高8 塩澤千秋 (カナダ カルガリーから)
[塩澤さんへの質問や感想はこちらへ] cshio@shaw.ca


十一月中旬に厳しい寒さが来ました。マイナス27度。このまま冬に突入するかなと思っていましたが、十二月に入ると逆に気温が上がり始め、最低気温マイナス10度、最高気温零度程度の暖かい冬になっています。残雪がありますが、晴れの日の続く穏やかな毎日です。日本と違って、湿度が低く、鼻が乾いて鼻血が出るほどですので、寒さをあまり感じません。でも、クリスマスごろには凄い寒さが、サンタのそりに乗って北極からやってくることでしょう。
今、クリスマス・ショッピングの最中です。週日でもショッピング・センターは
混んでいます。家族が一同に集まるので、一年で一番重要な時期です。親達が子供の帰りを待って色々用意しています。しかし、今年は不景気が反映しているのでしょうか、各家庭の屋外のクリスマス・ツリーや家全体の飾りが少ないように感じます。何時もは競い合うように飾り付けるのですが、今年はあまり多くありません。一寸寂しいクリスマスです。また、日本の年末と一番違う所は音のないことです。日本の町々ではとこでもジングルベルが鳴り響いて景気がいいですが、此処では公衆の場で音楽を大きく鳴らす習慣がありません。音を出しても雪が吸収してしまうのでしょうか、寒すぎて外での効果を当てに出来ないためでしょうか、とにかく静かです。

では皆さん良きお年をお迎え下さい。
Merry
Christmas and A Happy New Year!! From Canada
(December 17, 2003)

氷河をわたる風(26) Dwarf Canadian Primrose


六月の終わりごろになるとロッキーの裾野の雪が解け、気の早い高山植物が花をつけ始めます。インデアン居留地の中にある州立公園、Bow ValleyProvincialParkは、こんな花を撮影するのにうってつけの場所です。花の種類も多く良い条件で管理されています。湿地の上に掛けられた板橋の下のチョッと日当たりの良い所に、小さな群れを作ってDwarfCanadian Primrose、小型カナダ桜草が咲いていました。草丈10cmほど、地面に張り付いたように重なった葉っぱの真ん中から、スーッと茎がまっすぐに立ち、その先端に1.5cmくらいの、草丈に対して少し大きめの薄桃色の花が一輪咲いています。一寸見には硬いプラスティックのような感じを受けますが、実はビロード様の肉厚の柔らかい花です。別名Bird’s-eyeprimroseとも呼ばれます。花の中心にある黄色の円のためでしょうか。海抜1300mくらいの所で見つけましたが、それ以上の高所では見つけた記憶がありません。この公園はボー側の傍にあって、川の水面と同じくらいの湿地があるためでしょうか、綺麗な湧き水が、澄んだ池の底の砂を巻き上げて、いたるところから出ています。咲いた花の中をすいーっと飛んだり、止まって激しく羽ばたくハチドリを見たこともありました。狐、コヨーテ、鹿などの野生動物、鴨、雁などの野鳥も結構来ています。しかし何と言っても澄んだ声で鳴く鳴鳥の多いのが特徴的です。

 

 

 

写真1.Dwarf CanadianPrimrose、小型カナダ桜草。やせた土の上に確りと根を張って咲いています。可憐ながら、厳しい環境に順応して生きています。多くの親戚があって大概はもっと大きく花の色は多様です。                                        写真2.枯れ草の中に群生していた桜草の一部です。湿地の傍の幾分乾燥した草原の中に見つけました。岩の上に咲く花より少し草丈が高いようでした。                                                         写真3.桜草の咲いていた場所“Many Springs”はこの池の向こう側の低地です。この池には水鳥がやって来て雛を育てます。白い花はマメ科の植物らしいのですが、似た花が一杯あって名前をまだ決定できません。

