名物恩師の思い出
飯田高校に長く在職された市瀬先生(ウラさ)が、亡くなられた。いろいろな思い出がある。終戦後、間もないころだった。教室の戸を開けて、入って来られるやいなや、「腹がへって、3階まで上がってきて、授業なんかできるか!」と一喝。生徒一同びっくりしたり、共鳴したりしたものだった。
あだ名のウラナリのように、お顔の色がすぐれなかったが、95歳の長寿をまっとうされた。イキな先生のことだ。あの世の門をくぐったとき、「腹が立って、あんな世の中に、いつまでもおれるか!」と一喝されているにちがいない。心からご冥福をお祈りします。(原)
手作り結婚式
子供の通っている保育園(教会と併設)で、長い間勤めてこられた保母さんが結婚式を挙げました。
保護者の有志がパイプ椅子を拭き白いカバーを掛けて並べ、同僚の保母さん達が手作りしたひまわりの花を、園児たちが手伝って壁一面に貼り付ける。バージンロードには真っ白い布が敷かれて、いつもの保育園が結婚式場になりました。
当日は梅雨の真っ最中で、朝から土砂降りでしたが花嫁さんが到着する頃から雨が上がり、白いドレスの周りを沢山の保育園児や、今はもう小学生中学生になった教え子が取り囲みました。式の最後に保育園児が一生懸命に讃美歌を歌ったり、子供達が一人ずつお花をプレゼントしたり、専門の式場のようなきらびやかさこそありませんでしたが、先生のご結婚を祝う気持ちのあふれた暖かいお式でした。そして何より、式を見守る子供達の、真剣な眼差しが印象的でした。
こんな結婚式をした二人は、きっと、子供達の期待に応えるような幸せな家庭を築いていかれるに違いないと思いました。(塩沢)
つゆのあとさき
真昼に飛ぶホタル? いいえ、撮影条件の妙により起きた現象なだけです。
飯田下伊那も震撼した集中豪雨から一週間、いまでは雲の白と空の青とのコントラストが美しい「真夏の風景」になっています。梅雨明け発表も時間の問題でしょう。
中山間地に目をやると、飯田下伊那でもすっかり貴重視されるようになってしまったホタルたちが、”最後の舞い”に生命を振り絞っています。
そう、梅雨が空けることは別の面で、梅雨でしか生きられない生物たちとの別離でもあります。アジサイやショウブの花たちも。
一年後、この潤いの時期に再び彼らが帰って来られるように、私たちヒトは彼らの住まいを守っていく責務を背負うのではないか。儚くも美しいホタルたちの「命の灯火」を見つめながら、そんなことも考えました。
(撮影条件・H11年7月4日午後八時半、飯田市龍江尾林、絞り3・5、シャッター5分間開放)(岡田)
結婚相談コーナーの開設
最近、東京在住の同窓会員の母親という方から、「息子の嫁に、郷里の方を望んでいます。同窓会で斡旋していただけないですか。」という要望が寄せられました。役員会でお話したところ、「登録と相談のコーナーを設けてあげたらどうか。」という意向も聞かれました。すでに、開設されている高校もあるとか聞いていますが。
会員の皆さん、いかがでしょうか。ご意見、要望をお寄せください。(原)
役所仕事
半年近くかかってほぼ完成?した市内を流れる松川の河川敷の工事。時代の親水河川ではなく、石と砂でキッチリ水路を作り上げました。が、6月末の大雨で、写真の様に、水際テーパー部分の表面の砂は削り取られ、石とそれを包む金網が露出してしまいました。上の写真は未工事の地域ですが、草木が土砂の流出を防いでいます。
完成時期を秋にしていれば、それから半年以上川は大水がでませんので、地も固まり草木が生えしっかりした河川敷になったでしょうに…石の間に砂が残っていればそれで良いのかな。でも、雨季を目の前の完成は計画性を疑問視します。また、もし修繕するなら、誰の負担。まさか税金を使うんではないでしょうね。(西尾)
今年も夏は”人形劇”
西日本を中心に、尊い人命まで奪われる災害の多発で深刻な事態のこの頃。この飯伊地方も近年にない記録的な降雨、多雨で、大水害20年説も心配されている長梅雨、一日も早くカッと照りつける真夏の青空が待たれるところだ。
さて、飯田の夏といえばやはり”人形劇”。20年続いた人形劇カーニバルも、今年は”いいだ人形劇フェスタ”に衣替えして新たなスタートを切るとのこと。8月5日~8日の4日間だが、この7月10日(土)にはプレフェスタが、また、7月下旬からは丘の上商店街のショーウィンドーに人形達がお目見えすることになる様である。いよいよ人形劇と共に、いいだの夏がやって来る。
関係情報は”広報いいだ7月1日号特集:人形劇フェスタ。(槙原)