高8 塩澤千秋 (カナダ カルガリーから)      [塩澤さんへの質問や感想はこちらへ] cshio@shaw.ca

 先週、久しぶりにロッキーに行ってきました。  今年は膝を痛めたため夏には一度も行けずに終わりましたが、今回は日本からお客さんがきましたので思い切って出かけました。ところが、山はもう初冬、吹雪に見舞われ、雪の中を5日間ドライブしてきました。ロッキーに初めて来たお客さんには悪かったですが初冬の不機嫌なロッキーの顔をたくさん撮影できました。そのうちにまとめて送りますが一枚だけ添付します。
 カルガリーは秋の終わりです。今年の紅葉は3週間ばかり遅れている様子、只今が真っ盛りです。今日も写真機をぶら下げてボー川のほとりを歩いて来ました。アスペンポプラが黄金色に輝いていました。去年の今頃は既に葉っぱが落ち木々は丸坊主でしたが今年は今が一番美しい時です。これらの紅葉が散り始めるともう直ぐ冬です。
 (October 8, 2002)

 氷河をわたる風(17) Moss Campion

  Moss Campionはアルペンメドーにこんもりとピンクのクッションのように丸く柔らかに咲いています。近くのコロンビアアイスフィールドから吹く氷河の風に乗ってきた妖精が一寸腰をおろすのでしょうか、色々なサイズのクッションが散らばっています。別名ではCushion Pink, Dwarf Silene, Catchflyなど色々とあります。  日本名は仙翁。仙人の翁とでも言うのでしょうか、浮世離れした高山に咲く花を現しています。

でも一寸枯れた老年を感じさせます。ロッキーに咲くのは直径0.6ミリくらいの若々しい花を、ジュウタン様に密生した葉の上にみっしりとつけます。  こんもりと盛り上がった様子は華やかなクッションです。年寄の感じはありません。春の雪解けで埴土が流された条件の悪い所にも確りと根を張ってしがみ付いています。可憐ながらたくましさを示す花です。Parker’s Ridgeでは白い花も見つけましたが稀だそうです。


写真1、花はもっと密集して咲きますが、下の葉と蕾を見て頂くためにこの写真を選びました。花は一センチにも満たない大きさです。Parker’s Ridgeに登る途中の斜面で見つけました。(1999年7月19日撮影)

写真2、背景の山はロッキー山の一部です。Parker’s RidgeはColumbia Ice fieldの近くにあります。この景色はIce fieldに背を向けて撮りました。手前の大きなクッションは直径50センチくらいの大きな株でした。(1999年7月19日撮影)

写真3、ピンクのMoss Campionを見付けた所を更に登った所、Saskatchewan Glacierが見える所で白い花の株を見つけました。(1999年7月19日撮影)

 
 
 
 
