3/6(木)13時より、小体育館に於いて文化交流委員会の講演会が開催されました。
今回は「文化財行政と考古学-仕事と研究の私的履歴-」と題して、御堂島 正さん(高26)の講演でした。
文化交流委員長の市澤英利さん(高22)より。開会の挨拶。
続いて伊藤会長(高20)より。今日は考古学についてお話頂きます。皆さんの中から、1人でも2人でも将来の進路として考古学に興味を持っていただける方が現れれば幸いです。
市澤委員長より講師の紹介。講師の御堂島 正さんは大鹿に生まれました。飯田高校卒業後は早稲田の文学部を卒業、神奈川県の教育庁へ入庁。その後大正大学文学部歴史学科の教授になられ、現在は大正大学名誉教授になられています。考古学研究にまい進されまして、多くの著書があります。・・・
御堂島です。大正大学はあまりご存じないかもしれませんが、仏教学部があって校内のあちこちに仏像があったりしますが、それ以外は殆ど普通の大学と変わりません。
今日は私がして来た仕事、文化財行政と考古学についてお話したいと思います。
文化財行政と言うのは、文化財を保存し活用する仕事ですね。埋蔵文化財の専門職員として神奈川県の教育委員会で30年程仕事をしていました。30代の頃は発掘調査が主な仕事でした。40代になると内勤でしたが、これがまた大変な仕事でした。2013年からは、大正大学で考古学の教員として学生を育て、専門職員として自治体などに送り出していました。
埋蔵文化財の発掘ですが、道路工事などで遺跡が見つかると発掘する事があります。その際には発掘の指揮をしていました。
重要な遺跡は史跡に指定し、建物などを復元しいて史跡公園としてオープンしています。これは武蔵野国の橘樹遺跡ですが、飯田にもありますね。座光寺の恒川遺跡もこんな感じですね。
では考古学研究はと言うと、発掘された物質的資料によって人類の過去を研究する、そう言った学問ですね。
こちらは発掘された石器ですが、付いている名前は形からであって使われ方ではありません。左上はナイフ形石器ですが、これをナイフとして使ったと思ってはいけません。形から見ただけで実際の使われ方を示したものではないのです。右上は石さじですが、つまみがあるだけでどう見てもスプーンではないですね。明治・大正の頃から石器に名がつけられていますが、見た目だけでの名で実際は何だったのか分かっていません。名前に惑わされてはいけないのです。
石器の使用痕跡研究が進められ、私は1979年からこの研究を始めました。
(この辺りから話がどんどん専門的になり、学会の発表かと思う様な感じで理解できていません。でもスライドの写真は撮っているので、多少なりとも説明できればと思います)
石器の痕跡から、どのように使われたのか実験し解釈の基準を得ようという研究です。
石器がある。これはどのような目的で作られたのか。どう使われたのか。推測して様々な実験を行います。
石器の痕跡から何をしたのかを推測し、多数の実験をします。同じ痕跡が残れば、このように使われたのだと推定するわけですね。
これが私の研究の歩みです。三つの考え方から様々な実験をしました。その応用から石器の痕跡分析をした訳です。
飯田下伊那地域の石器を分析してみました。弥生時代後期には金属器が出現して石器の時代は終わったのですが、こちらでは未だ使われていました。中央構造線から出ている硬砂岩と言う石を使った石器が色々あったのです。硬砂岩は石器をを作り易いのですね。これ等は何に使ったのか、どういう道具だったのか、痕跡分析をしたのです。
これは形から有肩扇状石器と言います。此処では沢山出ています。どう使われていたのでしょうか。柄を付けて、畑での作物を刈り取っていたのではないか。中耕除草具と言う役割だったのではないか、と推定されています。
また刃の線状痕跡の方向から、右下の図のように稲状の作物を刈り取ったのではないかと推測しました。
私のこの発表をもとに、全国各地で石製収穫具が報告され嬉しく思いました。
今後の研究ですが、石器の痕跡分析からその痕跡の解釈基準の作ろうと進めてきました。40年ほど掛かりましたが、大体出来上がって来ています。
ではまとめに入ります。考古学を学ぶことによって、将来どういった仕事に就くか。
埋蔵文化財の専門職員として、地域作りに貢献する。
また、考古学研究を進め、現代社会との関係を考えどう役立てるかを考える。
埋蔵文化財行政と考古学とは異なるけれど、表裏一体の関係にあります。
長くなりましたが、何かの参考になればと思います。ご清聴ありがとう御座いました。
市澤さんより、御堂島さんどうも有難うございました。此処で花束の贈呈をしたいと思います。贈呈は生徒を代表して、生徒会副会長の伊藤さんにお願い致します。
では駒瀬校長(高33)より、お礼の言葉を。
地元でもリニアの工事などで様々な遺跡が見つかっています。今日のお話から、それらにも様々な情報が入り、当時の人々の人間構造が含まれている、と改めて感じました。今後益々のご活躍を。今日はありがとう御座いました。
御堂島先生、どうも有難うございました。
(高18回 HP 高田)