紅葉の美しい国道152号線
 伊那谷に戻り3年目、変わってしまった道路状況を調べている。この地では生活道路として、国道151号、153号、256号などはよく耳にするが、国道152号線の名前が会話の中に現れることは少ない。
 確かに実際に車で走ってみると、大鹿村と上村の間の中央構造線の通る地蔵峠(写真左の左部は峠の標識、右部は中央構造線の案内標識)と、旧南信濃村と水窪の間の青崩峠で車道が消えていて実用にならない国道である。地蔵峠では蛇洞林道を通って迂回し、青崩峠では林道を兵越峠(写真右)に回らなければならない。
 しかし、この道は、大門、杖突、分杭、地蔵、青崩(兵越)といった名の知れた峠が続き、深い谷間を、或いは山中を通っている。紅葉の時期に、走って見ると周辺は実に美しい。更に、この道は上田市の大屋を基点として浜松で終わる、歴史の旧い道を繋げた由緒ある?国道である。上田から南下し長門で中山道と交差し、“大門街道”となる。白樺湖を経て茅野市で国道20号を横切り、“杖突街道”と変わる。高遠で“権兵衛街道”と合流して“秋葉街道”となり、長谷、大鹿を経て遠山地方を抜け水窪に入り、秋葉神社に向かう。昔、信仰心の厚い人々が秋葉山にお参りにいった道であった・・・。
 現在は、秋葉山への路から別れ、天竜川に沿って人口80万を越える工業都市・浜松市の中心部に至っている。この国道が機能していたならば、南信州の状況はずいぶんと変わっていただろうと感じる。この国道の南部分と一部は重なりそうな三遠南信道を、南信州活性化の一原動力として、期待する人が多いのも理解できそうな気がしてきた。
 その期待もこめてか、10月22日の、国道152号迂回路の県境“兵越峠”での“国盗り綱引き合戦”では、飯田市長と浜松市長が応援団の総大将?になったとか・・・。

(原 健彦)

 

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上海楼 移転オープン
 創業60年(くらい)の「上海楼」が本町1丁目にオープンした「トップヒルズ第2」の銀座通り側に移転しました。
 トップヒルズは10月27日(金)にオープンし、上海楼は、29日(日)までの3日間に限り、「先着30名に一杯100円、それ以降も終日一杯300円」で中華そば(大盛、並、半盛とも)を提供し、行列ができていました。
 私は写真を撮っただけで、行列には並びませんでしたが、31日(火)に偵察に行ったヨメの話では、価格は据え置き(並 \550、大盛 \600)で、今までなかった半盛(\450)がメニューに加わったとの事。上海楼には、おひとりで来店される高齢者(とくに女性)の方が結構おられ、「わしゃぁ、麺は少な目でいいで。」と注文される方も多かったので、新たにメニューに加えたのかもしれません。
 新店舗にはカウンター席も設けられ、旧店舗に比べると、テーブル席の数も増えたようです。営業時間は、11時から21時ですが、15時から17時までは店を閉めます。水曜日が定休日となっています。
 ラーメンと言えば、11月10日(金)から12日(日)までの3日間、長野市のビッグハットにおいて「第2回 信州ラーメン博」が開催されます。
 飯田市からは、「飯田 大勝軒」が初出店、駒ヶ根市からは、「らぁめん 一兆堂」が2回目の出店となります。
 詳しくは、信州ラーメン博のホームページをご覧下さい。

 さて、今月のオススメは、ついに文庫化された「水滸伝」(北方謙三 著 集英社文庫)。10月に第1巻(曙光の章)が出版され、全19巻が月1冊ずつ刊行の予定です。
 「頭ひとつ、出ていた。」で始まる北方版「水滸伝」。「草原が燃えていた。」という書き出しの「三国志」とともに、イチオシです。

 (写真は、10月28日(土)正午前に撮影した新店舗と閉店した旧店舗。)

(高橋 秀治)

 

ふるさとの“秋”