 
夏 01 探りあい

  ペイトーレイクの展望台に登る斜面には初夏になってもかなりの雪が残っています。人の踏み後は浅かったり深かったりして歩きにくいので少し逸れて歩きます。雪は硬く歩き易いのですが時にズボリと腰まで落ち込むこともあります。落ち込むと這い上がるまで厄介ですが、これがまた春山を歩く嬉しさでもあるのです。展望台から見下ろした湖は熊が立ち上がった姿をしています。6月の末はまだ凍っていて雪に覆われていますが、夏になると水の色はグリーンがかった色から青みがかった色へと光の角度によって刻々と変化します。このグレーシャーダストを含んだ不透明な青緑色は忘れ難いものです。
 左手にはペイトー氷河があり、広大な純白の氷原が谷の奥を塞いでいます。そこから流れ出る水がいくつもの滝となって落ち細流を作ってペイトーレイクに流れ込みます。右手には広い谷が深く伸びコロンビア アイスフィールドの方向へと開けています。谷の斜面は中腹まで針葉樹林に覆われ一直線の森林限界線が際立って見えます。谷底には幾つもの湖が散在します。これらの色の濃い土台の上に明るい淡褐色の岩肌がそそり立ち、その高峰は氷河を乗せ青い霞の彼方まで連綿と続きます。この様な湖の色、森林と雪の山のコントラストは惚れ惚れするほどの素晴らしい絵ですが、此処にはもう一つの楽しみがあります。
 草丈は短く日本の南アルプスで見た黒ゆりほどの大きさです。花は鮮やかな黄色で、明るい緑色の肉厚ナイフのような二枚の葉っぱの間から出たしなやかな茎の上に俯いて咲きます。花びらは外に反り返り、その返り方は花によって個性があります。ほかの花が咲くには寒すぎるのでしょうか、この花だけが何百と雪の溶けた部分を覆い尽くします。
 かつてはペイトーレイクに観光バスは立ち寄らず、また、展望台もありませんでした。ハイウエーからの道が狭く曲がりくねっていて大きな観光バスが入れなかったのです。実に静かで高山植物の宝庫でもあるのでロッキーの中でも楽しめる場所の一つでした。今は道路が整備され観光バス専用の駐車場も出来一般の自動車がそこに乗り入れると運転手に文句を言われるほど賑やかになってしまいました。
  一般の車は下の駐車場を使いそこから斜面を二十分ほど登ると展望台です。斜面は形の良いクリスマスツリーのようなモミの木とその下を彩る高山植物で覆われ腕の良い庭師によって手入れされている庭園のようです。自然そのままに出来た贅沢な庭園。そこを行き交うカナダ人たちは知らない間柄でも「ハイ」と短い挨拶をしては暖かい笑顔を交換し合います。
 展望台につくと景色がパーツと開けます。またそこは観光バスからの団体旅行者であふれています。日本人が殆どです。日本人旅行者は知らない人と挨拶を交わしません。日本人以外の人達は目が合った場合、大人も子供も「ニコッ」として軽く声を掛け合うのが普通です。ところが日本人の場合声をかけると、探るような、実に警戒的な目を向けられそしてそっぽを向かれるのがオチです。大変後味の悪い思いをさせられます。自分のグループ内では必要以上の嫌らしいほどの馴れ馴れしさを示す一方、外に対しては時には倣岸と思えるほどのそっけない態度をとるのが日本からの団体客です。
 上の駐車場から展望台までは柵に囲われたゆるい坂道が続きます。そこを日本人の団体が道一杯となって往き来します。海外に長く住んでいるとこうした所で行き会う日本人にはなんとなく懐かしさを感じ、ちょっと声を掛けたくなるのも人情でしょう。そんな場合の日本人の反応は、声を掛けた方を見ずにサット自分の仲間の顔を見渡すことです。そしていかにも頼りなげな表情を作ります。見合わせて顔と顔の間に何かが流れるのでしょうか、ちょっと間を置いて誰かがおずおずと口を開くか、全員そっぽを向くかです。未知の物に対して恐れと恥ずかしさを必要以上に感じる吾が故郷の人々の感覚は理解できないことは無いが、声を掛けた側にすれば、ちょっと大袈裟かもしれないが故国からの拒絶に遇ったように感じるのです。
 イスラエルにすんでいた頃は日本人に会うのは、研究所の数人の顔なじみ以外は稀有のことでした。研究所は田舎町にあったので時にテル・ア・ビブに出たときなど日本人らしい顔を見れば手を挙げ声を掛けしばらく話し込むのが普通でした。時には見知らぬ中でありながら日本人と解かればお茶に誘ったりレストランで夕食を一緒にしたりする機会も生まれて来ました。イスラエルは国情不安定でアラブ諸国と常に臨戦状態にあるので日本からの団体旅行などはまず見られませんでした。旅行者の殆どは研究のため、会社の出張、宗教的な仕事などで旅なれた人達が殆んどでした。変な警戒をしない代わりに、必要以上の馴れ馴れしさも示しません。節度を保った関係でひと時を楽しみ、日本の情報、イスラエルの情報などを交換するのが常でした。こうした条件下では日本人が実に懐かしくすぐに親しくなれるのです。
 ところが、アメリカに移住した早々、おのぼりさんよろしく、女房と二人してニューヨークの町に出かけました。町の中で日本人女性が子供の手を引いて歩いているのを見つけてので、喜んでイスラエル流に二人して手を挙げ笑顔を作ったとたんにそっぽを向かれました。子供に日本語で話していたのですから日本人に相違ありません。二人してアメリカ最初の大ショックを受けた事を今でも思い出します。このような経験を四五回した後二人ともイスラエルで得た習慣をようやく捨てました。こうした人達はきっとアメリカでの新米日本人あるいは日本人旅行者から迷惑を蒙った人達なんだろうと二人で慰めあったことでした。

写真1、夏のPayto Lake、Glacier dustのため刻々と色の変る 湖の色は何時まで見ていても見飽きません。つい次の行程を忘れて見入ってしまいます。谷の奥の方にColumbia Ice fieldがあります。(2000年7月30日撮影)

写真2、冬のPayto Glacierは機嫌が悪く顔を見せません。雪の向こうにかすかに見えるだけです。尤も、何時も機嫌の良いPayto Lakeと違ってこの氷河は夏でも吹雪いているようです。(2001年3月12日撮影)

写真3、Glacier Lily、Payto Lake展望台と反対側に進んだ原っぱに群生していました。片栗の一種。日本には紫の花を咲かす親戚があるようです。(1999年6月29日撮影)