老朽化のため2月中に取り壊される講堂の思い出

 
 入学した時、講堂が自分にとって物珍しい存在だったことを記憶している。長椅子が床いっぱいに整然と置かれ、照明が薄暗くて荘重な雰囲気だった。 卒業後教員になってから、入学試験の中学生を引率して、何度か講堂に入った。受験の説明を聞きながら、私は、自分の在学の頃を思い出していた。 ちょっとした不祥事があったとき、故大沢教頭が、講堂に集めた全校生徒を前にして、男泣きしながら叱咤激励したこと。 戦時中、学校が軍需工場に使われたとき、講堂は食堂になった。私たち臨時工員は、夜中に大豆の混じったどんぶりめしを食べながら、お国のためにとがんばったことなどなど。 昨年の高松祭のとき、講堂では演劇が行なわれ、女生徒のはずんだ声が心地よく響いていた。 今でも、講堂前の廊下を通る時、「おい、元気かな?」と、つい中を覗きたくなる。(原)

講堂=校歌、応援歌
 私にとって講堂といえば、校歌・応援歌の練習場所のイメージのみです。入学早々約1週間は、新入生全員があの古い講堂に集められ、恐い応援団員の指導の下、校歌と数種の応援歌を強制的に覚えさせられました。期間中に覚えられなければ本校舎の屋上での補習?が待っていました。お陰で全員が殆ど全てを暗記しましたね。
 卒業10数年後、甲子園に出られるかどうかの時、決勝戦まで数回応援に行きましたが、その頃から在校生は校歌以外の応援歌を全く歌えないのを知り驚きました。見かねてOBが応援歌を歌いましたが、在校生は「たこ踊り」など初めて見るようでした。母校の歌位は、全て知っていてほしいですね。(方法論はさておき・・・)
 余談ですが、応援歌の「替え歌」は厳粛な講堂ではなく、それぞれの地区の新入生歓迎コンパで教えて頂きました。(西尾)

市街地活性化の切り札、再開発ビル着工へ

 
 一口に”丘の上”と呼ばれる飯田市の中心市街地の活性化問題は、飯田市のみならず生活圏を一体とするこの飯田下伊那地方にとって正に重大な地域課題である。その切り札のひとつとして期待される橋南第一地区市街地再開発事業が、1月30日の起工式によりいよいよ具体化されることになった。
 来年(平成13年)3月には、店舗、公益施設、住宅等の10階建て複合ビルが、本町一丁目(飯田信用金庫真向かい)にお目見えすることになる。
 写真は再開発ビル完成予想図。1階は店舗・スーパーマーケット。2・3回の公益施設には市役所の窓口業務等が移転予定。4階から10回は単身者、ファミリー、高齢者等多様な世帯に対応する都市型住宅として分譲されるという。また隣接に6階建ての駐車場も整備される。–再開発事業パンフレットより–(槙原)

春近し
 我が家の小さな池が、何年かぶりに「全面結氷」しました。ここに来ての寒さで急速に凍ったようですが、忘れていた光景を見ることが出来て何かホッとしています。
 今冬は「暖冬」が早くから指摘されていましたが、それにしても異様な暖かさです。一月の平均気温は2・7度で、平年よりも2・2度超。冬の風物詩「雪」は、ほとんどと言って良いほどお目にかかっていません。私たちの住む地域はこの先どうなってしまうのやら、と不安すら感じます。
 さて、2月4日は二十四節季の「立春」。こちらは暦の名の通り、フキノトウが見つかるなど春の訪れを感じる一日になりました。
<講堂追憶>
 講堂、といっても私の世代では「卓球の授業」程度でしか直接利用した記憶がなく、はっきりしたイメージがわきません。それでも、夏の風物詩・高松祭でギター班、演劇班の発表を観る際には、あの独特の建物内でウチワをバタバタ仰ぎながら我慢していたのを覚えています。閉め切っていた所為もあるけれど、余り風通しは良く無かったですよね。
 内部よりむしろ、外から眺めるあの古風かつロマンチック姿にひかれていたかもしれません。(岡田)