花桃の里
清内路村の春は、花桃の花が新緑に映えて美しい。何十年も前から、地元の方たちが精根込めて、育てたものにちがいない。土手には、山吹やつつじの花も咲き競って、黄やオレンジ色を加えている。
地域住民のきずなから生まれたものには、観光施設にはない重みがある。
カメラの望遠レンズで覗くと、こじんまりしたお墓が、いくつか見える。先祖の霊も、花にかこまれて、さぞかし幸せに眠っていることだろう。
桃源郷とは、こういう所を言うのかもしれない。(原)
大鹿村へ行ってきました
さわやかな5月の風に誘われて、大鹿村へ行ってきました。子どもの頃、紅葉を見に行ったことがありましたが、その頃は、まだ大西山の山裾は、昭和36年の災害で山崩れが起こった時のそのままになっていて、土砂が小高く盛り上がり、荒れ果てた様子だったのが、記憶にこびりついていました。
それが、今では広い公園として整備されていてました。桜の咲いている頃ならば、ピンク色の小山のように見えることでしょう。今回は、残念ながら桜は散った後でしたが、白い雪をかぶった山、新緑、清らかな川の流れの組み合わせの美しさは見事でした。
地蔵峠を越えて、上村に入る道も通れると聞いて、行って見ました。連休中だったので、山深い道にもかかわらず、沢山の車と出会いましたが、そのほとんどが、愛知県方面からの車だったことに驚きました。自転車に乗って、峠を越えようとしている人にも出会いました。一体どこからこぎ始めたのかわかりませんが、標高1300メートルもある峠の道で出会うと、もう脱帽といった感じです。
途中、中央構造線の露頭を見ることができるという看板があって、私は見てみたかったのですが、地層なんて???という子どもたちの反対にあって、あっけなく通過してしまいました。残念。
矢筈トンネルが開通したので、思ったより短時間で飯田まで帰って来れました。涼しい夏、紅葉の秋、また行ってみたいと思います。
皆さんもどうですか。けれど地蔵峠の道は、舗装はされているとはいうものの、とても幅が狭いので、避け合いには技術が必要。ここを通るなら、大きいワゴン車はやめた方がいいかもしれませんよ。さらに付け加えるなら、道中食料を補給する店や自販機がないので、水筒を忘れずに。そして、乗り物に酔いやすい人は、酔い止めやスルメを買って持って行ったほうがいいですよ。(塩沢)
プール開き
学校のプール開きには、いろいろなタイプがある。形だけのところも多い。しかし、かつてM中学校では、毎年、神主(かんぬし)を招いて盛大にやった。
関係の職員は準備がたいへんだった。前日のうちに、山へ行って榊(さかき)を取ってきたり、祭壇、供え物、お神酒、塩などの準備をした。その道にくわしいK教頭の指図に従ったが、それもこれも、シーズン中の生徒の安全祈願のためとがんばった。
当日は、うやうやしく祝詞(のりと)をあげたり、プールの四すみに塩をまいたりしたが、放課後の関係職員の「お神酒をちょうだいする会」もまた盛大だった。
今になって考えてみると、お酒の好きなK教頭の思いは、どこにあったのかと疑う気持ちがないでもない。数年前、故人になられてしまった。(原)
(写真は、4月28日、県下一早い天竜中学校のプール開き。信濃毎日新聞から)
春爛漫 ♪
今、梨と桃の花が満開です。林檎はもう一寸先。手を掛けていない道端の花々も精一杯開花し、通りすがりに目にする者の気持ちを和ませてくれています。写真はその一部、左が上から梨と桃、右が上から菜の花、パンジー、たんぽぽです。
梨の受粉に精を出す人々を見ると、中学時代課外授業でやった袋掛けを思い出します。なかなかはかがいかず大変な仕事だったこと、お茶の時間だけが楽しみだったことなど…私だけでしょうか。(西尾)
やがてお田植えも・・
”夏も近づく八十八夜♪♪”と茶摘みの歌ではないが、五月ともなると田や畑の仕事が本格化してくる。
桃に始まり梨、リンゴと豊富な果樹栽培で知られる飯田・下伊那地方では、花付けなどの作業に大わらわのシーズンとなった。
そろそろ田起こしも始まり、土日ともなると、普段のネクタイ姿とは見間違えるほど逞しいお父さんやお兄さんが、一年ぶりに引っ張り出した耕耘機やトラクターと悪戦苦闘する景色がそこここの田圃に出現する。
二月後半から三月上旬の時期外れの寒波以来、平年よりも大分季節の進み方が遅いように思われるが、収穫に影響は無いのだろうか。是非、豊作であって欲しいと、一うね一うね、実りの秋に思いを馳せたお田植えが始まる。(槙原)