季節の音
“ハラ ハラ”それを踏んで歩くと“サクッ サクッ”。
言葉に表すと人それぞれに違いますが、心で受け止める「感じ方」は同じような・・・。
今年はいつまでも暖かかったためか紅葉はいまいちでしたが、軒下の干し柿など今、秋を存分に感じられる飯田です。
私はそれを楽しむだけですが、広葉樹の並木に面したお宅は毎日の日課が大変なようです(感謝)。
夜“シンシン”という時期が間近か。これはどの家の前にも公平に積もりますので、皆汗だくになって作業しなくてはなりません(ふう~)。

(西尾 秀文)

 

地産地消
近年、「地産地消」をキーワードに、行政、民間問わず、そして全国津々浦々で様々な取り組みが進められている。
そんな中にあっても、決して鼻を高くするわけではないのだが、ここ我がふるさと「飯田・下伊那」地方は、極めて積極的で先駆的な取り組みが行われていると誇りに思っている。
この頃も、県下では初めてとして、市内小中学校全ての学校給食に、農薬や化学肥料を基準の半分以下に抑えた特別栽培米を導入したと新聞で紹介された。61戸の農家による契約栽培で、年間必要量の80%は供給できるという。生産者、生産過程がよく見えて、安心、安全な食物が子供達の口に入ることは喜ばしい限りだ。
また、先日、切石の喜久水酒造(宮島八束社長:高15回)で、“たかね錦”の新米新酒を飲む会が催され、同窓の先輩諸氏とともに参加して、醸造されたばかりの原酒を味わう機会を得た。“たかね錦”は、同社が10年以上前からこの地方での栽培に取り組み、地元契約農家と研究を重ね、ここにやっと産地指定銘柄米の認定を得て商品化されるという。
勿論、香りも味わいも申し分なくすっかり堪能して帰ったが、何より、“地産地消”の楽しみのアイテムがまたひとつ増えたことが嬉しい。
自らは、知識も経験も乏しく、努力にも欠け、“産”には到底役立たない怠け者だが、せめて“消”には貢献しようと思う。

(槙原 英勝)

上村 下栗の里
今年10月、上村と南信濃村が、わが飯田市に合併した。11月9日、その記念イベントのひとつ「のりあい市政ガイド」に参加した。
新市となった2地区の施設や取り組み、地域おこし活動などを市職員がバスで案内。今までの飯田市には無かったものを感じることができた。
中でも上村下栗の里は、以前にも訪ねたことはあるが、なぜか行くたびに新しい感動を覚える。海抜800~1,100メートルにある30度の傾斜地。きびしい生活条件に立ち向かっている住民の皆さん。そして、伝統の霜月祭り。
下栗の紹介写真には、左側のようなのが多い。それらには、屋根に石やタイヤがのっている古い民家が写っているが、今はこの写真のように新しい家もたくさん建っている。
今回は地元住民の案内もあって、今までに、あまり見たことのない右側の構図の写真を撮ることができた。下栗の里が、「日本のチロル」と呼ばれるにふさわしい写真ができたと喜んでいる。飯田市の新しい顔である。

 

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(原 博司)

恵那山
恵那山は南信州の、特に阿智村の自慢の山である。しかし、深田久弥の「日本百名山」で記述されているように、この山の姿は、馬籠や中津川など木曽側から見たものが有名である。
阿智村や、伊那谷側からみた恵那山の姿の紹介はない。が、信州に戻って偶然に見つけた飯田市山本の久米城址から望んだ恵那山は周囲の山々を従え、木曽側からとはまた異なった美しさがあり魅了された。
それ以来、機会があるたびに、この城址を訪れ、恵那山を眺めその変化を楽しんでいる。なお、この城址公園からは南アルプスも楽しむことができる。

(原 健彦)

 

フジが食べ頃
11月中旬あたりから、中央道松川ICの上り線出口が渋滞するようになり、13日(日)に松川町大島でナシやリンゴを作っている高校時代の同級生の農園を訪れ、私の知人宛てにフジを送ってもらう様頼みました。その知人から、25日(金)にリンゴが届き、とてもおいしかったとの連絡がありました。私の父は、28日(月)に孫(私の子)宛てにフジを発送しましたが、リンゴを送ったのに、ナシのつぶてです。
12月に入り、北信では雪も降っていますが、伊那谷はまだです。4日(日)あたりに雨か雪という予報が出ています。
さて、今月のオススメは、「大統領の陰謀」 新装版(ボブ・ウッドワード、カール・バーンスタイン共著 文春文庫)500ページ以上ありますが、一気に読めます。その正体が明らかになった今、「ディープ・スロート 大統領を葬った男」(ボブ・ウッドワード著 文藝春秋)も気になるところですが、図書館で借りるか、文庫本になるまで辛抱するか、悩めるところです。
(写真は、12月1日の朝撮影。大瀬木から見た風越山と柿すだれ。ちなみに、朝7時の気温はマイナス3度でした。)

(高橋 秀治)

(智積院金堂前)

一六会 京都で還暦大会行う
飯田高校16回生、一六会(代表 市瀬武彦)が、11月20・21日 紅葉の京都で還暦大会を行った。
終戦生まれの60歳、卒業生は335名と少ないが、物故者20名及び不明者を除く289名中90名の参加があった。まだまだ現役の方も多く、日・月曜日設定にもかかわらず、192名の賛同を得られた。
長野を含む飯田チームは、貸し切りバスで、東京(中島直樹支部長)・外チームは、新幹線で京都に向かった。
バスチームは、55歳の修学旅行と同じく、宮沢孝嘉幹事作成の’60年代音楽テープとビールに酔いしれ、金剛輪寺を参拝し「ホテルセントノーム京都」へ。
午後6時から始まった式典は、今回の実行委員長 伊佐栄豊の挨拶から始まりセレモニー後、この時とばかり舞妓さん入りの宴会で盛り上がった。宴会終了後、ライトアップされた、清水寺、観音寺、祇園、と京都の街を散策堪能した。
翌朝4時30分起き、今回のメイン、智積院にて30名の僧侶の下、底冷えする本堂(金堂)で、物故者慰霊、厄払いも参加者全員の名前と、読経が 広い本堂にこだました。
この日、この総本山に、来年 「一六会還暦記念植樹」が 決まり、楠木を植樹する事になった。
朝食を済ませ、万福寺、「国宝の五重の塔」醍醐寺、三宝院と参拝した、文化財もさすがだが、織田・豊臣・徳川の栄華を感じながら参観し、中国精進料理を、フルコース1時間以上かけ食し、東京・外チームと、45周年いや来年京都で、植樹に会おうと、堅く握手し、お互いの、健康を祈りつつ、別れをつげた。
丁重なもてなしのお寺廻り、植樹についての出来ない配慮は さすが伊佐住職の力と感心した。
今回の記念品は、第2の人生のスタートにと、一六会名入りの掛け時計(平和時計)を配布した。
一六会は、5年毎のイベントでは物足りないと、中間に、修学旅行・小旅行・新年会・毎月の無尽会等で旧交を深めている。
一六会報も、17号に続いて18号を発行した。

 (式典)

旅行記抜粋:(斎藤 純)