反応は別の様です。日本にいた頃貧乏旅行をしてあちこち行ったものでした。ある時、猪苗代湖の辺りを旅していた時の事です。野口英世の生家を訪ねるためにバスに乗っていました。同じような目的の若い人達でバスは一杯でした。その中に男女一組の学生が乗っていて、実に流暢な英語でやり取りをしていたのです。しばらく聞きほれていたのですが、突然「日本人だったら日本語で話せ」と、怒鳴り声がバスの中に響き渡たりました。一瞬にしてバスの中はしらけ二人も会話を止めて黙り込んでしまいました。今迄あの人達は外語大の学生と思い込んでいたが、もしかしたら日本を旅行中の日系二世であったのではないかといまおもいます。そうだとしたら随分面食らった事でしょう。
 こんな現象はカナダのみならず日本以外の国では殆んど起こらないことです。人々は自分の言葉と違う言葉に対して多少の関心を示し、中には「ここはカナダだから英語を話せ」といやみを言う奴もたまにはいます。しかし、どのような言葉を話していてもこのような攻撃的な反応を示したのを今だかつて経験した事がありません。殆どの日本人は長い英語教育を受けるにも関わらず英語はさっぱりだめです。それは外国語に接する機会が少ない事もありますが、日本文の中に意味の通じ難いカタカナ英語をどっさり混ぜる癖に、他の言語を完全な形で日常使う事に対して寛容性がない事にも原因しているのではないでしょうか。怒鳴った人の信条は正確には理解できませんが、彼はかつて英語の授業で悪い点を取った経験があったのでしょう。その鬱憤をここで晴らして溜飲を下げたとしか思えません。日本では語学は学校で習うのが主で、その能力が点数によって示され、人間その者の評価になり勝ちです。その結果劣等感にさいなまれ、自分より優れたものに対するやっかみとなりそれが攻撃的に表現されたのでしょう。その反動として日本語が世界一の言葉と考えようとするのでしょうか。
  留学生を見ているとこのような反動をカナダにまで持ち込んでいる人を見かけます。大部分の留学生は自分の習った英語の通じなさを嘆き、何とかして通じる英語をマスターし様と努力します。しかし中には英語など通じなくとも研究は出来ると頑張る人もいます。訳のわからない日本流の英語を直され、礼を言う変わりに直された英語について「この英語では日本人にはわからない」と抗議した豪傑もいました。折角本物の英語にしてくれた相手は唖然とするばかりです。一緒の研究仲間との意思の疎通、研究についての意見の交換が出来なく、かたくなに自分の我流のみを押し通して行く。研究についての議論をするつもりが無いならカナダへ来ている意味が無いではないか。留学の意味を考えれば実に無駄なことをやっているとしか思えません。因みに日本流の英語で押し通すつもりなら、発音は多少悪くても文法的に正確であるほうが相手は察し易いようです。
 娘達は日本語もかなりこなしますが、どちらかというと英語のほうがしゃべるのにずっと楽の様です。しかし、日本国内を旅する時には日本語を使う様に仕向けています。そんな二人を連れてある夏日本で汽車の旅をした事がありました。日本国内でもあるし、先に紹介したバスの中での事件も頭にあって三人で”日本語”で話しをしていました。所があちこちの席から珍しそうに此方をうかがう顔がのぞくのです。三人とも回りの日本人と飛び離れて変わった服装をしているわけではないのに、何が珍しいのか理解に苦しみました。その内に思い当たった事は娘達の日本語です。彼女らの日本語には多少英語のアクセントが入る。これは日常注意していてなるべく直すようにしていますが、毎日聞かされているうちに、すっかり慣らされ立派な日本語のように感じさせられてしまっているのです。しかし、それが日本では異物感を感じさせるのでしょうか、乗客を落ち着かなくさせ、好奇心の的となったようです。
 しかし、逆にカナダを旅していて娘達と英語で話しをしていても、親の、明らかに日本語のアクセントのある酷い英語に誰も関心を寄せません。日本人は非自己即ち自分の同属で無いものに対して実に敏感に反応すると共に、それに対する寛容性が狭い様に見えます。異文化への接し方が大変うぶのようでこちらがまごつくほどの反応を示すのです。
 これは日本国外にあっては実にユニークな事です。このユニークさは外国、外国人との接触が稀な島国に住んでいて、個人として異文化に直接接触する機会が少なく、また海外旅行でも「日本」と言うシャボン玉に入って漂う日本人に永遠に受け継がれる形質の様です。

写真1、 ロッキーの紅葉。バンフから旧道1Aをドライブしているとき見つけました。黄色ばかりの世界です。(2000年10月1日撮影)
写真2、 紅葉のコロンビアアイスフィールド。(2000年9月12日撮影)