卒業50周年記念大会
 飯田高校7回卒業50周年記念大会が、10月7日夕方より飯田市三宜亭で、同窓会を代表し事務局宮下洌先生を迎えて、出席者約100名で盛大に行われました。
 地元の幹事さんたちのお力で“恋姫太鼓”の演奏なども織り込み、また飯田高校同窓会旗もお借りしてきて、応援歌の合唱など、年も、腰の痛みも忘れ昔を楽しく思い出しました。

(原 健彦)

風越山に登る集い
 丸山・羽場公民館 丸山・羽場青少年健全育成会 風越山を愛する会共催の「風越山に登る集い」が今年も10月23日行われた。
 朝 肌寒さを感じましたが最高の天候、この日、山頂に初冠雪が降った。1943年風越山気象観測以来最も早い記録だそうです。
 風越山頂1,535mと虚空蔵山1,130mの2コースで、今まで6登山口の中、表参道か押洞コースでしたが、今回初めての権現道ルート(上郷・姫宮上)の登山口を選んだ。飯田市街から見て右奥のコース、表参道との合流点は、標高1,410mに「一の鳥居」と展望台がある所に出る、当然虚空蔵山コースは山頂まで下ることになる。
 飯田西中学校の校章になっている天然記念物の「べにまんさく」が紅葉して歓迎してくれる。兵庫県の85歳の人から小学生まで、50名がそれぞれのコースに挑んだ。
 風越山(かざこしやま)は、白山権現を祀る信仰の山であり、今年奥社は保存大修理が行われた。権現山とも言われ市民の山として慕われている。1987年11月に、長野県自然100撰にも選定されている。
 登山の出来る支度に、昼食・おやつ・雨具等持って、ごみ拾いをしながらの登山。私の楽しみは、氷らせた缶ビールと、おむすび、山頂につく頃、丁度解け、飯田市を見下ろしながら飲むビールは最高。 参加者には、写真入の登頂証が、配布された。
 この風越山 木曽谷からも雄大な姿があり、10月28日木曽上松町の登山口から、挑戦する仲間を公募した。
 「風越山を愛する会」では、飯田下伊那だけでなく多くの登山者に、郷土の・信州の山として、親しんで頂ける様、A1版イラストマップを作成し、1部500円で限定販売している。
 問い合わせ 飯田市丸山公民館0265-23-5872迄。
        (写真は、べにまんさく群生から見る飯田市・イラストマップ)

                                                      (斎藤 純)

 

「伊那谷の文学碑」 を発行
 このほど知人、友人たちが、りっぱな本を発行しました。伊那谷の文学碑の写真と碑文の紹介をまとめた本「伊那谷の文学碑」です。南信州新聞社から出版し、今話題を呼んでいます。
 飯田下伊那にある俳句・短歌・詩などの文学碑450基を訪ね、刻まれた碑文を解読し、また碑建立の経緯を調査したガイドブックともいえる研究書です。
 江戸末期から大正、昭和と、伊那谷を吹き抜けていった各時代の熱情の痕跡が、まざまざと甦ってくる労作。
 執筆者たちは、かつて地元の小中学校に籍をおいた国語同好の元教師7人、鎌倉貞男、木下秋彦(中45回卒)、熊谷紀夫(高11回卒)、熊谷英彦(高8回卒)、桜井浩嗣、村松巧、吉澤健(高5回卒)の皆さんです。
 本はB5判上製本352ページで、定価3千円。お求め、お問い合わせは、南信州新聞社か平安堂、各執筆者などへどうぞ。
私のホームページ「日刊ふるさと情報便」もどうぞ。

(原 博司)

