第47回アンデパンダン展
ゴールデンウィークに天気もいいので、家から飯田公民館まで歩いて、絵の展覧会を見に行った。主催者に知人が多いので、ほとんど毎年参観している。個性的な力作ぞろいで、アンデパンダン(仏語で自主・独立)展の名にふさわしい作品ばかりだった。
良い気持ちになって、夕方の落ち着いた景色の中を帰ってくる途中、ふと気がつくと、向こうの畑で子供3人と若い母親が働いている。子供たちは小中学生だろうか、何やらおしゃべりをしながら、楽しそうな雰囲気である。子供が親と野良仕事をしている光景にすっかり魅せられて、気づかれないように、しばらく立ち止まって眺めさせてもらった。馬鈴薯を植えているようだ。アンデパンダン展に加えたい一枚の絵だった。(原)
俄百姓
連休とその前後には決まって幾日か田舎を往復することになる。いよいよ野良仕事本番で、俄百姓の出現だ。
普段使わない筋肉をここぞとばかりむやみに働かせるものだから、幾日も後になってこれが利いてくる。
腰を踏ませて”年だなー”と子供に冷やかされながらも、何だかみやましい仕事をした様な満足感ではある。(槙原)
端午の節句
端午の節句で鯉のぼりがたくさん泳いでいます。飯伊では6月初めまで見られます。(各戸では、5、6月どちらか一方なのですが)
物理的な電気の周波数や構造線による地形の交差点だけでなく、文化的にも東西日本の混在地、そんな事からも日本の真中に位置していることを感じます。雛祭りも同様3、4月と2回に分かれていますね。私事ですが商売上集中しなくて助かりますが…。(慶事に関連した仕事のため)
でも、近年メディアの影響でしょうか、共に3月と5月に偏りつつあります。日本中画一化されていくのは地域性の消失だと一寸寂しく感じるのは私だけでしょうか。(西尾)
燕がやってきました
今年は、例年になく燕の姿が目につきました。朝になると窓際の電線で、つがいでしょうか、2羽が並んで仲の良いのを見せつけるかのように、ピーチクパーチクと、それは賑やかです。かと思うと、駐車場の屋根の上で、たった1羽なのに何をそんなに話さなければならないのかと思うほど、騒ぎ立てるように鳴いています。どこ家の軒先に巣を作ろうか、よくよく観察しているのかも知れません。
燕に来てもらいたいようにも思いますが、糞の始末を考えると、どこかよその家を選んでもらいたいとも思うこの頃です。(塩沢)