高松祭です!


 黒板にかかれたカウントダウンの数字が減り続けていましたが、とうとう前夜祭の日がやって来ました。去年のカウントダウンは、ビニール傘に紙の造花の数字でした。
 7月3・4日は高松祭です。
 “笑う奴には福来たる祭りのときこそおおいに笑え!”今年のテーマのようです。
 試験の週の静けさと違い何か校内がわくわくと沸き立つものを感じます。
 1階の廊下には家庭科のろうけつ染の小布が飾られています。
 生徒昇降口には高松祭の門を飾るベニヤ板が出番を待って所狭しと立てかけられています。
 ファイヤーストームも7時30分終了と環境問題・地域の皆さんの協力で何とか成り立っているようです。
 夕暮れの中のフォークダンス、蒸し暑さと暗闇に燃え立つ炎、泥まみれの自分、遠い日の高松祭の懐かしさは毎年カウントダウンの数字と共に甦ります。

 

 

 

 

 

 

 
 

(写真は、7月3日の朝撮った母校の正門。)
(事務局・小林 朱美)

高松祭といえば・・・
 思い出すのは、1975年の音楽会です。当時の1年D組(男子32名、女子16名)は、「流浪の民」を合唱する事になっていました。
 ご存知のように、ソロの部分がある歌です。ソプラノ、アルトは元気の良い女子が文字通り独唱する事になりましたが、意気地の無い男子は、テノールとバスのソロを3人ずつで歌う約束になっており、私はテノールのひとりでした。
演劇班に所属していた私は、当時の伝統だった「高松祭の当日になってやっと通し稽古」をするハメになり、音楽会をサボらざるを得ませんでした。そして、音楽会では1Dの出番となり、ソプラノ、アルトの独唱のあと、2人に減ったテノールは、A君の突然の背信行為により、O君の調子のはずれた独唱になってしまい、場内の爆笑(?)を誘ったのでした。
 おかげで、何かの賞でスイカをいただく事はできましたが、O君の落ち込み様といったら惨めなもので、しばらくは顔を合わせる事が出来ませんでした。
 ところで、D組の同級会は、8月14日(土)に丘の上の某所で開かれます。OB/OGの皆様、再会を楽しみにしています。

(高橋 秀治)

夏雑感
 その1 初蝉
 6月末の休日のこと。庭で草取りをしていると、3歳の娘が「何か変な声がする、何か鳴いているよ」と言う。中央道を走る車の音に混じって、それはまさに蝉の声だった。
 今年の6月は本当に暑かった。毎年いつ頃から蝉が鳴くのか意識して暮らしているわけではなかったが、蝉も思わず出て来たくなる気候であるのかもしれない。子どもの耳は、大人の耳より雑音が入りにくいようにできているのか、夫も私も言われるまで全く気付かなかった。
 その2 ハエが叩けない
 家の中にハエや小さな虫が多い季節になった。私がハエ叩きを持ってうろうろしていると、娘が「殺しちゃうぞ~」と言ったのだ。
 母である私は愕然とした。当然日常会話の中で、殺すなどと言う言葉は意識して発することはない。幼稚園で覚えてきたとも、思えない。何故、3歳児が殺すという言葉を知っているのか…。
 あれ以来、ハエが叩けない。殺虫剤が使えない。どうしたらいいのかまだ答えがみつからない。
 その3 きれいなお姉さん
 我が家の近くのF高校の文化祭実行委員の生徒が、文化祭の案内を持ってやって来た。3・4人の女子生徒ばかり。整えられたつやつや髪、薄化粧、アイブローもバッチリ、爪もピカピカ、靴下は控えめなルーズソックス。スカートは当然超ミニだ。みんなきれいな女の子だった。
 自分も高校時代超ミニスカートが大好きだった。マニキュアは注意されてもやめなかった。でも時代は流れた。
 案内の用紙を受け取って、あわてて鏡に向かった。疲れ切ったおばさんがいた。マニキュアは剥げていた、眉は描いてなかった、裸足にウエストゴムの短パン、流しには洗ってないお皿、現実しかなかった。涙をこらえて化粧した。シャネルの香水をつけて自分を慰めた。

(佐々木公美子)

今年はちょっと違う?
 99年6月号で、「雨季は我が家のベランダがナメクジの運動場と化す」とお話しました。
 しかし今年は梅雨の中休みが多いせいか、練習場にもならないようで見かけません。代わりにコガネムシの休憩場になっています。

(西尾 秀文)


「たまたま鳶?が写った雲を冠した風越山」(2004/06/26撮影)


「我が家のベランダ」(2004/06/26撮影)

 
伊那谷から”松の木”が消える?
 いつもの見慣れた伊那谷の景色であったが、朝日に透かされた雨上がりの山の端が一段と鮮やかに目に飛び込んで来た為か、深緑の中の至る所に点々と広がる赤錆色の斑模様がヤケに気になった。
 嘗ては見事な枝振りであっただろう赤松の木々。無惨にも松食い虫に浸食された痛々しい姿を、ここにも、あそこにもと至る所に見つけることができた。
 マツノザイセンチュウという体長1mm程の虫がこの松枯れの原因で、マダラカミキリによって木から木へと運ばれ被災して行くのだという。
 この飯田・下伊那地方でも、地域によっては大分前から深刻な状態で、早急な対策が望まれていると聞いていたが、この惨状を目の当たりにして改めてその感を強くした。

(槙原 英勝)

ネジバナ
 日当たりのいい土手のあちこちに、ネジバナが咲き始めた。私にとっては、初夏を代表する好きな花の一つ。
 約10センチの花穂を出し小花が、らせん状にねじれて並ぶからの名である。
 別名をモジズリといい、百人一首に出てくる花としても知られている。
  「みちのくの 偲ぶもぢずり 誰ゆえに 乱れそめにし われならなくに」 (河原左大臣)
 この恋歌が好きだからこの花が、と格好つけようと思ったが……。 実はもう一つの別名、ヒダリマキが大いに気に入っている。

私のホームページ「日刊ふるさと情報便」もどうぞ。  (原 博司)