タイトルから、久保田創二さんの続きと思われた方も多いかと思いますがそうではありません^^;
馬場町の隣になる通りですが、商店街ではありません。地元の方には言わずもがなですが、仲ノ町は(なかんちょう)、馬場町は(ばばんちょう)と読みます。昭和22年の飯田大火を免れた古い建物が多くあります。しかし近年は様子が少しづつ変わってきています。

昔は喜久水酒造がありました。その跡地の今は・・・地域包括ケア複合施設「ウェルネスタウン丘の上」となっています。高級老人ホームですね。

このかつての蔵は・・・

リノベーションされ、お洒落なカフェとなっています。

旧高野産婦人科医院・・・擬洋風建築のこの建物は長いこと空家になっていました。今は飯田中央キリスト教会になっています。

向かい側にはこれまた風情のある古い二階建ての家があります。此処は元飯田藩士の安東家で、安東貞美(さだよし・ていびとも言う)の実家だそうです。安東貞美は台湾総督などを歴任した陸軍大将で男爵です。本町四丁目の烏山稲荷神社に、乃木将軍の像が建っています。これは安東が将軍配下の連隊長として旅順攻略に参加した縁で建てられた様です。

この建物の裏側に末裔の方が住んでいる家があります。そちら方の話によると、老朽化が進んでいて雨漏りもしている。住めないので今は倉庫替わりに使っている。いっそ壊してしまいたいのだが、周りからもったいないから壊しちゃダメと言われ困っている、との事です^^;

仲ノ町はかつては飯田藩士の邸宅が多かった様です。隣は下伊那教育委員会別館ですが、門は旧飯田藩士黒須邸の門がそのまま使われています。

 

此処を入ると教育委員会別館・・・なかなか粋な使い方ですね。

別館の向かい側には疑洋風建築の下伊那教育委員会館があります。

昭和13年に建てられた木造2階建で、国の登録有形文化財に指定されています。

先へ進むと、古くからの家、新しい家が混在しています。

反面、家が消えて駐車場となっている所が広がっています。

先へ進んで振り返ると・・・右側の電柱手前が春草公園の入り口です。菱田春草の実家も飯田藩士の家でした。

やがて交差点。横切っている通りは大正新道・・・この名は今回初めて知りました^^;この通りも古い街並みですね。右側は春草公園の奥の方。駐車場になるのかと思ったスペースには車止めがあり、駐車できません。寄り難くなってしまい、人影もあまり見かけません。開放すればいいのに・・・と思うのは私だけでしょうか?

右側には昔薬屋さんだったと思われる家があります。少し前まで「飯田薬品と言う古い看板があったのですが・・・

今は撤去されています。

公園の左はす向かいに、春草の郷があります。説明してくれる方が居るのでしょうか?平日のせいか人けがありません。

建物右横の路地を入って少し進むと、旧飯田藩士 柳田家の門が残されています。建物は既になく門だけですね。

飯田市ゆかりの人物として名前が上がる柳田国男ですが、柳田家の四女と結婚し養子となったものの飯田では殆ど暮らしていなかった様です。

・・・つづく

(高18回 高田)