==親の代から子・孫の代へ==

 為吉の長男 菱田氏孝(中9回)
あの手この手で検索してみたのですが、為吉の長男と言う以外の情報は見つかりません。

 為吉の次男(?)菱田武夫 (中19回)
飯中卒業後は、東京美術学校(現東京芸大)洋画科へ進み卒業しました。美術の先生となった様ですが、母校の職員名簿にはその名がありません。でも同窓会室には氏から寄贈された絵(紅葉の山道)が飾られています。

更に調べてみると、泰阜村の学校美術館に数点寄贈している事が分かりました。その美術館は小学校の中にある全国的にも珍しい美術館です。
入場は無料ですが、校内にあるので職員室の受付へ。お聞きしてみると写真撮影もOKとの事^^ 美術館で撮影OKは珍しいですね。その方が情報が拡散してPRにもなるのですから、禁止している方が意味不明です。

武夫氏の作品、この日は2点展示されていました。「少年像」と「富士」です。奥様(菱田通恵)も画家でした。「バイオリンを弾く女」を出していて「少年像」と並んで展示されていました。


また作品に添えられたプレートから、武夫氏は上田染谷丘高校で先生をしていた事も分かりました。

検索してみると確かに^^

しかも校章 のデザインもされていた事が分かりました。⇒「校章」について

退職後は町田市の方へ移住された様で、名簿では>故人・町田市・画家 となっています。

 為吉の娘 菱田きく
泰阜小学校のHPから⇒泰阜村立 学校美術館  の「一般参観者へのご案内」を見ると、「5美術品購入の努力」 の所に >・・・第一号に菱田春草の姪に当たる菱田きくの「紫陽花」を購入しました。とあります。春草の姪、親は誰?調べてみると、飯田市出身 菱田武夫の妹とありました。

同窓会名簿には載っていないので、本校ではなく飯田高等女学校 卒と思われます。名前で検索しても出て来るのは春草「菊慈童」ばかり^^;それ以上詳しい事は分かりません。作品の方もこの日は展示されていなかったので、見られず。でも、学校美術館のパンフレットに小さな写真がありました。

 為吉の孫 菱田眞
前回、菱田為吉のところでも触れましたが、HPを開設している方です。⇒MAKOTO’S HOMEPAGE

祖父為吉と書いているのですが、両親に付いては書かれていません。誰の子なのかな?自己紹介を見ていくと「目黒生まれ」とあります。武夫氏は上田で先生をしているので、目黒で家庭を持ったのは氏孝氏と推測します^^;

>1951年生まれ、小学校の教員をしていました・・・とあります。この辺も血筋でしょうか?バイク好き、スキー、ギター、と来て最後に女性好き^^・・・正直な方です。殆どの男性はそうでしょう^^;

 唯蔵の孫 菱田厚
春草が唯蔵の結婚祝いに贈った「富嶽」を、飯田美術博物館に寄贈されました。足立区にお住いの様です。

 春草の長男 菱田春夫 (1902/1 ~1987/1 )
明治35(1902)年1月17日東京府下谷区に、日本画家菱田春草の長男として生まれました。
前回「雨中美人」は途中で止めてしまった、と書きましたが次に春草が取り組んだのは⇒黒き猫でした。「雨中美人」は第4回文部省展覧会に出品する予定の絵で六曲屏風の大作でした。締切日は迫っています。大作を仕上げる時間は有りません。そこで縦1.5m、横51cmの絹本としたのでした。この猫は近所の焼き芋屋の飼い猫でした。

前に紹介した「ものがたり菱田春草」に、こんなエピソードが出ていました。猫を借りに行くのは春夫の役目。春夫は近所の焼き芋屋へ行って黒くて大きな猫を借りて来ました。猫は暫くすると嫌がってにげ帰ってしまいます。その度に猫を借りに行くのは春夫の仕事でした。
春草はこの絵を5日間程で仕上げました。背景に1日、猫の描写に4日間かけたそうです。

春草が亡くなってからですが、春夫は大正8年横山大観に師事して日本画を学び、日本美術院研究会員となります。大正14年日本美術院の事務を委嘱され、昭和17年財団法人岡倉天心偉績顕彰会の設立に伴いその事務も兼任(27年まで)。
以後日本美術院の運営の任にあたり、33年日本美術院が財団法人となる際 主事に(54年3月まで)。また、36年日本美術院評議員、54年同理事となる等、日本美術院運営の大任にあたっています。

春草の画集『菱田春草』(大日本絵画巧芸美術、昭和51年)の編集などの他、「父春草の思い出」(『ゆうびん』3-10、昭和26年10月)や、数々の春草の図書、展覧会図録の序文などを書いている。春草の作品の鑑定家としても知られていました。

昭和62年(1987)1月14日、心不全のため東京都目黒区の東京国立第2病院で亡くなりました。享年84。

 春草の次男 菱田秋成
明治37年(1904)春草の次男として生まれました。検索すると宇都宮市に同姓同名の方がいました。ご本人か他人か?確率的には既に故人と思います。それ以上の情報は見つからず。

 春草の三男 菱田駿
明治39年(1906)春草の三男として生まれました。
1989年、春草が残した下絵、スケッチ帳等をまとめ「菱田春草素描集」を出している。兄同様に春草作品の鑑定もしていました。
東京世田谷区で兄春夫と同居していたと思われます。(住所、電話番号が同じでした)

さて次回は? おっと、未だ春草ご本人について書いていませんね^^;超有名人ですから、今更私が書く事もないとも思いますが^^ 当初はOBではないので採り上げる気もなかったのですが、此処まで書いたらご本人に付いても書かなければですね^^;

(高18回 高田)