愛宕神社の麓とも言える一画です。こちらも飯田市の大火を免れた地域なので、古い家並みと蔵が並び、情緒のある所です。今回は鼎の方から登りながら紹介していきましょう。鼎中平から入って橋を渡ると愛宕坂になります。松川に架かる橋の中では狭い方ですね。通りも狭いので、朝夕の通勤時間帯には一方通行になります。

橋を渡ると道路は左側にカーブしています。手前の家は空家でしょうか。昭和を感じる建物ですね。

更に進むと、酒蔵が見えて来ます。坂も登りが急になって来ます。

元喜久水の蔵ですね。今は喫茶店が入っていたりします。取り壊された蔵もいくつかある様ですね。壁にその跡が残っています。

対面側にも蔵が並んでいます。この通りには赤い丸ポストが似合いますね。今の形に交換しないでそのまま・・・郵便局も粋な計らいをしますね^^

この蔵は今は何処の所有なのか?喜久水はその生産設備を切石の方に移し終えているので、今は加藤酒店の所有ですかね?メンテナンスもちゃんとされている様ですね。

此処で喜久水に付いて詳しく語るつもりは有りませんが、少し触れておきますね。
昭和19年、飯田下伊那に点在していた37軒の酒造家が企業合同をし、下伊那酒造株式会社を設立。昭和26年に社名を喜久水酒造株式会社としました。初代社長は宮島唯七氏。現在の社長は加藤昇氏(高28)。こちらが実家になるのかな?ちなみに前同窓会長の宮島八束氏(高15)も喜久水の社長でした。今は取締役相談役との事です。

蔵の脇の道を進むと、愛宕神社に上る石段になります。

古い家並みもありますが、やはりリフォームや建て替えたと思われる所もあります。

下から上を見上げると、傾斜地に家を建てる苦労が見えます。石垣を組んだり、支柱を立てたり・・・

石碑を祀った一画もあります。

更に登ると、角の家はリフォームしたのか建て替えたのか?まだ新しそうですね。

こちらの家はモダンに立て替えましたね。上にも下にも駐車場があります。

一方こちらは空家になってしまったのでしょうか?人が住んでる気配がありません。パラボラアンテナも撤去されていますね。

数年前にも撮っていますが、その時は洗濯物が干してあったりで住んでいる方が居た様なのですが・・・

もしかしたら建て替えるのかな?そう言えば以前にも、撤去されたと思った所が実は建て替えだったと言う家があります。三角形の土地で味のある日本家屋が更地になって・・・

今は素敵な家が建っています。上手い事造るもんですね~^^

坂を登りきると、扇町に出ます。扇町公園には往年の名汽車 D51 が展示されています。一見良さげにも見えますが・・・

よく見ると大変な状態に!

初めの頃は運転室に乗ってはしゃいでいる子供も見かけましたが、今はもう近付く人も居ません。この状態ではね~。。。

D51をここに置いたのは飯田ライオンズクラブ。国鉄から貸与を受け、市に寄贈したとあります。譲渡ではなく貸与、と言う事は返却すべき物?だったらもう返却しては如何でしょうか?でも返すと言われても先方も困っちゃいますよね。飯田だけではなく全国各地にこの様な汽車は500両ほどある様です。修復にも解体にも数千万円かかるらしい。今となっては負の遺産ですね~。撤去して昔のようにブランコや滑り台でも置いた方が、気が利いていると思うのですが。(写真はクリックすると大きくなるので文字も見やすくなります)

公園の隣は橋南公民館。昔は復興記念館でした。中には大火の写真などが展示してありました。高い所に電光掲示板が設置されていて、ニュースやお店の宣伝などが流れていました。その表示に使われていた紙テープを、ゴミ箱から拾って来て玩具にしていた記憶があります。特殊な紙で丈夫だったからね~^^2階の廊下横に操作室がありました。そこでテープに穴を開ける作業中の方を見た事があります。なんだか最先端の仕事の様に思えて憧れた記憶があります^^

そんな電光掲示板でしたが、今はもう見かけなくなりましたね。あっても電球ではなくLEDですから、操作もパソコンでしょう。

愛宕坂の散策・・・いい運動にもなりますよ!^^

(高18回 高田)