 
怒鳴らないでね
 カナダの観光事業は、9月11日の多発テロとトロントでのSARS感染のために大きな損害を受けました。飛行機による旅行の安全性が保障されねば海を渡って観光になど行く気がしません。また、SARSはトロントだけで患者が見つかったのですが、日本の感染地図ではカナダ全体が真っ赤にされて、全国が危険地帯とされてしまいました。そんな関係で旅行者の数、特に日本からの旅行者の数が激減してしまいました。その上に、中国、台湾、香港など感染国からの旅行者は、感染防止水際作戦のためうっかりすると、バンクーバーなどの着陸空港で隔離されかねなかったため、これらの地域を含んだ東南アジアからの旅行者も減ってしまったのでした。今もまだ完全に快復していませんが、テロがあり、SARSが猛威を振るっていた時期のロッキー山は誠に静かでありました。
今からお話しする事は、このような静かな時期ではありません。観光最盛期でロッキー山中の町、バンフやジャスパーが日本の町かと錯覚するほどに、日本人と日本語で溢れかえっていた時期のことです。旅行会社の鼻息は、それは、それは荒い時期でした。空港なども日本人で一杯、お土産店やホテルなどは何とかお客を有利に引き込もうと、客を引率するガイドに大変な気を使っていました。そのような訳で、ガイドがそっくり返っていた頃の事です。
このような盛大な旅行ブームの片隅に、この機会を利用した何とか儲けようとささやかな事業が幾つか始まっていました。そんな中に旅の途中で注文を受けたカナダの特産品を、カルガリー空港で日本に帰るお客様に届けるささやかな仕事がありました。バンクーバーに拠点を置く小さなみやげ店が日本旅行者から注文を取り、それを荷作りして空港で渡すと言う仕組みです。鮭の燻製、ビーフジャッキー、数の子昆布、メイプルシロップなどが品物です。

渡す品物はあらかじめバンクーバーの本店からカルガリーに送られていて、お客さんの出発の前日に注文表が名前と一緒にファックスで送られてきます。それが来ると夜は戦場のような騒ぎです。品物を指定された箱に注文通りに詰めて確りと梱包します。内容は間違いの無いように梱包前に何回か確認をします。二十人分から五十人分の注文をこなさなければなりません。大概は早朝のフライトで、注文書が夕方着いてからの仕事ですから、夜中にかけての随分きつい仕事になります。
それでも品物が揃ってさえいれば、何とかこなせます。前夜、出来上がった荷物を車に積んでおいて、早朝、指定されたフライトの少なくとも一時間前に空港に行って一行の来るのを待ちます。お客さんは一つの団体とは限りません。また、フライト時間も一緒とは限りません。幾つかの団体を一時間以上の間隔で待たねばならないこともあります。手数料はそれほど多くありませんから、手伝いにとってはあまり割りの良い仕事ではありません。しかし、旅行関係の事業に食い込もうと思う人にとっては一つのきっかけになります。
ある冬の事、わが妻が友達に誘われてこんな商売を手伝うことになりました。「やらない方が良いんじゃないの」と言ったら、「余分な事言わないで」と睨まれたので、どんなに忙しくても私は手伝わないと言う約束で始めました。ところが考えたようにならないのがこの世の慣わし。何しろ切羽詰まった時間に、大量の注文が入ったり、支店の奥さんが都合悪かったりすると、私のみならず、この事業に関係していない支店の旦那さんまで引っ張り出されるしまつ。その上に品物が足りないとなると目も当てられません。本店に電話をしてどうするか相談したり、その団体の添乗員の宿泊しているホテルに連絡したり、結局は日本に出発する最終地の空港で渡すことになります。本店はこのような商売を始めたばかりで、まだ組織だった事業になっていない様子です。こんなてんやわんやはしょっちゅうでした。事業主はどうやら最近日本から移民して来た人のようでした。

ある日最悪の事態が起きました。大口の注文が来たのですが、数人分の品物が不足です。本店から送ったはずの品物がまだ着いていなかったのです。本店に電話したり、結局、本店でバンクーバー空港に持って行くということになり、事情を添乗員に説明することになりました。ところが、ロッキー山中の観光の町、バンフのホテルに居るはずの添乗員にいくら電話しても捕まりません。夜中まで何度も電話した挙句、あきらめて、明日早朝に行って連絡しようということになりました。
荷物が多いので、約束を破って、私も荷造りと配達の手伝いに狩り出されました。数団体の品物があったからです。空港に着くのが早すぎたためか、目的の団体は中々現れません。長いこと待つほどにそれらしい団体が到着しました。日本からの添乗員は女性でした。添乗員のお客さんへの説明が終わるのを待って、直ちに状況の説明を女房殿が彼女に始めました。ところが話が半分ほどのところで、俄かに「そういうことは、昨日のうちに連絡してくれなければ困ります」と大きな声で怒鳴り始めました。これには驚きました。カナダでは公衆の面前で他人に怒鳴るということはめったにありません。昨夜、数回連絡したのですがあなたが捕まらなかったと説明しても、荷物は乗り継ぎの空港のバンクーバーで確実に渡すように用意が出来ていると説明しても、聞く耳を持ちません。「約束を守らねば困るじゃないの」大きな声でわめくばかり。

