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11月8日 東京の国立劇場で公演が決まった。田楽と言えば、飯田市に近い浜松市水窪 青崩れ峠下に伝わる「西浦(ニシウレ)の田楽」共に国の重要無形民俗文化財である。三信遠(三河・信濃・遠江)に広く田楽が分布するが、西浦の田楽より面形を譲ってもらったことから、新野の雪祭りは、舞も似ている。新野の場合は、雪の量が、豊穣の尺度となる為に、雪のない時は、山から運ぶと言う。この国立劇場での公演は、小学生から年配まで70人が参加する予定である。「眠い・煙い・寒い」の神社境内での舞と、国立劇場での舞、どうだろう。特に在京の皆様には、ふるさとを感じる良い機会と思われます。

7月24日付け信濃毎日新聞切り抜き、

2012,1,14雪祭り参加の旅行記抜粋     新野の雪まつり 行ってきました。室町時代から伝わる田楽 国の重要無形文化財 1月13日摂社諏訪神社へ、お下りの渡行から始まり、その年の役決め、お滝入り禊(最近まで全裸で禊をしていたらしいが、滝ノ上からの見物客が居るため、今はフンドシ付)をして、14日4時 伊豆神社への御上りが行われる、その街道は、住民により水払いで清められ、夜を徹しての祭りが始まる。大正末期に国文学者折口信夫がこの祭りを見て、雪を豊年の予兆と大切に扱うことから、俗称として「雪まつり」と伝えられることになった 午後6時頃より数々の儀式・舞が奉納され、「ランジョウ、ランジョウ」の掛け声で午前1時頃、大松明に火がともされ、面形(おもてがた)を付けた神「幸法(さいほう)」の出番でいよいよ最高潮に、その観客の中に、エジブト考古学者吉村作治さんの姿もあった。もう一つの山場は、馬・牛・天狗・鬼・住民と神が一対となり沢山の踊りの奉納をし楽しんできたが、夜明けを迎えるに、各々の処に送り返さなければならない「しずめ」(なかなか帰えろうとしない天狗や馬等と押し問答がある)が行われ、日の出と共に祭りが終わりました。「眠い・煙い・寒い」の祭りでしたが、良い経験をさせていただきました。新野は、民族芸能の宝庫、4月・9月には、行人様の御開帳(生きながらにして仏になった即身仏)9月には2尺玉の花火の奉納あり、8月には、文化財の「新野の盆踊り(笛太鼓無し)」近くには、文化財「和合の念仏踊り」等あり、又近くには温泉郷が3箇所ある。 今回夜通しお世話になりました「一力」様に、心より、御礼申し上げます。  (斎藤 純)

Ps おでんはこの田楽から始まったようです。神が出る前に「もどき」が出たり単調な動きの連続である、事前に資料など読んでおくと、着るのも、持ち物、面形、舞などが、よく分かり 眠い煙い寒い三拍子が克服できます。