ビックリ
1月10日、 上久堅から帰りのことだった。 風越山と飯田の町並みの冬景色が、とてもきれいに眺められた。たまたまカメラを持っていたので撮影した。
少し下って行くと、市街から煙らしきものが立ち上がっていた。「あれ?」と思い車を止め、再度レンズを向けてみた。撮影しているうちに、だんだん勢いのある煙となり、「火事だ!」と認識。望遠にして見てビックリ、わが家の近くではないか。
その途端、携帯電話が鳴った。友人から「お前さんの近くで火事のようだけど、大丈夫か?」と。もちろん火事の説明など、できるはずがない。自宅にも何度か電話し、やっと繋がった。どうやら100mくらいしか離れていない所らしい。
帰路、携帯電話にいくつも心配の連絡を頂くも、「大丈夫らしい」との答えしかできなかった。2次出動が出たことも知らされ、ますます不安が高まってしまった。
知久町に入ると煙もうもう、市役所も霞んでいる。箕の瀬町入り口は完全封鎖。大通り町側から回り、警察官に入れてもらい、やっと帰宅できた。
しかし、それからが大変。火事見舞いの方々や電話への応対。鎮火後も続いた道路封鎖が解かれるまで更に時間を要し、ほとんど仕事にならなかった。出火から約1時間半、3棟全焼、6棟部分焼で、幸い我が家は助かった。もし自宅が巻き込まれていたら、写真を撮っていたことを話せば笑い者となっていただろう。
飯伊地方は日本各地と違い、ずっと雪が降らず大気が乾燥。今年になって、「丘の上」だけでも3件の火事が起こっている。火の元にはご注意を。
この場所をお借りし、火事見舞いしてくださった方々に、再度お礼申し上げます。

(西尾 秀文)

 

市田柿を海外へ
このたび市田柿(干し柿)が、海外で販売された。数年前から、市場経由や個人事業者ルートで少量が輸出販売されたことはあった。しかし、今回のように台湾のブランド百貨店に絞り、かつ地域的な取り組みとして輸出販売されたのは初めて。
600年以上の歴史を持ち、全国でも品質トップを誇る飯田下伊那地方のブランド品である市田柿。生産者は現在、約5,000戸、販売額は約40億円にのぼる一大産業である。
今回実施した台湾ブランド百貨店での直接販売が、市田柿の今後一層の生産拡大と海外販売につながる弾みになって欲しいものである。 (南信州新聞より)

私のホームページ「日刊ふるさと情報便」もどうぞ。 http://www.mis.janis.or.jp/~harahiro/

(原 博司)

 

権兵衛トンネル開通(2月4日)

今回は、“ふるさと”を少々広域に、「伊那地方」の話題をひとつ。
1998年の9月に着工したと云うことなので、8年掛かりの工事であった。地域の人たちにとっては待望の「権兵衛トンネル」が、いよいよこの2月4日供用開始となる。伊那谷と木曽谷が45分で結ばれ、通年の通行が可能になる。
これは、伊那市と、木曽谷は木曽町日義との間、約20㎞の国道361号線伊那木曽連絡道路で、丁度その中間辺りにトンネル(4.5㎞)が完成し、既に先年(2002年12月)開通していた姥神トンネル(1.8㎞)と共に、その前後の道路整備・拡幅工事も完了し、全線利用が出来るようになるもの。県内では初めての、高速道路の構造に近い「地域高企画道路」と云う。
伊那市と木曽町の中心部がこれまでの半分に時間短縮されると云うことだから、それぞれの地域にとっては勿論だが、広く、西に東に、車の流れや人の動きにも当然変化が現れるであろう。
ところで、飯田・下伊那にとってはどの様なのだろうか。同じ県内でありながら、これまで意外と交流の少なかった地域と思うが、この、中央アルプスに空いた風穴が、この先どの様な変化や効果をこの地方にもたらすのか。期待を込めて見つめて行きたいものと思う。
(地図は、信濃毎日新聞に掲載されたものです)

(槙原 英勝)

 

コハクチョウ飛来
昨年12月は初雪、降雪、寒さが88年ぶりに、記録更新をした。(飯田測候所)
全国的に記録更新が多い、毎日の報道を見るに、北信は凄い、長野県の広さを感じる。

