年賀状

 上郷公民館長の吉澤芳人さんからいただいた年賀状です。上郷黒田に伝わる“黒田人形”の頭(かしら)が、力強く描かれています。
 年初めの忙しい時期に、何気なく受け取った年賀状を、今になってもう一度見直すと、差出人の気持ちが改めて伝わってくるものがあります。
 また、そういう年賀状を出していない自分を、反省もしています。(原)
 

 
暖かなスタート
 1999年は、10月に入っても暑いと思うような日がありました。その暖かさのお陰からかいろいろな作物が豊作だったようです。大根、白菜、長ねぎ、りんごに柿。沢山なって食べきれないからと、あちこちから差し入れを沢山頂き、それらの品がお正月の食卓も賑わしてくれました。
 そして2000年。暮れからお正月にかけても、穏やかに暖かく過ぎました。そして6日から7日の早朝にかけてはなんと雨。そのためにどんど焼きを延期したところもあるようです。こんな年も珍しいですね。
 暖かなスタートをきった今年ですが、昨年同様実り多き年となることを祈っています。(塩沢)

壮大な祈り
 大鹿村の河本和朗さんから届いたメールを紹介します。迫害されているインディアンを救うために、日本からアメリカまで、歩いて行く人たちのこと。1月6日には、阿智村、飯田駅、上郷高松、高森出砂原を通過とのこと。旅のご無事を、心からお祈りします。(河本さんは中央構造線博物館に勤務)(原)

 北アメリカのアリゾナ州ビッグ・マウンテン地域では、1974年以来、石炭開発のため、1万人を越えるナバホ・インディアンが立ち退かされてきました。現在、最後の局面を迎え、ナバホ民族の中で、最も伝統的な、土地と密接に結びついた生活と精神文化が途絶えようとしています。
 この事態を憂慮して、日本から現地へ徒歩行進をすることになりました。1月1日に飛騨高山市を出発し、大鹿村を経て、東京都に向います。続けてアリゾナ州フラッグ・スタッフから歩き、ビッグ・マウンテンへは、2月1日までに到着します。私も、高山市から高遠町の間、参加することになりました。
 古来、歩くことは「行脚」、「巡礼」など、「祈り」と深く結びついております。母なる大地に対する尊敬が失われたことが、今日起こっている多くの問題の一因になっていると思います。大地への信仰を取り戻すべく、地球の前に小さな存在として、大地に「祈り」をささげながら歩いてきます。ウォークの様子は、刻々と変わります。最新情報はホームページを見てください。(河本)

良いか悪いか?

 どこの町内でも、正月明けには「おんべ」(どんど焼き)を行いましたが、今は数も減少し、またそのやり方も随分様変わりしました。
 だいたい15日に行ったものですが、今は、7日頃から適当な時期に行っているようです。それも松の明けない4日から大人が準備、場所によっては松飾を除き、芯を12月20日頃から準備しています。
 昔は前日子供達が各戸を尋ねて松飾り等を集め、かまくらなどの番屋に泊り込み、夜を徹して他町内と半分喧嘩腰で飾りの取り合いをしたものです。良いか悪いかは別にし、それが年下のものは上下を越えた連帯や力関係、やってはいけない限度等を知り、目上の者は、目下の者をかばい指導し、そして分別ある大人になっていったところがあるような気もします。今このような事をしたら非常な問題でしょうね。(西尾)

お正月今昔

 既に30~40年も前のことだから、今の青年や子供達にしてみれば、”幾昔”も前のおとぎ話のような世界かも知れないが、当時の正月は、正に、”♪もういくつねると・・・♪”の童謡そのままであった。
 ”♪お正月にはたこあげて、こまを回して・・♪”と、歌のとおり、凧揚げや独楽遊び、羽根つきは正月ならではの遊びで、年中行事のひとつとでもいうもの。子供なら誰一人やらない者はない遊びであったのだから、今ならさしずめファミコンとかテレビゲームのような存在かも。
 公園や空き地の上空に、凛と胸を張ったヤッコがぐんぐん上昇したり、気流に乗って旨く旋回したり、頼りなくふらふらしたり、突如急降下したり・・の姿を見かけなくなって久しい様に思う。(槙原)