 田舎、田舎と云うと飯田も大変な田舎なのにと思いながら、週末には、特別なことが無い限り、これ以上無かろうと云う本格的“田舎”へ出掛けることとしている。
 施設にお世話になっている老いた両親を見舞うのは実は名目で、春なら山菜、秋はキノコなど、山の幸を目的にほっつき歩くのを楽しみにしているところである。
 そうした中、10月半ばの週末のこと。東京に住む義妹から、久し振りに田舎へ行きたいと連絡が入った。勿論、年寄りを見舞ってくれると云うものだが、ついでに山歩きも出来たらとの希望である。
 飯田で待ち合わせて、車で1時間少々の在所へ向かうと、下伊那は南の端で、愛知県や静岡県に境を接するような場所なのだが、結構標高が高いので、野菊や竜胆など秋の花も咲き揃い、柿も随分色を濃くしている。既に紅葉が山のてっぺんから下りつつあった。
 そんな景色を見て、義妹は「花ももみじも色が濃い!」と大変気に入った様子。
 何時も漫然と見過ごしているものだから特に感じたことは無かったが、改めてよく見てみると確かに平地とは少々色の濃さが違うのかも知れない。やはり折角なら、花の色の違いだとか、紅や黄だけでなく樹種によって様々に異なる紅葉の色や形など、もう少し良く観察して感じ取ることの出来るような山歩きの楽しみ方もあるのだろうと気付かされたところ。
 この自然豊かな地域、ふるさとを将来に亘って守り残して行くためにも、先ずは自身がそれに気付くことが必要と、そんなことを感じた週末であった。

(槙原 英勝)

 

時代の流れ
 飯田のシンボル風越山(かざこしやま)をバックに、柿と竹やぶを写した。伊那谷の平和で豊かな風景だ。上郷黒田のわが家の近くからの撮影。いい写真だなと思っている。
 しかしそれは、自分の家に柿の木一本、竹やぶなど持ったことのない者の愚かな発想だかもしれない。現実は、びっしり実った柿の木や、どんどん増えていく竹やぶを見て、地主の農家は頭を悩ませていることもあるのだ。農家の高齢化と農業後継者不足は、深刻な問題であるという言い方もある。
 しかしそれもまた、一面的な見方のような気がする。近所の農家の庭には、おじいさんから孫まで、家族じゅうの自家用車が6台並んでいる。われわれの世代は、学生のころは徒歩、就職してやっと自転車や電車通勤の時代が続き、次にバイクから自動車と体験してきた。そして今や世の中、飲酒運転だ交通事故だ保障だと大騒ぎをしている。時代の流れには誰も逆らうことはできない。
 熟れ落ちていく実をつけた柿の木の姿も、竹の子採る人もない荒れた竹やぶも、時代の流れである。考え方によってはこれも豊かな生活の一面なのかもしれない。やはり、いい写真だと思っていいんじゃないのかなあ。どうずら。


私のホームページ「日刊ふるさと情報便」もどうぞ。 http://www.mis.janis.or.jp/~harahiro/

(原 博司)

 

 
 

京都にて記念植樹
 高16回生(市瀬武彦一六会代表)は10月21~22日と京都にて還暦記念植樹を行った。場所は、京都 総本山智積院 (智慧を積むお寺として多くの僧侶が、巣立っている学問の寺である)。
 前厄払いを一昨年の5月15日同院明王殿にて20名の僧侶の下 行い、京都3大祭りの1つ「葵祭り」を見学した。本厄払いは、昨年11月20日~21日 金堂、明王殿にて、身の引き締まる寒さの中30数名の僧侶で、物故者慰霊と厄払いが行われ、広い本堂に読経と、各々名前がこだましたのを覚えている。夜には、見事な紅葉の、ライトアップされた寺院を堪能した。
 今回の厄払い・植樹は、延寿院 伊佐栄豊住職の計らいもあり、境内の真ん中1等地に、千年木「楠木」を植える事ができた。11名の僧侶の読経の中、飯田高校から頂いた土と、飯田からの水、赤石までも、根元にまき、成長を祈った。会員松村信子書の石柱も16回生名簿と共に楠木の根元に、安置された。高16回生にかかわらず、同窓生の汗と涙を吸って育つ楠木を見守ってください。
 図らずも、3大祭り「時代祭り」も見ることができ、重ね重ねの満足感で帰途に着いた。

(斎藤 純)