大江磯吉の像
 先月7日、飯田市下殿岡の円通寺で立派な除幕式が行われた。飯田高校同窓生が中心になって進めた建立の会の成果だった。
 会長の片桐弘彰さん(高5回卒)の挨拶の一部を紹介しよう。
 「この像の建立を目指してから、わずか半年ではありましたが、約200人もの多くの方々の賛同をいただき本日に至りました。若くしてこの世を去った大江磯吉は、幼少の頃、この寺の境内にあった知止小学校で学びました。当時この境内を走り回ったのだろうかと、今この像に問いかけたい思いです。そのゆかりの地に像を建立することができました。像の建立が終点ではありません。差別と偏見をなくすことを願うとともに、今日、ことに望まれることは、忍と力のある人物の育成ではないでしょうか。この像がそれらのきっかけになることを祈願致します」。

(原 博司)

日帰り上京記
 11月1日(土)に妻と長女がある催し物を観(聴き)に行くというので、一緒に上京する事にしました(とは言っても、上京する事は7月末には決まっていました)。
 朝4時30分過ぎに自宅を出発しましたが、調布あたりから渋滞していたので、予定を変更して高井戸で下りて環七を北上し、会場の近くで二人を降ろしたのが8時40分頃。
 高井戸から首都高にのり、外苑で下りて決めてあった駐車場をめざしましたが、9時過ぎの時点で既に満車。そこに車を置いて電車であちこち回る予定でしたが、断念して以前勤務していた神田に向かいました。
 「小諸そば」で朝食を済ませ、神田駅の近くの書店で道路地図を買い、さて出発です。
 大手町経由で皇居や日比谷公園を右に見ながら虎ノ門、溜池を通って中原街道、綱島街道の渋滞を抜け、横浜アリーナの横を通って、目的地の緑区竹山団地に到着したのは12時30分頃。青果業(八百屋さん)を営む知り合いに5年半振りに会う事ができました。「ここは横浜のチベットと呼ばれているから、飯田と変わらないだろう。」と言われましたが、その通りでした(緑区にお住まいの皆さん、ごめんなさい)。
 2時間ほど店先で立ち話をし、「都内に戻るにはどうやって行くのが一番良いですか。」と聞いたところ、「田舎者だからカーナビなんか使ってないんだろう。」と言われ(おかあナビが一番!!)、国道246号を通って行くのが一番良いだろうと教えてくれました。渋谷駅の南を抜け、青山通りを通って、明治神宮外苑に戻ったのが17時20分頃。今度は駐車場が空いていました。絵画館の回りが駐車場になっているのですが、ここは朝6時に開場し、夜は午後9時に閉鎖します。料金は前払いで1,000円。東京のど真ん中に1日駐車できてこの料金です。
 19時過ぎに妻から電話があって、水道橋駅で待ち合わせする事にし、「北京亭」で夕食。有名人の色紙がたくさん貼ってありました(菅直人、土井たか子、村山富市、田英夫、吉永小百合、etc.)。21時少し前に駐車場を出て、外苑から首都高にのり、自宅に到着したのが午前0時30分頃。妻と長女はずっと眠っていました。走行した距離は約630キロでした。疲れ果てて、翌日はほぼ1日ベッドの上にいました。
 (写真は11月2日早朝の我が家から見た天竜川東岸。霧に煙っています。)

(高橋秀治)

注目の11月が・・・
 いよいよ11月、今年も後2ヶ月と大分心細くなってきた。
 ところで、11月の注目は、何と云っても“マニフェスト選挙”(第43回衆議院選挙)であろう。小泉連立政権が安定多数を維持するのか、はたまた民主党が政権を奪取して、我が国に新しい二大政党時代の幕開けを導くのか、大いに関心を寄せる選挙ではある。この長野5区からも清新な代表者が選ばれる時となった。上伊那VS下伊那等というような了見の狭い戦いでなく、地域を代表してかつ、これからの日本の方向性をしっかり判断できる議員先生を望みたい。
 地域を代表すると云えば、長野県の代表決定戦がやはりこの11月上旬だ。5年ぶりの“花園”切符を懸けた岡工との高校ラグビー決戦である。(11月8日(土)13:00キックオフ、松本総合競技場「アルフィン」)選手達も大分気勢が上がり、仕上がりも上々の様だから、“夢”の再来もあり得そうだ。
 目の離せない11月上旬。それぞれ、奮闘と立派な成果を期待したい。 

(槙原英勝)

紅葉始まる
 ちらほら紅葉が始まった風越山の様子です。
 (撮影:10/30/03)

(西尾秀文)