昼食後向かった先は浪合です。先ずは尹良(ゆきよし)親王の墓所。石碑はなく墳墓です。囲いには菊の紋章があります。此処は宮内庁の管轄です。この様な皇族のお墓は、県内にはここだけですね。
尹良親王は大鹿を拠点としていた宗良親王の子で、後醍醐天皇の孫と言われています。南北朝時代、80騎余りの兵を率いて三河足助へ向かった。しかし浪合の地で北朝方の兵200余騎の待ち伏せに会い、浪合の合戦となる。多勢に無勢で民家に立てこもり自害した、と伝わっています。その御首を埋葬した塚が此処という訳です。
此処は浪合神社の一角です。浪合神社は尹良親王を祀った神社ですね。
此処が皇族の墓所と認定されたのは、明治になってからでした。富岡鉄斎や松尾多勢子等の尽力によるものです。
次に向かったのは首検分の処。織田信長が此処で武田勝頼 父子の首を確認したとの石碑があります。文字はかなり読み難くなっていたので、以前撮った写真をあげておきます。読めますかね?
【首検分の処 天正十年春三月十四日 織田信長 光秀を従えこの地に出陣 武田勝頼・信勝父子の首を検分する】
この碑を置いた時は未だ浪合村だったのですね。
この場所には桜があります。咲いている時の写真をご覧ください。
この日は雨という事もあって行かなかったのですが、この先へ進むと御所桜があります。尹良親王にちなんだ桜です。
次は駒場(こまんば)へ向かいます。先ずは自治会館で林さんから駒場の説明。
かつては大変賑わった町並みで、飯田まで行かなくても全ての商店が揃っていたそうです。
実際に町並みを歩いてみました。今度のガイドは、あっちっち熱中人連合の案内人 中村さんです。
かつての商店街。白い建物は元郵便電話局。
今は空き家になっている古民家は、町歩きガイドの皆さんが管理していて中に入る事が出来ます。最初に入った所は元呉服屋「つぼや」。昭和5年の建築と言う古民家です。
一階は店の部分が住まいに改装されていましたが、二階はほぼ昔のまま。試着や商談をした部屋の様です。
思ったより奥が深く、中庭を挟んで蔵があり、更にその奥には従業員用の別棟もあったとの事。
改めて外観を。元呉服屋とは分かりませんね。
元銭湯の玉の湯。大正初期の建物で、昭和45年頃まで現役だったとの事。手前が女湯、奥が男湯。奥隣の建物には、熊谷元一氏が住んでいた事があるそうです。
此方は男湯。湯ぶねは意外と狭いですね。仕切りには商店街の宣伝が。確かに男性向けですね。
女湯はこちら。私の知る限りでは一番小さな銭湯ですね。
更に町歩き。こちらは元カフェと言う建物。何となくそれらしい雰囲気がありますね。今は普通に人が住んでいるとの事。
自治会館へ戻り、この石の説明。石橋として使われていた1枚との事。南信州の記事は、ガイドをしてくれた林さんが書いたものですね。
午前中は何とか降られずに済みましたが、午後からはポツリポツリ。それでも、土砂降りにはならなかったのは幸でした。だんだん寂しくなっている駒場宿。空家も増えている様です。飯田の丘の上も似たような傾向にあります。先行きが心配になってきました。
(8/12 撮 高18回 高田)