100周年記念の赤石

 8月1日午後、記念事業委員会は、学校正面玄関前に35トンの大きな赤石を据え付けた。
 赤石を積んだトレーラーは、安全な道路や橋を選んで、午後2時頃に学校へ到着。100トンクレーン車で吊り下ろし、約1時間かけて作業を完了した。
 赤い石が出るから赤石山と呼ばれているわけだが、この石は、昨年春に赤石山脈の雄峰「聖岳」から12キロほど下がった地点、遠山川の源流で見つけたものだ。
 石の横に埋められた碑には 「本校独立100周年を記念し、ここに学ぶ若き諸君に大いなる夢と希望の実現を願い、校歌冒頭のことばに因んで赤石を贈る 平成12年10月8日 飯田高等学校独立100周年記念事業実行委員会」 と、後輩たちへ寄せる熱い思いを記している。(原)

ITの時代
 地元の新聞社が相次いでインターネットでローカル記事を配信するようになりました。IT化の時代の流れは、どんどん進んでいるのですね。

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  なお、南信州新聞社は近日中に、この「アイモールドットコム」も利用されるとのこと。(新井)

食いしん坊による飯田自慢 (No.6)

 長野県は青果の一大生産地ですが、飯伊地方では特定の作物に偏らず、多く種類の青果が作られています。それも、温度差等恵まれた気候により、味、品質で一級品といえるものばかりです。
 ここに住む消費者は毎日の事で当たり前に感じ、鮮度の良い青果が非常に安く手に入っていることに、気付いていないかも知れません。無人販売では、取れたての品物が100円でいっぱい買えます。(お金を払わない人は、心に重く引っ掛かる高い物を買ったことになりますよ)卸市場も産地市場故、農家が朝持ち込んだ新鮮な青果を、仲買兼小売業者の「競り」を通し、午前中には手に入れることができます。更に、旬の物は豊富過ぎる故、都会では考えられない値段で。
 写真は青果市場の様子です。来月は飯伊の魚の流通状況を予定しています。(西尾)

日本三大桑園は、今。

 先日、ある会合に出席するため中央道から長野道、上信越自動車道と経由した時のこと。碓氷峠を越え群馬県に入ると、やがて道路の左側に10m以上ありそうな巨大な繭玉のオブジェが近づいて来た。言わずと知れた”生糸の街、富岡”である。
 「養蚕の最中は、め棚の隙間に寝かされたものだった。」とか、「母の里は製糸工場で女工さんを何十人も使っていた。」など、同乗のメンバーで昔話に花を咲かせた。
 元より、富岡ならず信州も嘗ては名にし負う”養蚕王国”。松本、上田、諏訪・岡谷、そして我が郷土も勿論で、「お蚕様で飯田の街が繁盛していた。」ことであっただろう。 その象徴が日本三大桑園のひとつ”川路の桑畑”。子どもの頃、修学旅行の車窓から何処までも続くその景色を、”すっげーなー”と眺めた記憶が残っている。
 天竜川の治水対策工事と共に工業団地や公園、高速道路の予定地にと、正に一変しつつある川路と龍江地区。桑園の消滅、養蚕の衰退は勿論この工事に因るものでは無いが、今は往時を偲ぶよすがさえ無い。—写真は、時又より川路方面を望む—(槙原)

自転車の話
 誕生日が近い小6の娘が、自転車を買って欲しいと言うので、飯田市内のアピタ、ジャスコ、綿半、カインズホーム、ケーヨーD2を回りましたが、なかなか気に入ったのが見つかりません。それではと、昔から有る自転車屋を2軒回りましたが、娘は店の外観を見ただけで、入りたくないと言い出す始末...。
 最初はステンレス車が欲しいと言っていましたが、実際に店頭にあったのはジャスコだけでした。ブリジストンは、ステンレス車を今春で製造打ち切りにしたとのことでした。結局、翌日アピタへ行き、チラシに掲載されていた¥11,000.-の自転車に決めました。親としては出費が少なくて済んだので助かりました。
 中2の息子には、昨年クリスマスプレゼントとして自転車を買い与えていますが、これが21段変速というシロモノです。私が小学生だった30年前は、自転車といえば5段変速が主流で、しかも、けばけばしいフラッシャー(方向指示器)が付いていました。
 昨年2月、子供達の学校の連休を利用して、家族4人で金毘羅参りをしましたが、高松市内を歩いていて驚いたことは、自転車の数の多さでした。港町で坂が無いゆえのことでしょうが、ここでは、21段変速なんてまったく必要無いでしょう。
 ある時、夜間ソフトに行こうとして、息子の自転車を借りましたが、体力の衰えにより、21段変速を駆使しても、ゆるい坂さえ登ることが出来ませんでした。高校時代に御殿坂を、5段変速の自転車で楽々登り切っていたのがうそのようでした。
 飯田下伊那の自転車利用者の数は、他の都市に比べると、やはり少ないのでしょうか? 市川市(千葉県)に1年、目黒区祐天寺に1年、横浜市に3年半、浦和市(埼玉県)に7年半住みましたが、どこも自転車にあふれていました。(高橋)