飯田下伊那から離れている方は、あまり聞いた事が無いかもしれせんね。場所は座光寺地区になります。この辺りは以前から土器などが見つかっていました。

昭和52年、国道153号バイパス建設に先立ち発掘調査が行われました。その結果、この場所は奈良~平安時代の役所(郡衙)の宿泊施設 舘(たち)跡と推定されました。

貴重な遺跡と分かったものの、バイパス工事は止められる事なく予定通り建設されました。この横断地下道の壁際に、上の説明板があります。


飯田市教育委員会は、この地区を重要な遺跡群として昭和58年から本格的な発掘調査を行いました。この遺跡が一般的に知られるようになった切っ掛けは、リニアですね。当初この辺りがリニア駅の予定地とされたのですが、遺跡を理由に変更されたのです。場所はこの案内板が分かり易いかな。高岡1号古墳の直ぐ近くです。

平成26年3月に、一部が国の史跡として登録されました。たまたまその頃、私は野次馬根性でここを見て回っていました。この時はアチコチに説明板が点在していましたが、そこは果樹園だったり民家が在ったり。例えばここは『正倉院跡』

『正倉院』というのは、税金として納められた稲や雑穀などの農産物を保管する倉庫ですね。沢山の倉庫が並んでいたと思われる所です。奥の奥の方に未だ新しそうな民家が在りました。

こちらは『厨(くりや)』跡。「厨」と書かれた土器が出土していることから、役所の給食施設があった所と思われます。

この場所はやはり果樹園で、未だ新しそうな民家もありました。

恒川清水(ごんがわしみず)は昔とあまり変わっていないと思いました。ただ水量は少なく、丸く囲まれた所に僅かな水があるだけ。

昭和50年代までは水量も豊かで、集落の大切な水源となっていた様です。

一通り見て回った当時の感想は、リニアのコースを変更させてまで残す価値ってあるのかな?でした。その後は行く事も無かったのですが、先月(7/15) 飯田市観光課の佐々木さん(高36)と文化財保護活用課の坂井さん(高43)の案内で見学の機会があり、行ってみました。

飯田市では、この場所を遺跡公園とする計画の様です。用地はかなりの部分が買収済で、発掘調査が進められています。以前は果樹園や民家が在った正倉院跡ですが、今は更地になっています。

観光課の佐々木さんより発掘調査時の貴重な写真を提供していただきました。上の写真とほぼ同じ場所です。

発掘で分かった柱の位置には、丸い石が置かれています。(発掘で出た石ではありません)

発掘は地層が分かり易かったそうです。それというのも約300年前に起きた未満水(ひつじまんすい)という大洪水により、遺跡の地層がすっぽり埋まった為だそうです。写真を見ると良く分かりますね。

調査の結果、正倉院の周りには側溝があった事が分かっています。その説明板。

実際の場所。溝部分はシートで示されています。

こちらは厨跡です。果樹園も民家も無くなって、発掘調査中でした。説明板の位置は以前と同じようです。

恒川清水の今の状態です。水が増えていますね。本来の水源とは別に引っ張って来たようです。

周りの石垣はそのままですが、新たにブロックの枠が作られていました。以前あった丸い石枠は無くなっていました。横に民家が在ったのですが、そこは芝生になっています。

改修した事によって、古い遺跡感は薄れてしまった様な^^;

此処は「恒川官衙遺跡」として、平成26年3月、国の史跡に指定されました。
倉が建ち並んだ「正倉院」はかなりな広さです。
役所の給食施設である「厨」も見つかって調査中。
役人の宿泊施設「舘」はバイパスの下。
ただ、役所の中心施設の「郡庁」は未だ見つかっていません。

遺跡公園として整備され公開されるのは当分先の様ですね。でも今は自由に見る事が出来るので、興味を持たれた方は訪れてみてください。

飯田市のHP に>「恒川官衙遺跡」のパンフレットがあります。ご覧ください。

 

(高18回 高田)