飯田地区 1月も中旬、今度はここ3・4日 3月の陽気、どうなってるの。

飯田地区は、寒さはあるが、雪もすぐ融けるし山麓が少し白いだけで、雪のために、どうこうは無い。
そんな中、本来なら、大町か、豊科に飛来する、コハクチョウが、天竜川生田地籍に飛来した。
夏、シベリア北岸で子育てをして、1年も経たない幼鳥を連れ5000Kmの旅をし、越冬の為 日本に来る。
飛来場所は決まっている様ですが、この雪、何時もの場所は、真っ白で、えさも無く、南下をしたのだろう。
地元の人も、ここでコハクチョウ(羽を広げると2mにもなる)を見たのは、初めてとの事。
コハクチョウは、「日本書紀」「出雲風土記」など、日本に馴染み深い白鳥だ。
座光寺に、美女という地籍があるが、その交差点横に小さな堤がある、ここには、かもの群生が飛来している。
道行く人達も、車を止めて、寒そうに氷の上で毛羽立っているのを見ていた。
飛来緯度が、南下した事は、何を意味するのだろう。幸せでも運んで来てくれるのを望みたい。
(写真は 天竜川生田地籍と  美女地籍)

(斎藤 純)

 

「ダーツの旅」が豊丘に
12月には、何回雪かきをした事か。ところが、1月中は、雪をかいた記憶が無い。東京に雪が積もった日でさえ、雪は降らなかった。年初めに雪かきをしたと言っている人もいるので、2日(月)あたりかなあとも思うのだが、あの日は雨だった。思い出した。確か3日(火)は雪だった。
2月に入ったらいきなり大雨だ。1日(水)は、ほぼ一日中雨が降っていた。18時頃ラジオを聴いていたら、伊北インターから先はチェーン規制になっていた。駒ヶ根と飯田の間は、霧のために最高時速が50kmに制限されていた。
ところで、豊丘村に住んでいる人から聞いた話ですが、テレビ信州(日本テレビ系列)で水曜日の19時から放映されている「笑ってコラえて」の中のコーナーのひとつ、「ダーツの旅」が豊丘村にやってきたそうです。
早速日本テレビに電話して聞いてみると、取材は1月下旬に行われ、放映されるのは4月26日の予定だが、プロ野球中継が始まるために、放映が延びる事もあるらしいので、「毎週見ていて下さい」との事。
さて、今月のオススメは、「ディープ・スロート 大統領を葬った男」(ボブ・ウッドワード著 文藝春秋)。図書館で借りて読みました。ウォーターゲート事件から30年近くが経過し、「ディープ・スロート」に再会する決心をしたボブ。しかし、「ディープ・スロート」も既に90歳に近くなり・・・。
そして、「マオ 誰も知らなかった毛沢東」 上・下巻 (ユン・チアン、ジョン・ハリディ 共著 講談社)。1993年に邦訳が出た「ワイルド・スワン」は衝撃的でした。「マオ ・・・」の邦訳が昨年の11月に出版されたのを私が知ったのは年末で、年明け早々に飯田市内の書店を回りましたが、見つける事は出来ませんでした。用事ができて1月7日に上京し、新宿駅南口の紀伊國屋書店で購入しましたが、文字通り山積みされておりました。まだ読み始めたばかりですが、上下巻で1,070ページ以上ある大作です。毛沢東とは、いったいどんな人物だったのでしょう。
(写真は2月1日の朝撮影した、雨が降る直前の大瀬木地区の様子)

(高橋 秀治)

南信州・阿智村昼神温泉郷にて

この正月に、旧制飯田中学卒業の方で、丁度日本の敗戦直前に在校なさっておられた方々にお会いする機会があり、いろいろなお話をうかがった。
その中で、勤労動員で下條の親田原(私はオヤダッパラと呼んでいたが、今地図でみると親田高原と名づけられている)で開墾作業をしたこと、伊那市の天竜川東の丘で飛行場作りをしたこと、諏訪の工場で飛行機?作りをしたことなどの話があり印象に残った。
下條に行く用事があり、親田によって見た。旧制中学生達が開墾作業をしたと思われるあたりは、現在は見事な果樹園が広がっている。見晴のよいところで、北を見ると、風越山から、丁度その真後ろに、(多分)南駒ヶ岳から空木岳などを望むことが出来る(写真左)。
東を望むと南アルプス山々(写真は荒川岳、赤石岳、聖岳など)が目前に広がる。今で考えれば高校2年生くらいまでの生徒たちが動員され、中には事故等で亡くなった中学生もいたなど、あの時代を思うと、そこが美しい環境であるだけに、また別の感慨を抱かざるを得なかった。

(原 健彦)