グアム島
6/14、グアム島に上陸した一木支隊は、島の中心部にあるアガナ兵舎に入った。これまで参謀として支隊長を補佐してきた山内少佐は、帰京命令が来て参謀本部に戻った。しかしその他の情報は全く入ってこなかった。それでも訓練はこれまで通り行われた。支隊長は隊員の士気が下がらない様、中隊対抗の競技会などを行った。夕方太陽が沈み空が朱色の染まると、多くの兵士は海で釣糸を垂らして過ごした。カツオが良く釣れた。また兵舎には米軍が残して行った食糧も豊富に残っていた。しばし平穏な日々を楽しんでいた。そんな優雅な日々が長く続く筈もなく、突然の帰還命令で終わる事となった。

8/7、一木支隊は宇品に向け出航。隊員たちは長い遠征を終えグアム島で買ったお土産を抱え帰国の途についた・・・筈だったのだが、翌朝突然呼集ラッパが船内に鳴り響いた。大本営から指令が来たのだ。「次の作戦のため、直ちにグアム島へ引き返し乗船のまま待機せよ」

8/8、「パラオへ転進せよ」との内報があったが、9日の夜になって「トラック島へ行き第17軍司令官の隷下に入れ」。兵士たちは背嚢に入れた土産物は没収された。反応は様々。涙を流して悲嘆にくれる者、楽観的な者、「このまま帰ったら後ろめたかったな」「とっとと行って手柄を立てて帰ろうや」「今度こそいい機会だ」という者も多かった。

大本営
8/7、「ガダルカナルの飛行場が敵にとられた」との報せが届いた。ガダルカナル?陸軍部は全く知らなかった。海軍は米豪遮断のためソロモン諸島に飛行場を造り制空権を得ようと考えた。空からの調査でガダルカナル島が最適となった。島の大きさは四国の1/3程度、ソロモン諸島最大の島だ。6月に設営部隊が投入され、飛行場の建設が始まった。海軍はこの事を陸軍に伝えていなかったのだ。

8/6に800mの滑走路を持つ飛行場がほぼ完成した。それを見計らった様に8/7早朝、米軍は上陸作戦を敢行した。島に居た日本軍は殆どが設営隊で武器を持たない工兵。銃を持った将兵は300人に満たない。抵抗はしたもののもはや米軍の敵ではなく、ほぼ全員が玉砕した。海軍は、ここに飛行場を造れは強力な基地となる、そう考えただけで敵からの攻撃など全く頭になかったのだ。後で考えれば愚かな策と分かるが、当時そこまで考えた者は誰もいなかった。

海軍と陸軍は決してワンチームではなかった。「海軍が始めた事は海軍に責任を取らせろ」というのが陸軍の本音だった。それでもガダルカナルは重要拠点だ。取られたなら奪還しなければならない、という点は一致した。では陸軍は「状況により部隊の派遣を検討する」となった。多くの陸軍参謀は、グアムに居る一木支隊を想定していた。一木支隊はミッドウエー作戦の失敗を知っている。このまま帰国させれば、敗北という不名誉な事実が国民の間に知れ渡ってしまう。新たな任務に就かせれば帰国も先延ばしとなる。その後、賛否両論はあったものの派遣は一木支隊と決定した。

8/9、第1次ソロモン海戦に勝利したとの知らせが大本営にもたらされた。海軍第8艦隊は、敵大型巡洋艦4隻ほかを撃沈し大勝利と報告。しかし連合艦隊司令部の指示は第一目標が輸送船団だった。戦艦を沈めた事で浮かれてしまったのか、第8艦隊はそちらを攻撃ないまま帰還してしまった。米軍輸送船団は無傷でガダルカナルに上陸、武器弾薬などの資材と兵力の補給に成功していた。海軍情報部はこの情報を大本営陸軍部に伝えていた。しかしそこから現地の第17軍には伝わらなかった。士気に影響する負の情報として無視されてしまったのだ。
大本営陸軍部は、一木支隊をトラック島に行かせ第17軍の隷下に入れる様指示を出した。

米軍の体制
米艦隊司令長官のキング海軍大将は、ハワイの防衛とオーストラリア・ニュージーランドへの支援、更に北へ進出するにはガダルカナル島を占領しラバウルの日本軍を撃退する必要があると主張。米国首脳陣はこれを認めた。こうして米軍では「ガダルカナルを拠点として確保」という目的が、戦略レベルから第一線の部隊にまで浸透、確立された。軍種の壁を越え指揮官同士の連携も出来た。

南部太平洋軍担当のゴームレー海軍中将は、戦力不足を感じマッカーサー陸軍大将と会談。必要な協力は惜しまないとの約束をとりつけた。この作戦の指揮を執る事になったニミッツ海軍大将は、ガダルカナル攻撃作戦司令官にヴァンデグリフト少将を任命した。こうして米軍はワンチームとなって体制がまとまった。

海軍からの要請に陸軍が渋々協力する事にした日本軍。目的に向かって、陸・海・空が一致団結した米軍。戦う前から勝負はついていた。・・・(つづく)

(高18回 高田)