日本やアジアの国では公衆の面前で、他人を怒鳴っているのを時には見かけますが、カナダではぐんと数が低いのです。スラム街の喧嘩などのよっぽどのことで無い限り人を怒鳴ることはしません。アジアの国から移民して来ている人達でさえ、時々大声でしゃべる事はありますが、他人を怒鳴ることは、流石にしません。人間と人間の付き合いに上下はないとするのが、この国の基準です。怒鳴ることは上下がある場合、相手を奴隷として扱う時に限られます。こうした基準は、実際には心の中でどのように感じているか分かりませんが、表面上は結構守られています。
初めは吃驚して見ていましたが、余りの事につい口を出してたしなめてしまいました。ところがこれが、更に火に油を注ぐ事となり、ますます声を張り上げさせる結果となりました。実に閉口させられました。終には彼女、「私は○○交通社のAだ。文句があるなら会社にでもどこへでも報告して下さい」凄い剣幕でした。こうおっしゃるから、後ほどそのようにさせてもらいましたが、こうした場合に「移民」が感じることは、何の根拠も無いことに優越さを示そうとする「日本人」の行為に対するやるせない恥ずかしさなのです。こうした点は「純粋な」日本人には分かり難いと思います。
日本から付いて来る添乗員には、こうしたお土産を商売にしている日本人たちに対する、優越意識があるのでしょうか、チョッと尊大に構える所があります。それは昔の移民に対する日本人程ではありませんが、嫌な傾向です。カルガリー在住のガイド達は殆どが知り合いであるし、此処での「移民」の生活の程、その背景について知っているので、こうした傾向はありません。本国に住む日本人を含む東洋人の興味ある傾向です。

結局はお客さんのほうが、次の乗り換え空港で品物を受け取れるということを、すんなりと理解してくれてお終いでした。怒鳴る事など生じるはずのない『事件』なのです。品物は確実に渡すということを伝言するだけのことなのです。どうしてこんなに威張って、怒鳴るのか理解に苦しむことでした。戦前の「日本人」の「移民」に対する態度が蘇ったのだろうかと思うほどでした。しかしこれはこの会社との後のやり取りで、どんなつもりで観光事業をやっているか理解するに従ってなるほどと思うようになりました。
その後、私の抗議にだんまりを決めようとしていた会社を、何とかして議論の場に引っ張り出しました。ところがいやはや、私達が悪いのであるとお叱りを受けてしまいました。そして、怒鳴った方の言い分だけ聞いて、喧嘩を吹っかけたのは私であるとされ、怒鳴られたほうには何の調べも、詫びもありませんでした。おまけに、この会社はカナダのために観光事業をしているのであり、カナダ政府から歓迎されている。従って、あなた達は少しくらい不快な目にあっても仕方がないのであると言わんばかりの内容でした。日本の旅行社全体で高々カルガリーの中小企業ほどの経済的貢献をしているだけなのに、何とまあ。しかし、彼らの企てる旅行がどんなにかロッキーを汚して、地元民に白い目で見られているかには思いが行かないようです。

最近、一ヶ月の間にエジプトで三回もバスの事故を起こした日本の観光会社がありました。また今週、南米のバス旅行で事故が起こり、旅行者に重傷者が出ました。この旅行を企画した会社の名前が、所在地が違いますが、この会社と同じ名前でした。そして、もっと興味あるのはその会社の名前が、このそっくり返った添乗員の所属していた会社の名前と同じでした。怪我をしたお客さんには気の毒ですが、あまり威張ってそっくり返るとひっくり返るんじゃないの。あんまり威張る旅行会社の旅行には危険ですから参加には注意したほうが良いよと、意地の悪い事を言いたくなるような気持ちになります。
外国に出た場合、公衆の面前で、あまり気軽に他人を怒鳴らないほうが良いですよ。相手が私たちでしたから、途中であきれて手を引きましたが、他の国の人間でしたら、会社丸ごと多分ひどい目にあったでしょうね。気を付けて下さいね。

写真:クリスマス前のシヌーク・センター(ショッピング・センター)、クリスマス・ツリーのある風景を集めてみました。ただし此処ではジングルベルは鳴っていません。極めて静かな風景です。店の中も写したかったのですが、嫌がられるので撮れませんでした。年末のショッピングを楽しんでみて下さい。