高8 塩澤千秋 (カナダ カルガリーから)
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五月上旬まで大雪の降っていたカルガリーもようやく春になりました。我が家の前のブラックチェリーも良い匂いをさせて咲いていましたがもう満開を過ぎ花を散らせています。ライラックも咲き始めています。気温も上がり芝生の手入れも大変になりました。
トロントでSARSの再発がありカナダ全体が感染地域のように真っ赤に塗られていますが、実際はトロントだけです。幸いなことに、現在、カルガリーは勿論のことバンクーバーなどの他の大きな都市では感染者は一人も報告されていません。ただ、欧米で唯一の感染国となりカナダ医学会いささか不名誉なことです。おまけにアルバーター州はBSE感染の牛が見つかって大変です。アメリカがいち早く牛肉と乳製品の輸入を禁止し日本もそれに追従しました。既にアルバーター州の16箇所の牧場が隔離処理になっています。隣のサスカチワン州でも6箇所の牧場が隔離されているようです。感染ルート、原因を追求中です。カナダはSARSで観光事業は大打撃、おまけにBSEで経済的なダメッジのダブルパンチを受けています。ロッキーの山は大変静かで私たちには嬉しいですが、そんな事を言うと袋叩きに会うかもしれません。
先週撮影したMoraine Lakeの写真を添付します。
(June 5, 2003)

  氷河をわたる風(23) Yellow Violet

 

この黄色いスミレは木漏れ日の落ちる森の仲に咲いていました。  紫のスミレは日本のスミレと同じで春の初め、明るい日当たりに咲きます。黄色いスミレはロッキー山のあちこちに見られますが殆どが高い木の林立する森の中でした。氷河の風が木立の間をゆっくりとすり抜けてゆく場所を登って行くとかなり急な草原に出ました。そこには勿忘草が群生していました。そんな中にゴルファーが立ち上がって物珍しそうに人間を観察しています。そして、少しで近づくと「キー」と鋭い警戒の声を上げて穴の中に飛び込んでゆきます。この斜面の一段下には朝早くグリズリー熊の母子が餌をあさりに来ていました。彼らの去った後には大きな穴が掘られていました。グレーシャーリリーの群落の真ん中を掘って折角の花を台無しにしている所もありました。山の乱暴者です。

写真1~2.
カナナスキス カントリー、ターミガンサークルに登る途中の林の中で群れて咲いているのを見つけました。
(1999年7月21日撮影)
写真3.
穴の直ぐ傍に立って興味津々で人間を観察するゴルファー
(1999年7月21日撮影)

 

