北川俊夫さん(高18)より、下記の情報が届きました。

NHK朝ドラ「らんまん」で万太郎が上京し頼った人物のモデルが飯田にゆかりの「田中芳男」だということで地元の話題になったようですが、もう一人ゆかりの方がいます。東大の田邉教授の後妻の聡子のモデル矢田部順です。順は大審院判事の柳田直平の長女です。松岡國男が柳田家に養子に入るきっかけも短歌の会に順と國男が入っていたからだそうです。
順の親類縁者を見ると陸軍大将、華族、学者と錚々たるセレブ一族だったようです。(北川)

 

飯田で柳田家と言えば、堀候が野州烏山より移封になった際、属従して来た飯田藩士の家系。順は直平(なおひら)の長女でした。かつての屋敷跡には、門だけが残っています。

民俗学者 柳田國男 が養嗣子に入り四女 孝と結婚。跡継ぎになった事でも知られています。

本籍は飯田でしたが、この地に住んだ事はなかった様です。

飯田市は、世田谷に在った氏の書屋を移築。美術博物館の付帯設備として、平成元年に開館。美博の受付に申し込めば、中に入ることが出来ます。

貴重な建物でもあり、登録有形文化財に指定されています。

親族の陸軍大将と言うのは、安東貞美ですね。台湾総督を務めました。安東家も飯田藩士の家系。柳田直平との関係は、母方の兄弟で貞美は弟になります。
実家は仲ノ町に残っています。趣のある建物ですが、何しろ古いものです。
今は物置になっている様ですが、雨漏りが酷いとの事。末裔の方としては、取り壊したいのだけれど貴重な建物だからと反対の声も多く、悩みの種となっている様です。

ドラマで田邉教授のモデルとなっているのは、矢田部 良吉。柳田 順は東大教授の彼に嫁いだのです。

良吉は最初の妻を亡くしており、順は後妻でした。また歳の差が18歳もあった事、良吉が学長を務めていた東京高等女学校の生徒だった事から、教え子に手を付けたとのスキャンダルを噂され、小説まで書かれてしまう。

実際はそんな事ではなく、名家 鳩山夫妻の媒酌で結婚しています。当時としては珍しい恋愛結婚だったようですね。

良吉は、留学してコーネル大学を卒業。そんな事から英語はお手の物。大学の講義は英語でしていました。ローマ字論者で、羅馬字会を設立。日本語をローマ字表記にすべきと主張している。そんな事から西洋かぶれとの批判もありました。

牧野富太郎は、東大への出入りを禁じられてしまいます。他にも出入りを禁止された在野の植物学者が居ます。
良吉は植物学者としての名誉欲が強かった様ですね。自分にとって脅威と感じた研究者を職権で排除した様です。

そんな良吉ですが、東大教授を罷免される事に。理由は色々あったようですが、人望が無かったという事が一番の理由だった様です。それでライバル教授との権力争いに敗れ、東大から離れる事に。

その後ですが、東京高等師範学校の教授~校長、と言った役職に就いています。
しかし、鎌倉沖で遊泳中に溺死。47歳の生涯を終えました。

ドラマと史実は別物。今後はどの様な展開になるのでしょう?

*ご本人の写真はウキペディア、他ネットより

(高田  高18回)