高森町の古銭発見のナゾ
 明治40年ころ、高森町下市田の古墳から出土した古銭が、このたび、奈良国立文化財研究所の鑑定で、7世紀後半に鋳造された日本最古の貨幣とされる富本銭(ふほんせん)であることが確認された。
 奈良、大阪以外で、初めて発見されたこの富本銭が、どのようにして伊那谷に持ち込まれたものか、きわめて興味深いことだ。貨幣の流通や、古代の伊那谷と中央政権とのつながりを解明する貴重な資料になりそうだ。
 このニュースは、即日NHK テレビで全国に報ぜられた。数日後、同町資料館で一般にも公開され、多数の見学者で賑わったという。(原)
(写真の右側が高森町で発見されたもの)
  

いよいよ春本番
 スキーに出かけて以来、久しぶりに高速道路を運転したらフロントガラスに虫が幾匹かぶつかり、窓拭きを強いられました。
 冬の間出て来なかったのに、いよいよ暖かくなって動物たちも活動し始めたんだなと感じました。こちら田舎では、これからの時期、大量の虫の死骸による車のガラス拭きには全く閉口しますが・・・(西尾)

ピカピカの一年生
 いよいよ爛漫の春。平年より10日ほど早いという桜の開花に促されるように暦をめくると、四月、新年度のスタート。小学校、中学校と入学式もピークとなると、街には晴れ着姿の親子連れがまぶしいのがこの時期。ところが、こちらもそれを狙って徘徊したわけではないので断定は出来ないが、そうした姿を見かける機会が大分少なくなって来たように思う。
 因みに本年度管内(飯田・下伊那)の小・中学校へ入学するのは3,826名という。近年では、昭和55年~60年頃にピークがあって、この時代の入学生は毎年5,500名前後だったというから、街行く親子連れが少なくなったと感じるのも、時間やタイミングのせいだけではないのだろう。
 新年度のスタートにふさわしくない話題となってしまったが、ピカピカの一年生、溌剌とした姿は清々しい。人数は少なくとも、みんな元気で楽しい学校生活を送って貰いたい。(槙原)

京都が近かった
私が中学生の頃、恵那山トンネルが開通し、京都・奈良へバスで修学旅行に行けると喜んだように覚えています。
それから○十年。交通の便もずっと良くなりました。最近では、飯田駅前から中津川駅まで高速バスが出ていて、それが特急の名古屋行きに接続しています。バスから列車に乗り換えなくてはいけませんが、2時間かからずに名古屋駅のしかもホームまで行けて料金もお徳です。長時間座りっぱなしでは退屈してしまう子供連れで利用した私には、好都合でした。
春休みのある日、午前7時25分飯田駅前で乗車。名古屋駅で子供たちの念願だったひかり号に乗り、10時半にはもう京都の人になっていました。すごい。東京へも、もっと速く行けるようになるといいなあ。(塩沢)

アイディア募集中
 先日、インターネット運営委員会があり、ホームページの内容について、いろいろ考えてみました。
「トップページの新校舎の写真は、門扉が閉まっているので印象が悪いから替えたほうが良いに。」
「たしかあれは同窓会員のデザイナーの作品だから、ああいう写真になっとるんだと思うよ。」
「それにしても、一年経ったもんで、このへんで替えまえかな。」
「そのほかに、何か新しいアイディアはないかな。」
「学校の屋上へカメラを付けて、風越山をバックに24時間飯田の風景を送ったらどうだな。」
「そりゃいいな。雪が降ったら誰か登っていって、レンズを拭かにゃならんが。」(岡田)

はずかしい話
飯田市上郷の国道153号線沿いの、元レオ・サンプラ跡地へ、座光寺にあったヤマダ電機店が移転した。
前日の大きな新聞折り込み広告に、8000円のテレビやビデオ、4000円のパソコンが出ていたせいもあってか、店の前には、前夜からたくさんの客が並んだという。
私も、開店3時間後に行ってみたが、3000平方メートルという広い売り場面積に並んだ商品と、人ごみの中から、自分の狙ったものを探し出すのは、実に大変なことだった。やっと、それらしいものを手にして、よく検討もしないで、勢いよく高価なものを買ってしまい、景品の醤油ボトル1本を持って、大群衆から抜け出して駐車場に帰った時、大型店の思惑にはまった自分を、思わず苦笑してしまった。(岡田)

 春祭り


 世間は選挙、選挙で慌しくなっており、当飯田下伊那地方では違反者の逮捕が出るなど過剰熱気と言った感もありますが、楽しい春祭りの時季であることも忘れてはいけません。
 写真は飯田市上郷の黒田人形春季例祭です。高陵中学校のクラブ生徒の若々しい演技のほか、今年は35年ぶり復活の外題もありました。毎年名古屋や関西から足を運ぶファンも多く、地元民の気づかない地域の魅力に驚かされます。
 ほかにも獅子舞など田舎の春祭りは各地で展開。皆さんはいくつ目にされましたか。(岡田)