パーティー

 エドモントンに居た頃は留学生が色々と連絡しあって情報を交換したり、また家族ぐるみのパーティーを良くやりました。カナダ人に招待されるパーティーは大概大人だけで子供は連れて行けません。一緒に招待されていない場合は子供を互いに預けあって出かけました。カナダ人の子守りを雇う事も出来ます。多くは中学生から高校生のアルバイト。良い子守にあたればよいが、悪いのに当たると子供たちは悲劇です。パーティーから帰って、泣きべそをかいている不機嫌な子供達のつたない訴えを聞いてみると、子守のお姉ちゃんは子供達を一部屋に閉じ込めて、自分は電話ばかり掛けていたとか。中にはボーイフレンドを呼び込んで子供をそっちのけにして二人で楽しんでいたと言うようなことにもなりかねません。
互いに気心の知れた日本人同士が順繰りに子守りをするのが一番安心の出来る方法です。このようなわずらわしさを避けるために日本人だけのパーティーではなるべく子供を一緒にするように努めていました。カナダ人が入って子供抜きでやる場合、日本人を一緒に招待する時ははっきり言わねばなりません。言わないと子供付きで来ます。日本では大人だけが集まって楽しむ機会が少なく飲んでいる所で子供がちょろちょろするようです。また、それを余り気にしないようでもあります。大人の世界と子供の世界の境界がカナダほど厳格でないということでしょうか。
カナダ人の招待は夫婦一緒であるのが常識です。日本の場合招かれるのは大概亭主ばかりですので、カナダ人のパーティーにそのつもりで一人出かけたりすると酷い目にあいます。玄関に入ったとたん一人である事がわかると変な顔をされ、何故女房の来なかった事をしつっこく聞かれます。従って夫婦の一方が都合の悪い時にはパーティーに行かぬ事にしました。これは行きたくないパーティーを断る良い理由にもなります。
招待されたら招待し返すのが普通です。年齢の差、身分の差は問題になりません。日本の場合、会社など身分の上の人に招かれても招き返す事は少ないようです。しかし、カナダでは、目上の人といえども招待されっぱなしで招待する事を怠ると、段々疎外され何時の間にかそのグループから締め出されます。こうしたパーティーをする場合言葉の問題習慣の違いにより驚かされる事が多くあります。そんな事にあうのも新鮮な経験で留学生たちはカナダ人をせっせと招待してはかなりこった日本式料理を饗してパーティーを楽しんでいました。
Kさんの所では研究室の教授を招待した時、大量の料理や飲み物を余らせたとぼやいていました。教授がモルモン教であることを知っていましたが夫人がその上に菜食主義者であり、食べ物に随分制限があることを知らなかったのです。用意した料理が彼らの宗旨に合わないものばかりで徹底して手を付けなかったと言います。普通、こうした事は招待する前にチェックするのですが、うっかりしてチェックを忘れると酷い事になります。この様な招待で日本人にとって始末の悪いのは、ユダヤ人、菜食主義者、インド人です。彼らには食べ物についての戒律があり絶対に融通が利きません。