浮世を忘れ
  10月末、美ヶ原温泉である会合をしました。いつも東京でしているのですが、秋を楽しみたいという意見もあり、上高地も近く紅葉を楽しめる松本に変更されました。
 宿泊先が「ホテル」ではなく、造りや料理も日本情緒たっぷりの「旅館」は私にとって十何年ぶり。ほとんど季節の地物産食材が使われた大変おいしい料理はもちろん、その心落ち着く民芸調の雰囲気に、久しぶりに本当に満足しました。多くのホテルや旅館そしてレストランが、コンビニに象徴される画一化された接客態度やお決まりの料理が多い中、それらとは一線を画していました。
 お願いしないのに、TV局や雑誌社から取材申し込みが何度かあるようで、マスコミに幾度か紹介されている旅館だそうですが、納得しました。普通だったら部屋は1部屋+アルファですが、ここはそれに数名が団欒できる部屋や隠し部屋などが付いていて、遊び心もありゆったりしていました。団欒場所には本格的なオーディオ機器もあり、もちろん私どもも静かに音楽を流しながら夜遅くまで談笑しました。
 酔いも回り、縁側に出て庭を眺めている時、
 トン、  トン、  タン、タン  トン、トン、トン、  タン、・・・
と雨が降り始めましたが、なぜかジャズのリズムを連想し聞き入ってしまいました。各部屋や喫茶室などあちこちに置いてあったアメリカのM社製アンプやJ社製スピーカー のためかなと。
 琴や鼓に聞こえてもおかしくない雰囲気の中、若い頃憧れた機器を目にした物欲からか、 せっかくの機会なのに浮世を絶てない自分に対して含み笑いしてしまいました。

(西尾 秀文)

変わり行く丘の上
 中央通り一丁目の「東京庵」が改装中です。私が聞いたところによると、昼間は今まで通り食事を出す様ですが、夜は居酒屋になるようです。
 銀座三丁目の路地裏にあった飲食店「絵島」は、丘の上の再開発に伴い、長姫町の「金仙」の地下に移転しました。
 一方、10月5日(水)に上郷飯沼の国道沿いにオープンした「かっぱ寿司 飯田店」は連日大盛況で、10月30日(日)の18時頃店の前を通った時は、行列ができており、2名の警備会社の人が駐車場の整理をしていました。
 さて、今月のオススメは、「9.11 生死を分けた102分」(ジム・ドワイヤー、ケヴィン・フリン共著 三川基好訳 文藝春秋)。2001年9月11日午前8時46分にワールドトレードセンターの北タワーに一機目が激突してから、午前10時28分に同タワーが崩壊するまでの102分間の南北両タワーの内部の様子が詳しく再現されています。上の写真は、事件から4週間後に知人から私宛に送られてきたメールに添付されていた物で、瓦礫の下にあったカメラの中のフィルムをFBIが現像したのだそうです。

(高橋 秀治)

 


恵那山麓の紅葉が始まる
 今年の9月、10月の少雨、高温のためか、伊那谷の紅葉も遅れていましたが、恵那山麓ではこの数日の間の冷え込みでやっと紅葉が始まったようです。
 例年よりも色が鮮やかではないようですが、それでも南信州の紅葉はすばらしい。恵那山麓の紅葉と山麓から中央アルプス摺古木山の方向を望んだ写真です。

(原 健彦)

運動会
 心配された雨も上がり、日本晴れとは行かないが、清々しい秋の一日を迎えた。今日は、地区の運動会である。
 というものの、今回は選手でも応援団でも無く、裏方の交通安全係として参加。会場付近の道路の要所に立っての交通整理、駐車場への誘導というのがその役割。
 折角だから、少しは競技の様子なども見られればと、若干期待していたところ、運良く、グランド入り口の交差点の担当となって、会場全体を見渡すことは出来ないまでも、競技を中継する放送などは鮮やかに聞き取れる位置。放送に耳を澄ませて、決勝が近づいたと見ると、役目は相方に断ってネット裏から二度、三度と覗き込んでみた。我が組合、一位か二位か白熱の争いとなると、場外ながらも自然と握り拳に力が入る。
 ところで、運動会といえば、やはり子供達には先ずは何よりも“出店”か。相変わらず子供達には、家族の競技や組合の勝敗とは違うところに関心があるようだ。しかし、これも昔から運動会の楽しみのひとつではある。

(10月30日記 槙原 英勝)