3月26日(日)は、下條村が熱い!!
2月25日(土)の「土曜はこれダネッ!」(18時~ 長野放送)でも取り上げられていたので、ご存知の方もいらっしゃるかも知れません。
来たる3月26日(日)に、「道の駅 信濃路下條 お客様感謝デー 2006」(主催:下條村、そばの城、地域戦隊カッセイカマンプロジェクト他)で行われる5つのイベントの内のひとつが、「ローカルヒーロー大作戦!」(第1部~第3部)なのです。
それでは、当日集結する10大ヒーローを登場順にご紹介しましょう。
第1部 (10:00~11:30)
SPEED太郎 (駒ヶ根市)
おおぐち元気戦隊ダッシュマン (愛知県大口町)
環境戦隊ステレンジャー (東京都北区)
第2部 (12:15~13:35)
黄金戦隊かぼっちゃマン (沖縄県南風原町)
ときめき!オレパンダー (名古屋市)
観光戦隊イセシマン (三重県伊勢市)
第3部 (14:25~16:15)
超速戦士G-FIVE (群馬県前橋市)
津に来て戦隊ツヨインジャー (三重県津市)
正義の閃光!クルメイザー (東京都東久留米市)
地域戦隊カッセイカマン (下條村)
その他にも、S-1グランプリ(そばの早食い競争)(11:30~)、景品付きもち投げ(16:15~)などのイベントが目白押しです。五平もち・焼き鳥などの屋台や、ローカルヒーローショップも出店します。雨天でも行われます。
さて、今月のオススメは、もちろん「ローカルヒーロー大図鑑」(ブルーオレンジスタジアム著 水曜社)。カッセイカマンも載っています。とは言え、甚だ無責任ながら、まだ実物を手にしていません。理由は2つ。2月12日(日)に飯田市立中央図書館に購入のリクエストを出したのですが、未だに回答が有りません。第2の理由は、3月25日(土)に平安堂新飯田店で「大図鑑」のPRを兼ねたカッセイカマンショウが予定されているので、その時に買う(かもしれない)から。
下條村つながりでもう一冊。「ことしの牡丹はよい牡丹」(海老名香葉子著 文春文庫)。林家三平未亡人であり、九代目林家正蔵、林家一平の母であり、春風亭小朝の義母でもある“おかみさん”の半生記です。単行本(主婦と生活社)は、1983年5月に発行されました。峰竜太と海老名美どりの入登山神社での挙式のひとコマが面白おかしく紹介されています。ただ、書店ではもう入手できないかも・・・。図書館で借りて下さい。
(写真は2月某日下條村内某所にて撮影したオオグテブルーとダイコンレッド。コスモスピンクは登場せず。残念!!)
(高橋 秀治)
春の訪れ
早くも三月です。陽射しもすっかり強くなりました。いつも元気な雑草はすっかり緑です。
阿智村伍和の座禅草の群生地では、まだ、訪れる人も少ないのですが、もう、いくつかの花を咲かせています。
(南信州・阿智村在住 原 健彦)
「結い(UI)ターン」プロジェクト
“地域経済の自立”が、大きな課題のふるさと飯田・下伊那地域。2003年(平成15年)の「経済自立度(地域の産業から稼ぎ出す収入/各家庭や地域地域全体が1年間に必要とする収入)」は43.5%と云われ、これを基準年に、10年後の2014年には70%まで引き上げようと、行政、産業界挙げて地域経済活性化に取り組む飯田市。
今年の初めに、平成18年度飯田市政経営の基本方針が発表されたが、ここで、“経済的自立度の高いまち”実現のために「地域経済活性化プログラム2006」が策定され、重点プロジェクトとして人材育成・人材誘導への取り組みが推進されることとなった。
これが、ユニークなネーミングの「結い(UI)ターン」プロジェクトで、最近も新聞やテレビにも採り上げられ、一寸した話題となっている。ポケットサイズの20数ページのリーフレット“飯田に住もう–訪ねるだけじゃもったいない。–”が製作され、UターンやIターンを確保するために、出張等にはポケットに忍ばせて、“遠すぎない・近すぎない、暑すぎない・寒すぎない、都会すぎない・田舎すぎない「半径20キロの小宇宙」”(リーフレットの見出しより)を、大いに売り出したいとしている。
リーフレットの内容は、ここ(飯田市ホームページ)に。
故郷を離れている同窓生の皆さんにも、是非一度ご覧いただければ・・・。
(槙原 英勝)
大先輩への想い
皆さんもご存知の永昌院の境内に下伊那中学校開校の碑がある。
