出版のご紹介


  このコーナー。書籍の紹介や読後の感想・書評などの記事はT委員の十八番で、今回、甚だ烏滸がましい次第ですが、同窓生の出版ということで紹介をさせていただきます。
  先頃、高25回の後藤拓磨氏(飯田市宮の前在住)が、「潮騒の伊那谷」と題する書籍を出版された。(発行所:南信州新聞社出版局、定価:2,200円)
  副題を“新たな古代史の旅が始まる。”とするこの書籍は、信州伊那谷の「イナ地名」のいわれを追い続けた筆者の研究記録で、平成15、16年の2カ年間に亘って地元の南信州新聞に長期連載した古代史推理ノンフィクションである。
  著者自身「あとがき」に記すように、文学を志向する著者のこのノンフィクション。自らの足で全国各地を探索し、多くの人々に直にインタビューすると共に、様々な文献・資料に照らして検証した成果であり、読むほどに興味深く数千年前の伊那谷へと読者を誘ってくれる。
  是非、機会があったら手にとっていただければと、紹介させていただきます(書籍に関する情報は、“著者名、書籍名、出版”等のキーワードで検索出来ます)。
  なお、著者は小職の血縁に当たる者で、身贔屓な話題、ご紹介でありますことお許し願います。

(槙原 英勝)

 

 

飯田市合併一年と飯田の山や峠
 平成18年10月1日。上村、南信濃村と飯田市との合併から一年。昔、少なくとも戦前生れの近郷の者にとっては、“飯田”の意味する空間は、風越山の麓の丘の上の町、何か大事な、多少高価な買い物をするときに、バスか電車に乗って出かける町であった。
 昭和30年に卒業をし、その後最近まで伊那谷から離れていたため、この地の変遷は詳しくは知らなかった。飯田市の沿革を見ると、昭和31年9月の7ヶ村の合併から始まり、平成5年7月の鼎の合併までに、合計5回、全部で13町村が集まっている。地理的にも比較的近隣の、相互の利益も多少は共有できる自治体の合併であったようである。
 しかし、今回は、いろいろな経緯はあったものの、今までの合併とは多少異なり、空間を広げ、結果としては、“隣の町”のもつ意味を変えようとしたものであったのでは・・・という印象が強い。地理的に市の周辺の山や峠を見ると、私には、それが一層強く感じられる。
 今までの“飯田”の代表的な“山”や“峠”を見ると、先ず風越山(1,535メートル)、安平路山(2,363)、摺古木山(2,169)。また、峠では飯田峠(1,236)から木曾への大平峠(1,236)、昔の上村への小川路峠(1,642)などであった。
 今、新しい地図で眺めると、これ等の山や峠に、南アルプスの幾つかの山々が加わった。日本100名山の南アルプスの聖岳(3,013)は飯田市と静岡市境にあり、同じく光岳(2,591)も飯田市と静岡県川根本町境に位置する。南アルプスへの登山口の一つである“しらびそ”峠(1,833)も飯田(上村)にある。しらびそ高原は車で誰でも行けるが、その高さと、その眼前に広がる南アルプスの展望は、ここが飯田かとびっくりする(写真左は、しらびそ峠から見る立俣山(2,366)その背後は聖岳)。
 峠では、北は大鹿村への地蔵峠(1,314メートル)、南は浜松市へ続く青崩峠(1,082メートル)と国盗り綱引き合戦で国境を決めることで有名な兵越峠(1,165メートル)などが加わった。
 このように飯田は広くなったことを意識してか、飯田の“お隣の町”浜松へつながる高速道が、もう開通しているのかと、知らない旅人に錯覚させる「三遠南信道」の道路表示が、あちこちに設置されている(写真右は喬木村への阿島橋の近くの標識)。

(原 健彦)

 

 

飯田の観光 III
 知人熊谷さん、俳句を詠まれ 京都には何回も一人旅をされている。飯田の観光について 良き、悪き、よく話し合いしてる。
 今回は、飯田市街から上郷に抜ける橋 「都出橋」の事について。何の変哲もない、ごく自然な橋、大王路(大雄寺)から創造館裏手の上郷踏み切りに出る道。三六災害で野底川を飯田線が塞き止め、鉄砲水で大きな災害をもたらしたが、その時、跡形も無く流され、昭和38年に作られた橋である。名前はそのまま、なんと美しい名であろう。
 観光IIで紹介した飯田城マップの中に、「飯田町は、小京都と言われた」とある。それから来るのかと壮大な夢に膨らんだ 。下伊那の都であった飯田町で遊んで上郷村へ この橋を渡るのか、出稼ぎから帰るのか。ところが「みやこでばし」の方が正規であろうが 「つだしばし」と読む 重箱読みである。近所の年輩の方に聞いたが、ルーツは良く解らない。
 昔飯田町を「みやこ」と称し、愛していたのだろうが、この読み方から、「ここで飯田町とお別れ」とみるか「みやこを追われる」のか、膨らんだ夢も、「出る」のか「出す」のか 読み方の違いで逆転してしまう。 浅学な私には難しい。
                                     

(斎藤 純)

 

おすぎのトークライブ
 10月15日(日)に、おすぎさんがトキワ劇場にやってきます。
 「おすぎのトークライブ」は、12時開場、13時開演です。料金は、前売り券が3,000円、当日券が3,500円(全席指定、映画鑑賞優待券付き)で、先着140名限りとなっています。
 おすぎさんがトキワ劇場に来るのは2年ぶりだそうですが、どんなトークになる事やら・・・。
 同じ日に、龍江の今田平多目的広場をスタート/フィニッシュ地点として、第2回全日本実業団サイクルロードレースin飯田が開催されます。レースは、BR-1(1周11.5kmを10周)、BR-2(同6周)が9時30分から13時10分、BR-3(同4周)、女子(同3周)が13時20分から16時までの間で行われます。
 翌16日(月)には、飯田市公民館ホールにおいて、第30回おいでなんしょ寄席が開催されます。今回は「花形新進落語会」と称し、柳家一門の4人による落語が演じられます。開場は18時、開演は18時30分で、入場料は3,500円(全席自由)です。

 (写真は、9月30日の同窓会総委員会の懇親会でのアトラクションの様子。左が平沢義郎氏(高6回)、右が宮下 洌氏(高3回)。残念ながらピンボケです。)

 

(高橋 秀治)

 

 

野生動物が
 退職後、野菜づくりに専念している友人がいる。住まいは、飯田市三穂の立石。
 先日会ったとき、開口一番「参った。参った」が彼の挨拶であった。作っている野菜を、野生動物が出てきて次々と食べてしまうとのこと。 トウモロコシはもちろん、スイカもサツマイモも、そして大豆まで。収穫はほとんど無かったと嘆いていた。
 また先日は、通学路のクマの危険を防ぐため、子どもたちに鈴を持たせて登下校させている学校が報道されていた。
 シカやサル、イノシシ、クマなど、かつては山奥にしか見られなかった動物たちが、なんでこんなに人里まで出没するようになったのだろうか。
 一説によると、飼い犬の放し飼いが禁ぜられペット化したせいだと。また、人が里山の手入れを怠ったため、山と里との境が無くなったのだとも。そして、若者の山肉ばなれから、猟師が高齢化して減るばかり、などなど。
 写真上は、天竜川を渡ったシカが、中央アルプス山麓のリンゴ畑で見られるように。(吉田保晴さん撮影)
 下は、捨てられた廃果リンゴにかぶりつくサル。人里にはうまいものがいっぱい。(宮下稔さん撮影)


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(原 博司)