飯田には古墳が沢山あります。古墳の宝庫と言っても過言ではないでしょう。皆さんはご存じでしたか?私は最近まで知らずにいました^^;かつては500基以上あったそうです。
前方後円墳はヤマト王権の影響下で造られたと言われていて、県内の凡そ半数が飯田にあります。その数の多さから飯田はヤマト王権と密接な関係にあったと思われます。

今も残る18基の前方後円墳と、4基の帆立貝型古墳を飯田古墳群と呼んでいます。この内11基の前方後円墳と2基の帆立型古墳が、平成28年10月に国の史跡に指定され史跡飯田古墳群となりました。

ではどんな古墳なのか御紹介していきましょう。
①高岡第1号古墳 座光寺 6世紀後半


これだけは小学校で習いました。立ち木に覆われていて、近くからでないと前方後円墳の形が分かり難いですね。円墳の上には高岡神社が祀られています。以前は県の指定遺跡でした。

今は国の指定史跡です。

横穴式の石室があり中に入れます。規模の割には小さな石室。写真右上の石に赤い色が残っています。多分全体が赤く塗られていたと思われます。

②飯沼天神塚古墳 上郷雲彩寺裏 6世紀前半

以前は竹やぶに覆われていて分かり難かったのですが、竹を切ったおかげで前方後円墳の形が分かり易くなりました。

 

石室もあります。雲彩寺で申し込めば中に入る事もできます。本来の出入り口は奥の細い穴で、今の入り口は後からの物だそうです。あの細さでは這って入るしかなかったですね。今そちらは塞がれています。

松尾には沢山の古墳があります。
御射山獅子塚古墳  5世紀末~6世紀
ここも前方後円墳です。

飯田バイパスから見えますね。上郷方向へ向かって左側に見えます。石室があったと伝えられていますが、まだ見つかっていません。

④おかん塚古墳  6世紀後半
前方後円墳なのですが、後円部しか残っていません。

横から道路の反対側に回り込むと、石室の入り口があります。入口に置いた白い棒は1mです。ちょっとかがまないと入れません。

通路に当たる羨道と遺体を納める玄室からなるこの石室は最大級です。天井までの高さは3m以上ありそうです。

また天井石の大きなこと!古代の人たちはいったいどうやって組み上げたのでしょうね?

上溝天神塚古墳  6世紀中頃
見た目はちょっと分かり辛いですね。前方部が無くなっていますが、此処も前方後円墳です。墳丘に天神社が祀られていることから、天神塚古墳と呼ばれています。

社の裏側に回ると石室の入り口があります。あまりかがまなくても入れます。

石室は細長く羨道と玄室の区別は無さそうです。床には玉石が敷き詰められています。

ここも天井までの高さは3m程ありますね。

姫塚古墳  6世紀前半
ここも前方後円墳です。

階段は後からの物ですね。この石橋の下に石室への入り口があります。墳丘の上には氏神様が祀られています。

入り口は狭く低いので、腰を落とさないと入れません。

石室はおかん塚などと比べると小さいですね。立つ事は出来ません。赤く塗られた赤彩が良く残っています。魔除けの意味があるとの事です。

水佐代獅子塚古墳  5世紀後半
やはり前方後円墳です。後円部におたちふの桜として親しまれているエドヒガンがあります。石室もあったと言われていますが今は入り口も分かりません。

横からは両サイドに民家が在ったりして、全体像の撮影は難しい^^;

全部を紹介していると長くなってしまうので、前半はこれまでとします。

つづく   (高18回 高田)