仲之町に菱田春草の生家がある。今は、立札のみであるが、その中間に、「吾らの青春 ここにありき」自彊社の碑を見つけた。(長久寺横に尚志社碑)
本当は、兄貴に聞いたのだが、旧喜久水酒造前 ルーテル教会の敷地の塀の一角にある。
碑の裏には、下の部分が、埋まっていて良くわからないが、昭和46年1月11日、飯田高校60周年にあわせて有志が建てたものらしい。
それを見たとたん、霊気を感ずると言うか、大先輩がどんな生活をし、勉学に励んだのか、家に帰って学校校史を読みふけった。女房「校史は読むものなの?」だって。
交通手段も無い明治の時代、座光寺・松尾地区からも 学問を目指す若者が 自炊をして通学した。県内でも珍しい、幾つかの自炊団あり、この団の1つが自彊社である。多分、寮費も、米だったろう。人有る所に、良い規律・上下関係が生まれ同じ釜の飯を食って、将来を語り、励まし合いながら、勉学に励んだ。
スポーツも、柔道はこの団、剣道は、野球は・・・と 団ごとの、寮歌を作り、唱い、切磋琢磨した。
何回も自炊団の移動があった様だが、校史には勉学を求める文字が多い。やはり大先輩達が、「文武両道に秀る」を完成させたのではないか。
我々の時代の、運動会には、学年一緒の「たこ」という応援合戦があった。しかしまだ私の頭の中、解決してないのは、この「たこ」の、割り切れない数、学年・クラス分けだ。文武両道時代、各々自炊団が応援した。その数からくるのだろうか。 先輩教えてください。
2人の兄貴も、運動会の日、家宝の袴をはき、たこ軍団で高下駄、二本線帽子 各々たすき掛けで、飯田駅から、学校まで走り、それが開催セレモニーだった。(この袴 私の結婚衣裳になった)
単なる月日の経過でなく、このすごい若臭まで感じる歴史にふれ、なぜこの高校が皆に愛されるのか 一端が解った感じがする。本当に大先輩に感謝したい。
(撮影場所 永昌院・ルーテル教会・仲ノ町2)
(斎藤 純)
90年代初頭を繰り返さなければよいが・・・
飯伊地区も、ここ数年アパートやマンションが乱立状態である。地価がそれほど高くなく一戸建てを希望する人が多く、そしてたった10万人余の小さな地域に、こんなに需要があるものなのだろうか。数年前から地元業者だけでなく、県外業者の進出も目立っている。つい最近、一部上場会社の支店まででき、ますます供給過剰になる雰囲気だ。
地主にとっては遊休地の活用も考えてのことだろう。あるいは相続税対策かも。業者は入居者の保証や返済金の相談にまでのってくれ、バラ色の将来をイメージさせているように聞いている。
ただ家主も入居者も、より周到な注意が必要と思われる。業者の中には、今問題になっている耐震強度ではないが、ボードの厚みや配水管の現場での変更など、コスト削減のため図面とは全く違う施工をしている者もいるようだ。これは家主にとっては、耐用年数や管理コストに影響が出てくるだろう。入居者にとっては、数軒隣の物音が聞こえてきたりしてプライバシーなどなくなるだろうし、今後漏水などいろいろ面倒な事態が発生する可能性もある。実際、知り合いの下請業者から、とんでもない話を幾度か耳にしている。
近隣の住民にとっても無関心ではいられない。ピンクや赤や緑など業者特有の色やデザインの建物が、地域の環境に溶け込まず存在するのだから。更に「入居者募集」など、派手な旗や立て看板の広告が目障りに感じているのは私だけだろうか。
(幾つかの業者が建てた建物の写真を載せようかと思ったが、ある面まずいのでやめておきました。)
(西尾 秀文)
2通のはがき
2月の下旬、2通のはがきを受け取った。手足がしびれるという難病で長い間入院し、数ヶ月前、やっと退院した女性Kさんからのものであった。
思わぬ病に冒された彼女だったが、以前から親しんでいたデジカメとパソコンは入院中も手放さなかったという。動かぬ指先を眺めながら、シャッターやキーが自由に操作できる日を待ち焦がれていたらしい。
最近やっと杖をついて外出し、カメラ仲間の車に便乗。まだ寒空の伊那谷に春を求め、天竜川の小白鳥、高森町のラン植物園などの撮影に力を注いでいたのだ。
もし、Kさん自身の世界にパソコンやデジカメがなかったら、と考えると……。
きっと病床で、夢にまで見ていたであろう白鳥や花の合成写真。無事プリントを終え、知人たちに投函したときの彼女の胸の内が察せられる。心にしみる2通のはがきであった。
(原 博司)