干し柿の里へどうぞ
 この間、長野県縦断駅伝大会を走る選手を撮影に出かけた。伊那谷らしい風景をバックに写したいと探しているときに、高森町で出会った風景の一枚だ。土蔵につるした柿、下にはリンゴ収穫用のコンテナが並んでいる。
 数日前、高森町の有志が、吉田地区の農家の協力を得て 「市田柿の里撮影会」 を開いた。地元の飯田市をはじめ、県内外や、遠くは東京、北海道からアマチュアカメラマンが集まったそうだ。
 カメラを覗く目で眺めると、春夏秋冬、伊那はすばらしい被写体の宝庫だ。俗な建物や観光施設などは、風景を壊さない場所に置いてもらって、もっと 「原風景の伊那谷」 を前面にPRしたらどうだろう。(原)

流星はやはり幸せの象徴
 「消えない内に流れ星に願いをすると叶う」と言われますが、それだけではないようです。
 11月半ば、しし座流星群が少しでも観察出来ればと、独りで久しぶりに自宅の屋上に上がってみました。真夜中近くだったので、明け方のような進入角度でないせいか、約10分で1個しか見られませんでした。部屋に戻ると、子供達が見たいと言い出したので、再度屋上へ行き揃って寝転っろがり天空を眺めました。地上の明かり等が邪魔して、昔の様に多くの星が見えません。点滅せず一定の速度で移動する人工衛星など(チカチカ存在を示す飛行機ではない)、ここ何年か見たことなくなりました。そんな話や、流星のできる理由、宇宙の広さ、時空や相対論等話をしていて、久しぶりに子供と対話していることを思い、「これも流れ星のお陰かな」とふと思った次第です。迷信を絶対信じない私にして…
 寒い中、約30分で7個の流れ星を見ました。(西尾)

”クリスマス”それとも”お正月”
 ハンドルを握りながら何気なくラジオのスイッチを入れたときのこと、「あなたはクリスマスとお正月のどちらが楽しみですか?」という、リスナーから投書を受ける番組が流れてきた。結果は、先の米国大統領選挙ではないが、僅差でお正月がリード、とのことであった。
 その優劣はともかく、それぞれに選択した理由があって、例えば”お正月”とした人では、「お年玉(現金)が手に入るから」との超現実派から、「一年に一度、家族全員が顔を合わせて」という望郷派などが印象的であった。
 一方、”クリスマス”とする人達は、「幼稚園に通う子どもに大きなツリーを見せたい」というニューファミリーや、「幻想的なイルミネーションや飾り付けの”街”がステキ」というロマンチック派まで比較的若い年代層か、その理由や想いも様々で面白かった。
 翻って「ところで自分は?」と問うてみるに、「一年に唯一の少し長めのお休み、”寝正月”に限る」との結論になった。やはりナマケモノ派の典型なのであろう。
 カレンダーをめくると、いよいよ20世紀は最後も最後。早く来い来い21世紀、そして”お正月”。(槙原)

どこまで続く暖冬化
 結婚15周年を迎えました。1985年12月1日は、良く晴れた寒い日でした。演劇班の同期だった嫁さんは、当日の気温は氷点下7℃まで下がったと言っています。それに比べると、今年のなんと暖かい事か・・・。しかし、15年前の当時でさえ、沢城湖などではすでにスケートはできなかった(結氷しなかった)のではないでしょうか?私が中学生だった1973年頃までは、沢城湖をはじめ、千人塚や平谷湖でスケートが出来、新聞にはスキー同様スケート場の情報(氷の厚さと滑走の可否)が毎朝掲載されていた覚えがあります。高校生時代(1975年から)はスケートには1度も行きませんでしたが、もう氷が張らなくなっていたのでしょうか?ちなみに、上記のスケート場の入場料は100円かせいぜい150円だったと記憶しています。
 私の住んでいる駄科地区でこの冬自動車のガラスが凍結した朝は、11月30日を含めて3回です。皆さんのお住まいのある地区はいかがですか?(高橋)