エドモントン時代、共同研究者の一人がインド人でした。この夫婦を招待した時におでんを出した事がありました。亭主の方はへっちゃらで何でも手を出して旺盛に食べるのですが、奥さんの方は一々どんな原料であるか聞きます。肉類が少しでも入っていると絶対に手を付けません。魚肉すらです。一々聞かれているうちに、はんぺん、ごぼう巻、竹輪など魚肉が入っているのかいないのか判らなくなり、野菜だよ何て言って食べさせてしまいました。彼女は野菜であると信じて食べた後、なんでもないようでした。しかし、肉の入っているのが後で知れようものなら絶交になりかねません。彼女はインド生まれですが英国で教育を受け大学院まで終えて化学の分野の博士なのですが、生まれた国の習慣をガンとして変えようとしません。サリーを実験室にまで着て来て、長いすそを薬品で汚れている床に引きずったり、緩やかな布が薬品ビンを引っ掛掛かりはしないかとはらはらさせたりするのもインド女性です。
インドから来ていたヒンズー教の学生が牛肉を食べた話です。おっかなびっくり生まれた初めて牛肉を食べた所案外美味しかったと言う。ところが、ある日、インドから兄が訪ねてきた時うっかりその事を言ってしまい、殺されかねまじき剣幕で叱責を受けたと言います。彼らにとっては牛肉を食べることは人肉を食べると同じほどの事であったらしい。傍に居たカナダ人が青くなったほどの叱り方であったと言うから相当のものです。
ユダヤ人の招待も難しい。しかし、中にはアメリカの若い改革派のユダヤ人も居ます。彼等はコシャ(ユダヤ教の食物に対する掟)など守らず、豚肉をホワイトステーキなど行って平気で食べます。そしてユダヤ教の安息日シャバート(土曜日)に休まない。戒律に従うのは自分の結婚式の時だけ。但しこれは例外で、大概のユダヤ人は日常かなり厳格に戒律を守っています。コシャを守るユダヤ人を夕食やパーティーに招待する時は非常に気を使います。豚肉やえびなど出してなくても、オーソドックスのユダヤ人を招いたりすると出した料理に絶対手を付けず水ばかり飲んで帰っていきます。イスラエルに居た頃幾度かこのような失敗を繰り返しました。
ユダヤ人の場合、食べ物に厳しい制約があり、食べてよいものと食べてはいけないものが宗教的にきちんと定義されえているのです。それらは肉類などの種類だけでなく、殺し方、料理の仕方、料理する場所までユダヤ教の教理に従ったものでなけねばならないのです。彼らを招待する時には勿論豚肉を出すような非常識はしませんが、厳格なユダヤ人は例えユダヤ人が買うコシャの店で買ってきた牛肉でも手を出しません。理由は台所にあります。日本人はユダヤ教の戒律に従って生活しているわけではないので、イスラエルに居たとしても、日常の食事に必ずしもコシャの物ばかり使っているわけではありません。時にはキリスト教アラブ人の店から豚肉やコシャでない牛肉を買ってきた料理します。従って、ユダヤ人に言わせれば日本人の台所はそうした食べ物によって「穢れている」のです。そのような台所で調理されたものを食べるなどとんでもないと言うわけ。イスラエルでは日本人などの「異教徒」の使ったアパートは、ユダヤ人が後で入る場合、ユダヤ教の儀式に従って「おはらい」をして清めてから入ると言います。そうした点は徹底しています。我々を穢れているとは馬鹿にするなと言いたいのですが、すがすがしいほどの頑固さを示します。
イスラエル南端の港エイラートの近くでは大きなえびが獲れます。イスラエル人は宗教上の理由で海老、貝、蛸などは食べません。ユダヤ教の戒律によれば、水に住むもので食べてよい物はうろこの有る物だけ。従って、うろこのない海老は食べないので、イスラエルの海では大型の海老がわんさと獲れてユダヤ人以外の旅行者を楽しませます。碁仲間となった教授が地中海に面する海岸に海水浴に連れて行ってくれた事がありました。その海岸は貝殻ばかりで砂が殆どなかったくらいです。適当な大きさの貝殻を拾って碁石にしました。数千年の間、貝は戒律のため食料とならず自然死するに任せていたのでこんなに貝殻がたまったのだろうかと考えたものでした。
ところが、若者と言うものは何れの国でも冒険好きで、また、禁じられればそれに逆らってみるのが本質みたいなもののようです。イスラエルの若者も例外ではありません。エイラート近辺に配属された兵隊が四、五人でこの海老を試食したそうです。それを目撃したのが私の日本人の友達でありました。彼の話では、テーブルについた兵隊達は海老を前にして異常に静まり返り、顔は引き攣り蒼白、目はつりあがりまさに決死隊の姿であったという事でした。
ユダヤ教のコシャ-に関連して日本の友人にぼやかれた話があります。彼の勤める会社が海外への進出を始め、アメリカの会社と取引が出来始めた頃の話です。アメリカのバイヤーとの会議も終わり、条件の良い契約もほぼ合意に達し、明日は最後の詰めと調印だけとなりました。彼はその晩そのアメリカ人を日本料理屋に招待しました。
彼は次々と出てくる料理を楽しんでいるように見受けられた。ところが途中蛸の酢の物を食べてこれは何であるかと問うた。「蛸である」と堪えたとたん彼は真っ赤になって怒りだし、調印寸前の取引はパーと相成りました。未だに原因が解らない。蛸を食わせたのが悪かったらしいのは確かであるとぼやきます。彼はユダヤ人ではなかったかと問うとそうだと言う。「ユダヤ人になぜ蛸など食わした。怒るのが当たり前。」とユダヤ教の講義を一くさりする事となりました。原因を理解すると「あの野郎、なぜ食う前に聞かぬ。」と今度は友人の方がむくれる始末でした。豚肉を食べさせてはいけないことは知っていたが蛸までとは知らなかったのです。こうした点、ユダヤ人もインド人も少し手前勝手です。自分達の習慣や戒律をすべての人間が知っているものとして振舞います。日本以外の世界ならあるいは通用するかもしれませんが、食べ物に非常に寛大な日本人は案外こうした事に無知なのです。俺は豚肉を食わせたわけではないと叫んでも後の祭り。蛸一切れで商売が吹っ飛んでしまうのです。留学生達はこれほどの失敗はしないまでも、小さいながら似たような事を繰り返して段々とカナダの世界へ入っていくようです。