大平街道を行き砂払温泉の少し先、開けた所から右側を見ると風越山の麓に大きな銀杏の木が見えます。ただ運転中の視界には入らないので、気付きにくいですね。

今は江戸町にある「正永寺」ですが、最初はこの辺りにありました。お寺の建立や移転には時の城主が深くかかわっていて、室町時代に寺を建立したのは当時の飯田城主、坂西由政(ばんざいよしまさ)。この銀杏の木はその際植えられた物と言われています。樹齢600年以上になりますね。今は今村家の庭となっています。


県内でも稀な巨木で、昭和47年に飯田市の天然記念物に指定されています。

説明板もあるので、見てみましょう。クリックで大きくなります。

下枝にある乳房という瘤はこれですね。

高さは30m以上ですね。圧巻です!

これだけの木ですから、この時期の落ち葉も大変な量です。市街地と違って此処は下が土ですから、大半は土に帰る物と思われます。

正永寺原、今の地名は正永町となっていて西中のある所も正永町です。春に紹介した正永寺桜も近くに在ります。春には桜、秋は銀杏が楽しめる所です。

少々余談になりますが、正永寺を今の江戸町に移したのは文禄3年で当時の飯田藩主・京極高知でした。この枝垂れ桜は、その頃植えられたいう説と、後の脇坂公が植えた『弥陀の四十八願』の1本という説があります。いずれにしろ樹齢は400年越ですね。この写真は2014年4月に撮ったものです。

正永寺は去年から大規模な改修工事が行われています。

桜の方は老朽化が進んで気になっていましたが、今年の夏に倒れてしまいました。根元から傾いてきたため7/14に桜から魂を抜く法要を行い、7/15に伐採予定でした。ところが15日の朝、伐採する前に倒れたとの事。南信州の記事です⇒正永寺の名桜が倒伏。 倒れた木はまだそこに置いてありました(12/1現在)。

この写真は今年の春に撮ったものですが、最後の雄姿とも言える貴重な写真となりました。隣に植えられた2世桜も咲いています。2世代の共演もこれが最初で最後でしたね。

改修工事はほぼ終わっていますが、まだ続いています。 今の状態をご覧ください。山門も建て替えられた様で、奇麗になっています。

本堂は火災によって二回建て替えられています。大正2年に再建され、今回改修された姿です。瓦が全面的に葺き替えられた様です。二重屋根の仏殿様式で格式の高さがうかがえます。

こちらは正永寺原から移築されたと伝わる観音堂。瓦が新しくなっています。中の観音像は運慶作と伝えられ、四天王像を従えているそうです。見た事はないのですが、お目にかかりたいものですね。

馬堂も瓦が葺き替えられています。中には白い木馬が置かれています。この白馬ですが、脇坂公の若殿が乗馬の練習に使った物と聞いています。リアルで綺麗ですね。

銀杏の話から始まって、正永寺にまで行ってしまいました^^;こうしてみると、以前撮った写真もある意味貴重な資料となっていますね。

(11/29~12/1 撮 高18回 高田)